私を野球につれてって (映画)

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私を野球につれてって
Take Me Out to the Ball Game
監督 バスビー・バークレー
脚本 ハリー・トゥージェント
ジョージ・ウェルズ
ジーン・ケリー
スタンリー・ドーネン
製作 アーサー・フリード
出演者 フランク・シナトラ
ジーン・ケリー
エスター・ウィリアムズ
ベティ・ギャレット
音楽 アドルフ・ドイチュ
撮影 ジョージ・J・フォルシー
編集 ブランチ・シュウェル
配給 メトロ・ゴールドウィン・メイヤー
公開 アメリカ合衆国の旗 1949年4月
上映時間 93分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
興行収入 4,000,000ドル
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私を野球につれてって』(Take Me Out to the Ball Game)は、1949年ジーン・ケリーフランク・シナトラ主演のテクニカラーミュージカル映画である。 タイトルとテーマは、アメリカの野球の非公式の祝歌『Take Me Out to the Ball Game(私を野球につれてって)』より採用。 映画はイギリスで公開され好評を受けるが、日本では劇場未公開。

あらすじ[編集]

時代は同名曲が作られた1908年。架空のプロ野球チーム、ウルウズの選手であるエディー・オブライアン(ジーン・ケリー)とデニス・ライアン(フランク・シナトラ)の2人が主役。2人はシーズンオフの間は舞台芸人でもある。 チームに新しいオーナーが来ることになり、それが女性(K.C.ヒギンズ(エスター・ウィリアムズ))であることが判明すると悩みの種も増える。 そのうち、デニスは彼女に惹かれるが、同時にエディも彼女に惹かれる。 また、その頃デニスは熱烈的なファン(シャーリー・デルウイン(ベティ・ギャレット))に追い回される。 その後、彼らは、相手チームに巨額の賭け金を投じているギャングたちと戦うことになる。

製作過程[編集]

水中レビュー映画スターであったエスター・ウィリアムズは、作家であり振付師であるスターのジーン・ケリーとの映画撮影を快く過ごしていなかった。 この映画に関して「本当に惨めだった」と書かれた彼女の自叙伝では、ジーン・ケリースタンリー・ドーネンが彼女を軽視した扱いをし、彼女の費用で悪ふざけをしたと主張する。 ジーン・ケリーが5フィート7インチ、エスター・ウィリアムズが5フィート10インチでジーン・ケリーは身長差が不快だったのだとも主張。 ディレクターのバスビー・バークレイは当初エスター・ウィリアムズのために水中レビューシーンを計画したが、ジーン・ケリーによって拒絶された。 しかしエスター・ウィリアムズフランク・シナトラとの強い契約を作った。 エスター・ウィリアムズ自身も、彼女が野球チームのオーナーであるK.C.ヒギンズ役の第一候補でないと主張。 当初はジュディ・ガーランドが予定されていたが、薬物乱用問題のため代役となった[1]。 同様にフランク・シナトラ演じるデニス・ライアン役は当初プロ野球選手レオ・ドローチャーを予定していた[2]

キャスト[編集]

スタッフ[編集]

評判[編集]

「私を野球につれてって」は4,000,000ドルを稼ぎ続け、興業成績で成功といえる。 そこそこ肯定的な論評を受けたが、一部の論評家はキャストが実力以上の良さを感じたが、映画は「一貫したスタイルとテンポ」が不足しているとの評価をした[3]

賞について[編集]

1950年、ハリー・テュージェンドジョージ・ウェルズは「最高アメリカミュージカル脚本賞」のアメリカ脚本家組合賞部門にノミネートされた。 賞は「私を野球に連れてって」の4ヶ月後に公開され、同じくアーサー・フリードプロデュースであり、ジーン・ケリーフランク・シナトラベティ・ギャレットジュールス・マンシン出演のMGMミュージカルである「踊る大紐育」のベティ・コムデンアドルフ・グリーンが受賞した。

脚注[編集]

外部リンク[編集]