第二次木津川口の戦い

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第二次木津川口の戦い
Japanese-Tokugawa-Ship-Ataka-Maru.png
織田信長軍が使用した安宅船
戦争戦国時代 (日本)
年月日1578年12月4日
場所木津川口
結果:織田水軍の勝利
交戦勢力
毛利水軍Alex K Hiroshima Mori kamon.svg
村上水軍
織田水軍Oda emblem.svg
指導者・指揮官
村上武吉 九鬼嘉隆Hidari mitsudomoe.svg
戦力
600隻 鉄甲船6隻
損害
不明 不明
織田信長の戦い

第二次木津川口の戦い(だいにじきづがわぐちのたたかい)は、天正6年(1578年)11月6日に毛利氏織田氏との間に起こった海戦である。

戦闘までの経緯[編集]

第一次木津川口の戦いで敗れた織田信長は、天正6年6月、九鬼嘉隆に命じて、伊勢湾で大安宅六艘を建造させ[1]、滝川一益にも一艘の大船を建立させている[2]。大鉄砲を備えて6月に完成すると、6月26日に熊野浦に進んだ[2]。 天正6年(1578年)9月30日、新造船は信長の船揃いをうけた[3]。そのあと大坂表に出動して、本願寺の海上補給ルートの遮断任務についた[3]


この大型船の大きさは『多聞院日記』の天正6年(1578年)7月20日条に「横へ七間、堅へ十二、三間もこれ在り」とあることから、長さ十二、三間、幅七間(一間は約1.8メートル)であったと考えられているが、これでは幅に比べて長さが短かすぎる[4]

これに対して、『信長公記』の伝本のうち尊経閣文庫所蔵の一本(外題『安土日記』、江戸時代の写本)では、九鬼嘉隆が建造した六艘について、巻十一に「長さ十八間、横六間」と記載されていることから[5]、長さ十二、三間、幅七間という寸法は、長さ十八間、幅六間に訂正する必要があるのではないかと指摘されている[6]

戦闘[編集]

11月6日、九鬼氏を旗艦とする織田水軍にたいして、毛利水軍は600艘の軍船を率いて木津河口に進出し海戦が行われた[3]。 6日午前8時ころに開始された海戦は、はじめ九鬼の大船を毛利軍が取り籠めるように船団を動かすなど、織田軍は劣勢にみえた[7]。しかし、毛利水軍を間近に引きつけて、毛利方の大将の船らしいのをねらって大鉄砲で打ち崩す作戦をとったところ、毛利方は恐れて近づこうとしなくなり退却した[7]。こうして戦闘は4時間ほどで終わり、毛利方の補給作戦は阻止されたのである[7]。 『信長公記』では、織田水軍の圧勝を伝えている[3]。 その一方で、「織田方が勝利、毛利の兵糧入れを阻止した」という記述は信長公記以外に乏しく、毛利方の一次資料(毛利家文書)によれば毛利水軍は木津浦に着岸しており、下間頼廉と協議した上、織田方から寝返った荒木村重も加えて持久戦の体勢を整えた、とあり第一次木津川口の戦いのような一方的に蹂躙された敗戦に比べれば「勝利」と呼べる形にはなったものの、信長公記でも具体的な戦果には触れておらず、以後も本願寺方から毛利方へ送られた兵糧搬入に対する謝辞の書状なども残っている事や、木津に毛利方水軍の拠点を作られている事、九鬼嘉隆が兵糧の欠乏に陥り、堺から当座の補給を受けている事(宮部文書)から九鬼氏が本拠からの輸送を雑賀衆堀内氏善ら反信長勢力に妨害されている事などが窺え、本願寺への海上補給は継続し、完全封鎖とはならず、毛利方の圧倒的な優勢から織田・毛利の水軍勢力の拮抗程度に収まっており、織田方の「大本営発表」であるとの見方もある。[8]本願寺への補給が途絶えるのはこの一戦が決め手となったというわけではなく、この後、数年の間に宇喜多氏の織田方への寝返りや別所長治荒木村重ら反信長勢力の駆逐などによって、毛利領から大阪湾へ続く陸路が制圧されていった結果、水軍衆の輸送業務が容易ではなくなり多大な負担となった事や、本拠から孤立しかねない状況になっていった事から淡路島に在陣していた児玉就英が無断撤退するなどの要因が大きくなっていった事が挙げられる。[9]

参考史料[編集]

参考文献[編集]

  • 宇田川武久「毛利氏の水軍編成」(河合正治編『毛利元就のすべて』新人物往来社、1986年)
  • 藤本正行『信長の戦国軍事学―戦術家・織田信長の実像―』(JICC出版局、1993年)
  • 池上裕子『織田信長』(吉川弘文館、2012年)
  • 小川雄「水軍と海賊の戦国史」(平凡社、2020年)

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ 宇田川 1986, p. 128.
  2. ^ a b 池上 2012, p. 166.
  3. ^ a b c d 宇田川 1986, p. 132.
  4. ^ 藤本 1993, p. 256.
  5. ^ 藤本 1993, p. 257.
  6. ^ 藤本 1993, p. 258.
  7. ^ a b c 池上 2012, p. 169.
  8. ^ 小川 2020, p. 108.
  9. ^ 小川 2020, p. 110.

関連項目[編集]