第11普通科連隊
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第11普通科連隊 | |
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雪中を行軍する第11普通科連隊・第2中隊 | |
創設 | 1951年(昭和26年)5月1日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 陸上自衛隊 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵科 | 普通科 |
兵種/任務 | 機械化歩兵 |
人員 | 約1,500名 |
所在地 | 北海道 千歳市 |
編成地 | 小月 |
上級単位 | 第7師団 |
担当地域 | 道央 |
第11普通科連隊(だいじゅういちふつうかれんたい、JGSDF 11th Infantry Regiment(Mechanized))は、北海道千歳市の東千歳駐屯地に駐屯する、陸上自衛隊第7師団隷下の普通科連隊である。
概要
陸上自衛隊で唯一の完全装軌装甲車化普通科連隊であり、連隊の規模も他の連隊と比較して倍近く大きい。警備担任区域は千歳市である。
沿革
第11連隊
- 1951年(昭和26年)
- ※ 編成 連隊本部及び第1大隊(小月駐屯地)、第2大隊(曾根駐屯地)、第3大隊(中津駐屯地)[1]。
- 1952年(昭和27年)
- 1月15日:中津駐屯地の第11連隊第3大隊が、第10連隊第3大隊に改称。
- 1月20日:福岡駐屯地の第10連隊第2大隊が、第11連隊第3大隊に改称。
第11普通科連隊
- 1954年(昭和29年)
- 1956年(昭和31年)1月23日:第7混成団新編に伴い、第6中隊の要員を第18普通科連隊の指揮下に入れる。
- 1961年(昭和36年)
- 2月22日:第7混成団の隷下に入る。
- 2月28日:第7混成団の改編。
- 1962年(昭和37年)8月15日:第7混成団が第7師団に称号変更し、その隷下部隊となる。
- 1963年(昭和38年)4月30日:62式7.62mm機関銃26丁が配備される。
- 1981年(昭和56年)3月25日:第7師団の機械化師団から機甲師団への改編に伴い、完全機械化部隊として再編[3]。
- 廃止された23連隊2個普通科中隊と2個重迫小隊を併合、移駐した24連隊の2個普通科中隊と2個重迫小隊を併合し所属人員を増強。
- 普通科中隊は4個から6個へと増加し[3]、重迫撃砲中隊は6個小隊編成となる。
- 3個連隊を併合した際の余剰人員は道内の普通科連隊へ転属。
- 1987年(昭和62年)11月1日:当時の源川幸夫師団長の発案で、機甲太鼓が誕生する[4]。
- 1992年(平成 4年)
- 4月2日:各中隊に89式5.56mm小銃が配備される。
- 10月26日:89式装甲戦闘車の配備が開始。
- 1995年(平成 7年)12月5日:5.56mm機関銃MINIMIが配備される。
- 1997年(平成 9年)3月5日:96式自走120mm迫撃砲の1号車が重迫撃砲中隊に配備される。
- 2000年(平成12年)
- ※ 本部管理中隊の整備小隊が廃止され要員など73名が第7後方支援連隊に転属。
- 3月31日~ 7月25日:有珠山噴火災害派遣。
- 2005年(平成17年)3月5日:日米共同実働訓練での実弾射撃中、北海道大演習場において発射した96式自走120mm迫撃砲の砲弾が、誤って演習場外に着弾した[5]。
- 2015年(平成27年)2月20日:午前8時20分頃恵庭市の北海道大演習場で行われた89式装甲戦闘車の射撃訓練で74式車載7.62mm機関銃1発が誤って発射され、およそ5メートル離れたところで待機していた別の戦闘車に当たり予備の燃料の軽油が入った容器に穴が空くなど破損が起きるという事故が発生した。銃弾は車体にはじかれ中の隊員にけがはなかった。機関銃には誤射を防ぐ安全装置はあったが弾倉への銃弾装填時は解除されるようになっていた。事故の発生により2日間日程の訓練は中止となった[6][7][8][9][10]。
部隊編成
- 第11普通科連隊本部
- 本部管理中隊[11]「11普-本」
- 中隊本部
- 施設小隊
- 偵察小隊
- 補給小隊
- 通信小隊
- 衛生小隊
- 第1普通科中隊「11普-1」 - 89式装甲戦闘車 (オジロワシの頭部、後ろに「1」)
- 第2普通科中隊「11普-2」 - 73式装甲車 (二本の刀、日章、盾)
- 第3普通科中隊「11普-3」 - 89式装甲戦闘車 (向かって左にケルベロス、右に第二次大戦中の日本軍の航空機の名称(零、雷電、疾風等))
- 第4普通科中隊「11普-4」 - 73式装甲車 (武田菱)
- 第5普通科中隊「11普-5」 - 89式装甲戦闘車 (スズメバチ、後ろに「5」)
- 第6普通科中隊「11普-6」 - 73式装甲車 (『6』をあしらい、アイ・セーフティーをかけたナマズ)
- 重迫撃砲中隊「11普-重」 - 96式自走120mm迫撃砲、73式装甲車 (オジロワシに迫撃砲弾)
整備支援部隊
- 第7後方支援連隊第2整備大隊普通科直接支援中隊:2000年(平成12年)3月28日から
主要幹部
官職名 | 階級 | 氏名 | 補職発令日 | 前職 |
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第11普通科連隊長 | 1等陸佐 | 二宮充史 | 2022年 | 3月14日富士教導団本部高級幕僚 |
代 | 氏名 | 在職期間 | 前職 | 後職 |
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1 | 三松泰助 (1等警察正) |
1951年 | 5月 1日 - 1954年 6月 9日第4管区総監部附 | |
2 | 泉茂 | 1954年 | 6月10日 - 1957年 8月11日第11普通科連隊付 | |
3 | 田口英男 | 1957年 | 8月12日 - 1959年 6月28日北部方面総監部第4部長 | 第1管区総監部付 |
4 | 加野重蔵 | 1959年 | 6月29日 - 1961年 2月27日陸上自衛隊富士学校勤務 | 陸上幕僚監部第5部普通科班長 |
5 | 田中登一 | 1961年 | 3月 1日 - 1963年 3月15日陸上自衛隊富士学校総合教育部教官 | 陸上自衛隊幹部学校学校教官 |
6 | 塚本勝一 | 1963年 | 3月16日 - 1964年 7月15日第11普通科連隊副連隊長 | 陸上幕僚監部付 |
7 | 大草知久 | 1964年 | 7月16日 - 1966年 3月15日陸上幕僚監部幕僚庶務室研究班長 | 防衛研修所所員 |
8 | 戸塚正五 | 1966年 | 3月16日 - 1968年 3月15日陸上自衛隊幹部学校付 | 陸上幕僚監部第1部業務班長 |
9 | 渡邊茂政 | 1968年 | 3月16日 - 1970年 7月15日陸上自衛隊幹部学校学校教官 | 陸上幕僚監部第4部研究班長 |
10 | 松岡文夫 | 1970年 | 7月16日 - 1972年 7月16日第1空挺団本部勤務 | 陸上自衛隊幹部学校研究員 |
11 | 渡邊忠綱 | 1972年 | 7月17日 - 1974年 7月15日陸上幕僚監部第3部勤務 | 陸上自衛隊幹部学校学校教官 |
12 | 白井健児 | 1974年 | 7月16日 - 1976年 8月 1日東部方面総監部第3部勤務 | 陸上幕僚監部第5部機甲科班長 |
13 | 岡田嘉典 | 1976年 | 8月 2日 - 1978年 7月31日自衛隊函館地方連絡部長 | 陸上自衛隊業務学校人事教育部長 |
14 | 鍛冶信彦 | 1978年 | 8月 1日 - 1980年 3月16日東千歳駐とん地業務隊長 | 第3教育団副団長 |
15 | 深山明敏 | 1980年 | 3月17日 - 1982年 6月30日統合幕僚会議事務局第3幕僚室勤務 | 中部方面総監部幕僚副長 (陸将補昇任) |
16 | 浅野武士 | 1982年 | 7月 1日 - 1985年 3月15日北部方面調査隊長 | 東部方面総監部人事部長 |
17 | 田中大三 | 1985年 | 3月16日 - 1987年 7月31日陸上幕僚監部防衛部運用課勤務 | 自衛隊帯広地方連絡部長 |
18 | 新井宏 | 1987年 | 8月 1日 - 1990年 3月15日陸上幕僚監部装備部装備計画課 後方計画班長 |
陸上幕僚監部教育訓練部訓練課長 |
19 | 諏訪浩 | 1990年 | 3月16日 - 1992年 6月15日陸上幕僚監部教育訓練部教育課 教材班長 |
東部方面総監部防衛部長 |
20 | 穴口一男 | 1992年 | 6月16日 - 1995年 3月31日北部方面総監部総務部総務課長 | 自衛隊札幌病院総務部長 |
21 | 松枝実 | 1995年 | 4月 1日 - 1998年 3月31日富士教導団本部高級幕僚 | 北部方面総監部総務部長 |
22 | 武山文則 | 1998年 | 4月 1日 - 2000年11月30日北部方面総監部装備部 後方運用課長 |
陸上自衛隊北海道補給処総務部長 |
23 | 楠本裕幸 | 2000年12月 | 1日 - 2003年 3月26日東部方面総監部人事部人事課長 | 中部方面指揮所訓練支援隊長 |
24 | 相良雅司 | 2003年 | 3月27日 - 2005年12月 4日自衛隊福岡地方連絡部募集課長 | 陸上自衛隊研究本部主任研究開発官 |
25 | 吉見隆 | 2005年12月 | 5日 - 2007年 3月31日北部方面総監部防衛部防衛課長 | 統合幕僚監部運用部運用第1課 運用調整官 |
26 | 藤本卓美 | 2007年 | 4月 1日 - 2008年 7月31日自衛隊岡山地方協力本部長 | 陸上幕僚監部装備部開発課長 |
27 | 田中一二 | 2008年 | 8月 1日 - 2009年 1月 1日陸上幕僚監部装備部装備計画課 後方計画班長 |
事故により死去 |
28 | 井上一 | 2009年 | 1月16日 - 2011年 4月18日陸上幕僚監部人事部補任課 人事第2班長 |
自衛隊長野地方協力本部長 |
29 | 山根直樹 | 2011年 | 4月19日 - 2013年 7月31日西部方面総監部防衛部訓練課長 | 第14旅団司令部幕僚長 |
30 | 惠谷昇平 | 2013年 | 8月 1日 - 2015年 7月31日陸上自衛隊研究本部研究員 | 自衛隊滋賀地方協力本部長 |
31 | 中力修 | 2015年 [12][13][14][15] |
8月 1日 - 2017年 7月31日陸上自衛隊富士学校普通科部 研究課長 |
第11旅団司令部幕僚長 |
32 | 宮内雅也 | 2017年 | 8月 1日 - 2019年 7月31日第7師団司令部第3部長 | 陸上自衛隊教育訓練研究本部勤務 |
33 | 小出昌典 | 2019年 | 8月 1日 - 2022年 3月13日統合幕僚監部運用部運用第2課 国際地域調整官 |
陸上自衛隊富士学校機甲科部副部長 |
34 | 二宮充史 | 2022年 | 3月14日 -富士教導団本部高級幕僚 |
主要装備
過去の装備
脚注
- ^ 十八万十三個師団への道 檜六郎 株式会社ジャパンミリタリー・レビュー 軍事研究 1985年4月号 P152-165
- ^ 第11普通科連隊創隊60周年記念誌より
- ^ a b 師団改編と旅団化 田村尚也 株式会社ジャパンミリタリー・レビュー 軍事研究 2004年9月号 P114-122
- ^ 機甲太鼓 / 第11普通科連隊の紹介
- ^ 事故の中間報告(千歳市)
- ^ 人為ミスか、燃料缶貫通 北海道・恵庭の陸自誤射 2015年3月18日 北海道新聞社 どうしんウェブ電子版 2015年3月19日閲覧
- ^ 機関銃誤射、前の戦闘車被弾 けが人なく自衛隊公表せず 2015年3月18日 苫小牧民報社 2015年3月19日閲覧
- ^ 陸自訓練で誤射 車両一部破損 2015年3月18日 NHK北海道 2015年3月19日閲覧
- ^ 陸自が誤射、戦闘車を破損 2月の訓練 地元・恵庭市に報告せず 2015年3月18日 北海道新聞社 どうしんウェブ電子版 2015年3月19日閲覧
- ^ 陸自第7師団の訓練で機関銃誤射 地元自治体に連絡せず 2015年3月18日 朝日新聞 2015年3月19日閲覧
- ^ “本部管理中隊 / 第11普通科連隊の紹介 / 陸上自衛隊 第7師団ホームページ”. www.mod.go.jp. 2020年5月1日閲覧。
- ^ 防衛省人事発令(2016年 5月22日) (PDF) 南スーダン派遣施設隊付
- ^ 防衛省人事発令(2016年 6月13日) (PDF) 南スーダン派遣施設隊長
- ^ 防衛省人事発令(2016年12月12日) (PDF) 南スーダン派遣施設隊付
- ^ 防衛省人事発令(2016年12月17日) (PDF) 第11普通科連隊長
参考文献
“防衛省人事発令”. 2015年8月1日閲覧。