田畑ヨシ

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たばた ヨシ

田畑 ヨシ
生誕 (1925-01-06) 1925年1月6日
岩手県宮古市田老地区
死没 (2018-02-28) 2018年2月28日(93歳没)
青森市民病院
死因 出血性胃潰瘍
国籍 日本の旗 日本
著名な実績 自作の紙芝居による防災教育
代表作 『つなみ』(紙芝居)
栄誉 海岸功労者表彰者(社団法人・全国海岸協会、2006年度)
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田畑 ヨシ(たばた ヨシ、1925年大正14年〉1月6日[1] - 2018年平成30年〉2月28日)は、日本岩手県宮古市田老地区出身の津波防災教育活動家。

昭和三陸津波体験をもとに紙芝居『つなみ』を自作し、地区内外の児童に講演で津波の恐怖を語り続け、地域の防災教育に貢献してきた。東日本大震災を機に、30年以上にわたる彼女の地道な啓発活動が脚光を浴び、「津波の語り部」として全国的に知られることになった[2]。社団法人・全国海岸協会による「海岸功労者」の2006年度表彰者の1人[1]

来歴[編集]

岩手県下閉伊郡田老村(現・宮古市田老地区)に生まれる。幼少時からかつて明治三陸地震の大津波を体験した祖父より、津波の恐ろしさを毎晩のように言い聞かされながら育った。身をもって津波の恐ろしさを知っていたヨシの祖父は、家族以外、特に他の土地からの転居者にも津波のことを語り続けてきた[3]

1933年、ヨシが8歳のときに昭和三陸地震が発生、大津波が押し寄せる中、祖父の教え「命てんでんこ」が功を奏し、山の上に避難して生き延びた。周囲には同様に、ヨシの祖父の教えにより生き延びたと語る人々が大勢いたことから、言い伝えによる教訓の重要さを認識する[3]。ただしこの時の地震で母親を失っている。

祖父の教えと自身の体験をもとに紙芝居『つなみ』を制作。以来30年以上にもわたり地域の園児、児童、修学旅行生、観光客たちに紙芝居を聞かせるボランティア活動を通し、後世に津波の恐怖と対処方法を訴え続けてきた[3][4][5]。その活動の模様はテレビ朝日の『テレメンタリー』などでも取り上げられた[6][7]2006年にはその功績を称えられ、社団法人・全国海岸協会により海岸事業の推進・海岸愛護・調査・研究などの功労者へ贈られる「海岸功労者」として表彰された。

2011年には、東日本大震災により人生で2度目の津波を体験した。同震災後は岩手の自宅が津波で流されたため、青森県青森市の息子夫婦のもとに身を寄せ、避難生活の中にもかかわらず同年5月より紙芝居の読み聞かせを再開していた[8][9]

2018年2月28日午後1時27分、出血性胃潰瘍のため青森市民病院で死去した[10]。93歳没。

紙芝居『つなみ』[編集]

田畑ヨシが1979年に制作した手製の紙芝居。本来は県外へ転居していた長女一家が県内へ転居してきた際、孫たちに津波の体験を聞かせるために作ったものだが後に周囲の評判を呼び、県内の小中学校や消防団から紙芝居講演の依頼が舞い込みむようになると、紙芝居の読み聞かせを開始した[5][11]。内容は、幼いヨシが祖父から津波の教訓を聞かされながら育ち、やがて実際に昭和三陸地震の津波に遭うといった実体験の物語で構成されている。

2011年の東日本大震災では、学校への配布物として印刷するために高台の役所に預けられていたため、紙芝居は津波の被害を免れる。同年、岩手大学教授・山崎友子の監修により、英訳と解説文を加えて絵本化され、産経新聞出版より市販された[12]。防災教育に役立てたいとの依頼により、各地の小中学校や自治体にもこの絵本が置かれるようになった[13]。また山崎友子のウェブサイトでもPDFファイルにより全ページを閲覧できる[14]

東日本大震災後の講演においては、現代にも通じる内容と素朴な絵と優しい語り口が同震災の被災者の間で脚光を浴びている[15]。同震災の被災者の中には、この紙芝居を聞いていたおかげで助かったと語る者もいる[16]。山崎は本作について昭和初期の津波を綴った作品にもかかわらず、その教訓が現代にも通じること、防災、自然との共生、愛情がテーマに込められており[4]、かつ作者が東日本大震災後に講演を再開したことで「生きる」という新たなテーマが加えられていると評価している[17]

作詞活動[編集]

東日本大震災の1か月後、震災の悲しみだけではなく、希望に繋げるかたちで震災の悲劇を伝えようとかつて昭和三陸地震の犠牲者を弔うために2003年に自作した詩をもとに作詞を開始。震災から約2か月後、「海嘯鎮魂の詩(つなみちんこんのうた)」の題で詩が完成した[18]東京都の3人組バンドのサスライメイカーが作曲と歌を担当[19]。以来、各地でサスライメイカーによるチャリティーライブが続けられている[19][20]

脚注[編集]

  1. ^ a b 山崎監修 2011, p. 32
  2. ^ 津波の語り部になって 宮古、紙芝居伝承の田畑さん」『岩手日報』、2011年6月4日。2012年7月15日閲覧。オリジナルの2011年6月5日時点におけるアーカイブ。
  3. ^ a b c 郡司他編 2011, pp. 184–185
  4. ^ a b 山崎監修 2011, p. 1
  5. ^ a b ずっと語り継ぐ”. 減災に挑む30のストーリー いのちをまもる智恵. 特定非営利活動法人 レスキューストックヤード (2007年). 2011年9月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年7月15日閲覧。
  6. ^ 命てんでんこ チリ地震津波から50年 忘れてはならない記憶”. 岩手朝日テレビ (2010年6月20日). 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年9月11日閲覧。
  7. ^ 続・命てんでんこ 津波と歩んだ人生”. 岩手朝日テレビ (2011年4月23日). 2011年4月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年9月11日閲覧。
  8. ^ 津波の恐怖、教訓 紙芝居で伝える/青森」『デーリー東北』デーリー東北新聞社、2011年8月10日。2015年1月12日閲覧。オリジナルの2011年9月8日時点におけるアーカイブ。
  9. ^ 被災者の笑顔の陰に……」『産経新聞産業経済新聞社、2011年8月17日。2012年7月15日閲覧。オリジナルの2011年9月8日時点におけるアーカイブ。
  10. ^ 津波の語り部、田畑ヨシさん死去」『ロイター』、2018年3月1日。2018年10月11日閲覧。オリジナルの2018年3月1日時点におけるアーカイブ。
  11. ^ 検証・大震災:砕かれた巨大防潮堤 (6) 伝承 8歳の体験、紙芝居で子供らに」『毎日新聞毎日新聞社、2011年5月11日。2012年7月15日閲覧。オリジナルの2011年9月9日時点におけるアーカイブ。
  12. ^ 山根聡「児童書 『おばあちゃんの紙しばい つなみ』田畑ヨシ作、山崎友子監修」『産経新聞』、2011年8月14日。2015年1月12日閲覧。オリジナルの2011年9月20日時点におけるアーカイブ。
  13. ^ 津波の絵本で防災教育 岩手大が沿岸小中学校へ寄贈」『岩手日報』、2011年6月21日。2015年1月12日閲覧。オリジナルの2011年9月8日時点におけるアーカイブ。
  14. ^ 子ども達に語り継ぐ津波体験 紙しばい つなみ” (PDF). 山崎友子研究室. 岩手大学. 2011年9月11日閲覧。
  15. ^ 2度の大津波、語り継ぐ 体験を紙芝居と詩に、岩手の86歳女性」『産経新聞』、2011年6月9日。2012年7月15日閲覧。オリジナルの2011年9月20日時点におけるアーカイブ。
  16. ^ 「津波 紙芝居で語り継ぐ 岩手から避難の86歳 8歳の経験もとに自作」『読売新聞読売新聞社、2011年9月5日、東京朝刊、29面。
  17. ^ 山崎監修 2011, p. 31.
  18. ^ 85) 田畑ヨシさん・3」『朝日新聞朝日新聞社、2011年7月6日。2012年7月15日閲覧。オリジナルの2011年9月8日時点におけるアーカイブ。
  19. ^ a b 〈東日本大震災〉Jポップバンドが歌う「海嘯鎮魂」田老の語り部の詩に曲」『盛岡タイムス』、2011年5月25日。2011年9月11日閲覧。オリジナルの2013年4月27日時点におけるアーカイブ。
  20. ^ 【宮古】復興へ船出、歌声力強く 東京のバンドがライブ」『岩手日報』、2011年5月23日。2012年7月15日閲覧。オリジナルの2011年9月11日時点におけるアーカイブ。

著作[編集]

  • 『つなみ おばあちゃんの紙しばい』山崎友子監修、産経新聞出版、2011年7月14日。ISBN 978-4-8191-1136-2 

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]