第一次木津川口の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

第一次木津川口の戦い(だいいちじきづがわぐちのたたかい)は、1576年天正4年)に毛利氏織田氏との間に起こった戦い。

織田信長軍の攻囲を受ける石山本願寺への兵糧搬入を目的とした毛利水軍小早川水軍村上水軍を中心とする瀬戸内水軍戦力と、それを阻止せんとする織田方の水軍戦力が大阪湾木津川河口(現在の大阪市大正区に位置する木津川運河界隈)で激突した。

実際の戦闘では毛利方の水軍の使用する焙烙玉雑賀衆の使用する焙烙火矢の前に織田方の水軍は壊滅的な打撃を受け、石山本願寺への兵糧搬入という当初の目的を毛利方が果たす結果となった。

第一次木津川口の戦い
戦争戦国時代 (日本)
年月日天正4年7月13日1576年8月7日
場所木津川口
結果:瀬戸内水軍衆の勝利、石山本願寺への補給路確保
交戦勢力
毛利水軍Alex K Hiroshima Mori kamon.svg
小早川水軍Japanese Crest mitu Tomoe 1.svg
村上水軍
織田水軍Oda emblem.svg
指導者・指揮官
乃美宗勝
村上元吉
九鬼嘉隆Kuyo.svg
戦力
約700隻 約300隻
損害
不明 壊滅的打撃
織田信長の戦い

主な参戦部将[編集]

毛利方[編集]

毛利方の参戦部将として戦闘経過をまとめた当時の注進状に名を残している以下の部将が挙げられる。能島村上氏の当主村上武吉や、まだ幼かった来島村上氏の当主来島通総は参戦しなかったようであるとされている。

参加戦力7~8百隻

織田方[編集]

伊勢の九鬼嘉隆を総大将として『信長公記』による参加武将

  • 真鍋七五三兵衛(討死)
  • 沼野伝内(討死)
  • 沼野伊賀(討死)
  • 沼野大隅守
  • 宮崎鎌大夫(討死)
  • 宮崎鹿目介(討死)
  • 尼崎の小畑氏(討死)
  • 花隈の野口氏(討死)

参加戦力3百余隻

関連項目[編集]

関連作品[編集]