知々夫国造

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知々夫国造家
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本姓 大伴部氏(嫡流)
家祖 知々夫彦命
種別 神別(天孫)
主な根拠地 知知夫国(のちの武蔵国秩父郡
著名な人物 知知夫狭手男
支流、分家 三宅氏
凡例 / Category:日本の氏族

知々夫国造(ちちぶのくにのみやつこ/ちちぶこくぞう)は、武蔵国西部を支配した国造知知夫国造秩父国造とも。

概要[編集]

祖先[編集]

八意思兼命(オモイカネ)。八意思兼命は天孫降臨において皇統直系の神の瓊々杵尊(ニニギ)に伴って地上に降臨した知恵の神であり、子に天表春命・天下春命がいる。そのうちの天下春命の八世孫の味見命の子に知知夫彦命(ちちぶひこ の みこと)がいるが、『先代旧事本紀』の「国造本紀」によれば、その知知夫彦命が崇神天皇10(紀元前87)年に初代知々夫国造に任命されたという。

氏族[編集]

景行朝の天上腹・天下腹(後述)の子孫であると伝わる大伴部氏(は直)。ヤマト王権で軍事を担当していた有力氏族の大伴氏(姓は)や、賀茂氏(初代葛城国造剣根命の兄弟生玉兄日子命の子孫)とは同祖である(みな知々夫国造の祖先八意思兼命の父であるタカミムスビの子孫)。

支配領域[編集]

武蔵国西部にあった知知夫国。知知夫国は現在の埼玉県秩父地方を中心とした地域のことであるといわれる。知知夫国はのちに令制国の整備にともなって、无邪志国造がおさめた无邪志国と合わさって武蔵国となり範囲はそのなかの秩父郡に引き継がれた。秩父が古くから開かれた土地であったことは、のちに同じ令制武蔵国の領域となる地域に設置された国造の中でも知知夫国造がほかの无邪志国造、胸刺国造に先んじて定められていることからも分かる。

氏神[編集]

秩父神社。『先代旧事本紀』の「国造本紀」によれば、知知夫彦命は崇神天皇10(紀元前87)年に祖神である八意思兼命を祀ったといい、秩父神社はこのことに始まるとされる。また現在は知知夫彦命自身も秩父神社の祭神となっているが、これは知知夫彦命の九世子孫である知知夫狭手男が允恭天皇年間(412年-453年)に合わせて祀ったためであるといわれる。秩父神社の祭神は現在も八意思兼命や知知夫彦命などである。

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国神塚古墳とよばれている古墳が知知夫彦命の墳墓であるとされており、埼玉県秩父郡皆野町国神にある埼玉県天然記念物の「国神の大イチョウ」はその脇に植えられたイチョウであると伝えられている。かつてはその周辺にも数基の古墳が存在していたという。[1]

子孫[編集]

  • 天上腹・天下腹 - 知々夫国造(大伴部氏)の上祖と伝わる。二人はともに磐鹿六狩命に従って景行天皇に料理を献上した。
  • 大伴部赤男 - 奈良時代の武蔵国入間の豪族。外従五位下。知々夫国造の末裔と伝わる。
  • 秩父氏 - 桓武平氏良文流の一族。平良文の孫で、桓武天皇6世にあたる平将恒を祖とする。知々夫国造の子孫との説もあり[2]、知々夫国造家の娘と婚姻関係を結び吸収同化することで秩父氏を称した可能性がある。畠山氏、河越氏、江戸氏、渋谷氏、葛西氏など秩父平氏と呼ばれる多くの支流を出している。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 国神の大イチョウ - 皆野町
  2. ^ 『姓氏』(監修:樋口清之/著者:丹羽基二秋田書店

参考文献[編集]