磐紀一郎

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磐 紀一郎(ばん きいちろう、1938年12月24日[1] - )は、日本の作家、アニメスタッフ。以前は、石津嵐(いしづ あらし)の筆名で活動していた。日本の女優声優石津彩は娘[1]。アニメ美術監督の石津節子は元妻[2][3][4]

経歴[編集]

福島県いわき市生まれ[5]。生まれたのが嵐の夜だったため、網元だった父に嵐と命名される[6]。演劇青年で日本大学芸術学部[7]中退後、友人と劇団を立ち上げたが、失敗の連続から野宿生活をするまでに食い詰める[6]。「アニメーション映画スタッフ募集」という新聞広告を見つけて、応募[8]。アニメについての知識は皆無で社長が手塚治虫であることも知らずに、映画の仕事が出来ると思って応募し、1962年暮れに虫プロダクションへ入社する[8][9]。入社してすぐに放送開始が迫っていた『鉄腕アトム』の制作進行を担当。りんたろうが『鉄腕アトム』第26話で演出デビューする際には石津が手伝い、肩書きが演出助手となる[10]。後に文芸演出課へ異動した[9]。文芸演出課を演出課と文芸課に分割した際は初代の文芸課長を務めた[11][12][13]豊田有恒とは同い年で仲が良く、豊田がスパイと疑われたW3事件では文芸課長だった石津のみが唯一豊田を擁護してかばった[14]

虫プロ退社後、豊田の紹介で1967年に『冒険ガボテン島[15]などのシナリオライターを経て[16]旺文社の『中一時代』から『中三時代』などにジュブナイルを発表[17]1974年に豊田からの依頼による『宇宙戦艦ヤマト』の小説化[18]で本格的に作家活動を始め[17]、後に日本SF作家クラブ会員に[16]。同時期には、虫プロ時代に結婚した当時の妻の石津節子とセツ・アドセンターというスタジオを設立[19]石黒昇、矢沢則夫、小森徹、棚橋一徳が1969年に設立したジャパン・アート・ビューロー(JAB)には顧問としてアドバイスした[20]

人物[編集]

虫プロ勤務時代のニックネームは「アオちゃん」[9][11]、「アオさん」[21][22]

虫プロ美術室にいる川崎節子(石津節子)に惚れて着流しで出社[23]。当時の石津を演出課長だった山本暎一はでかい態度だったと語っている[12]。『鉄腕アトム』の第20話では石津がモデルになったキャラクターが石津博士の名前で登場した[24]

漫画家のすがやみつるとは自宅が近所であり、家族ぐるみの付き合いをしている[25]。『マンガ少年』(朝日ソノラマ)には、石津が原作、すがやが作画を担当した漫画「鳥よ、飛びたて!!」(1977年臨時増刊号「TVアニメの世界」)、「味覚との遭遇」(1978年臨時増刊号「SFTV・コミック・アニメ・映画の世界」)が掲載されている。

著作[編集]

石津嵐[編集]

TVアニメ『鉄腕アトム』『冒険ガボテン島』、特撮テレビドラマ『キャプテンウルトラ』などで脚本を執筆している放送回もある。

磐紀一郎[編集]

脚注・出典[編集]

  1. ^ a b すがやみつる (2004年12月25日). “すがやみつるの雑記帳:石津嵐生誕記念パーティー”. 2017年9月7日閲覧。
  2. ^ 皆河有伽『小説手塚学校2』講談社、2009年、p.121
  3. ^ 石黒昇小原乃梨子『私説・アニメ17年史』大和書房、1980年、p.102
  4. ^ 豊田有恒『日本SFアニメ創世記 虫プロ、そしてTBS漫画ルーム』TBSブリタニカ、2000年、p.136
  5. ^ 石津嵐『秘密の手塚治虫』太陽企画出版、1980年。カバーの「著者紹介」
  6. ^ a b 皆河(2019)、p.31
  7. ^ 「執筆者紹介」『マンガ批評大系・別巻 手塚治虫の宇宙』竹内オサム村上知彦編、平凡社、1989年、p.271
  8. ^ a b 峯島正行 (2016年5月16日). “私の手塚治虫(25)”. Web遊歩人. 2017年9月7日閲覧。
  9. ^ a b c コラム:虫さんぽ 第8回 練馬区富士見台・虫プロ界隈を石津嵐さんと歩く!!”. 手塚治虫公式Web (2010年). 2017年9月7日閲覧。
  10. ^ 皆河(2009)、p.106、109
  11. ^ a b 峯島正行 (2012年7月30日). “私の手塚治虫(3)”. Web遊歩人. 2017年9月7日閲覧。
  12. ^ a b 山本暎一『虫プロ興亡記 安仁明太の青春』新潮社、1989年、p.134
  13. ^ 石津嵐「解説」『西遊記+α』豊田有恒、角川文庫、1977年、p.286
  14. ^ 豊田(2000)、p.80、148、162
  15. ^ 豊田(2000)、p.216
  16. ^ a b 石津嵐「さようなら、手塚治虫先生」『マンガ批評大系・別巻 手塚治虫の宇宙』竹内オサム村上知彦編、平凡社、1989年、p.251。初出は『青春と読書』1989年4月号
  17. ^ a b 横田順彌『SF大辞典』角川文庫、1986年、p.82
  18. ^ 豊田有恒『「宇宙戦艦ヤマト」の真実』祥伝社新書、2017年、p.112
  19. ^ 石黒・小原(1980)、p.158
  20. ^ 石黒・小原(1980)、p.159
  21. ^ 石津(1980)、p.29
  22. ^ 辻真先『TVアニメ青春記』実業之日本社、1996年、p.67
  23. ^ 柴山達雄「虫プロてんやわんや」『虫プロてんやわんや 誰も知らない手塚治虫』創樹社美術出版、2009年、p.31
  24. ^ 皆河(2009)、p.104
  25. ^ すがやみつる 『仮面ライダー青春譜』 ポット出版2010年[要ページ番号]ISBN 9784780851243