白洪錫

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白 洪錫
生誕 1890年1月11日
Flag of Korea (1882–1910).svg 大朝鮮国平安南道徳川郡
(現朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国徳川市
死没 (1960-10-04) 1960年10月4日(70歳没)
所属組織

大日本帝国陸軍の旗 大日本帝国陸軍

Flag of the Republic of Korea Army.svg 大韓民国陸軍
軍歴 1915 - 1945(日本陸軍)
1948 - 1949(韓国陸軍)
最終階級 陸軍中佐(日本陸軍)
陸軍准将(韓国陸軍)
墓所 国立大田顕忠院将軍第1墓域176号
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白洪錫
各種表記
ハングル 백홍석
漢字 白洪錫
発音: ペク・ホンソク
日本語読み: はく こうしゃく
ローマ字 Paik Hong-seok
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白 洪錫(ペク・ホンソク、1890年1月11日 - 1960年10月4日)は、大日本帝国陸軍及び大韓民国陸軍軍人韓国在郷軍人会初代会長。日本名徳川栄一(とくがわ えいいち)。日本統治下の朝鮮出身の日本陸軍軍人としては、王公族軍人を除くと、洪思翊中将、金錫源大佐に次いで高い階級(中佐)に昇った。

生涯[編集]

平安南道徳川郡(現:北朝鮮徳川市)出身。大韓帝国陸軍武官学校に学ぶも日韓併合に伴い日本陸軍中央幼年学校に転入、陸軍士官学校へ進学し1915年に卒業(第27期)。岡山市第17師団歩兵第54連隊付となり、陸軍歩兵少尉に任官。1919年には歩兵中尉に進級。

1937年に朝鮮・平壌の第17師団歩兵第54連隊に転補される。1939年に歩兵少佐に進級すると共に新義州地域防空司令官となり、一時期、平安北道防空委員会委員を務めた。1944年に予備役に編入されるが、召集され、中佐に進級して京城陸軍司令部の課長に補され、朝鮮人の兵役・動員を担当した。

1948年、韓国陸軍入隊、任大領(軍番12447番)、国防部兵務局長[1]。1949年1月7日、特別部隊司令官[2]。1951年、ソウル地区兵事区司令官[3]。1952年、国防部兵務局長[4]。同年2月、韓国在郷軍人会初代会長。同年11月、国防部兵務監(准将)[5]。1954年、東部地区警備司令官。1955年、第33師団長。

叙勲[編集]

出典[編集]

  1. ^ 佐々木春隆 『朝鮮戦争/韓国編 上巻』、204頁。
  2. ^ 6・25戦争史 第1巻 (PDF)” (韓国語). 国防部軍事編纂研究所. pp. 343. 2016年10月9日閲覧。
  3. ^ 서울지구 병사구사령관, 서울지구 국민병 소집은 낭설” (韓国語). 国史編纂委員会. 2016年2月10日閲覧。
  4. ^ 국방부 병무국장, 징병 기피행위 엄단 담화 발표” (韓国語). 国史編纂委員会. 2016年2月10日閲覧。
  5. ^ 국방부 병무감 白洪錫준장, 노무동원에 대해 기자회견” (韓国語). 国史編纂委員会. 2016年2月10日閲覧。
  6. ^ Paik Hong Suk”. Military Times. 2016年2月20日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

公職
先代:
-
大韓民国の旗 大韓民国在郷軍人会会長
初代:1952.2.1 - 1952.9.9
次代:
朴勝薫