津波てんでんこ

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津波てんでんこ(つなみてんでんこ)は、津波からの避難についての標語ないしは合い言葉である。

この標語は、1990年(平成2年)に岩手県下閉伊郡田老町(現・宮古市)にて開催された第1回「全国沿岸市町村津波サミット」において、津波災害史研究家である山下文男らによるパネルディスカッションから生まれた[1][2][3]ものであり、比較的新しい標語である。

これに対して、三陸地方では昔から「津波起きたらてんでんこだ」と伝えられてきたという。同様の標語に、自分の命は自分で守れという意味の「命てんでんこ」があり[3][4]、「てんでんこ」の形の標語ないし合い言葉は古くからあると考えられている。

意味[編集]

「てんでんこ」は、「各自」「めいめい」を意味する名詞「てんでん」に、東北方言などで見られる縮小辞「こ」が付いた言葉。すなわち、「津波てんでんこ」「命てんでんこ」をそのまま共通語に置き換えると、それぞれ「津波はめいめい」「命は各自」になる。

「津波てんでんこ」「命てんでんこ」を防災教訓として解釈すると、それぞれ「津波が来たら、取る物も取り敢えず、肉親にも構わずに、各自てんでんばらばらに一人で高台へと逃げろ」「自分の命は自分で守れ」になるという。

また、「自分自身は助かり他人を助けられなかったとしてもそれを非難しない」という不文律でもあると言い、災害後のサバイバーズ・ギルト対策や人間関係修復の意味を言外に含むとされる[5]

矢守克也は、「津波てんでんこ」は、次の4つの意味を多面的に織り込んだ重層的な用語であることを、この言葉の成立史、東日本大震災やその他の津波避難事例に関する社会調査のデータ、及び集合行動に関する研究成果をもとに明らかにした[6][7][8]

  • 自助原則の強調(「自分の命は自分で守る」)津波から助かるため、人のことは構わずに、てんでんばらばらに素早く逃げる。
  • 他者避難の促進(「我がためのみにあらず」)素早く逃げる人々が周囲に目撃されることで、逃げない人々に避難を促す。
  • 相互信頼の事前醸成 大切な他者と事前に「津波の時はてんでんこをしよう」と約束し、信頼しあう関係を深める。
  • 生存者の自責感の低減(亡くなった人からのメッセージ)大切な他者とてんでんこを約束しておけば、「約束しておいたから仕方がない」と罪悪感が減る。

防災標語としての成立[編集]

「てんでんこ」の成立[編集]

「津波」と「てんでんこ」をつないだ「津波てんでんこ」ではなく、「てんでんこ」の形は古くからあったと考えられる。山下文男(1924年生まれ)の父親は、その祖父からこの言葉について聞かされていたという。また、山下と同様に、三陸の津波災害を語り継ぐ活動をしてきた田畑ヨシ(1925年生まれ)も明治の大津波を経験した祖父から「てんでんこ」という言葉を聞いている[9]。したがって、この「てんでんこ」の形では明治の三陸大津波を更にさかのぼり、少なくとも150年を超える歴史をもっていることは確かである[9]。「てんでんこ」は確かに三陸地方で長年にわたって伝えられてきた言葉であるが、ただし、その起源を正確にいつ頃までさかのぼることができるかは定かではない[9]

「津波てんでんこ」の成立[編集]

「津波」と「てんでんこ」をつないだ「津波てんでんこ」がこの形で古くから言い伝えられたものではないことは、山下文男自身が著書『津波てんでんこ』でハッキリと明言している[10]。1990年11月に岩手県田老町で開催された「全国沿岸市町村津波サミット(第一回)」において山下文男は、防災の意識に関して、次のような家族のエピソードを語った[1]。したがって、「津波てんでんこ」のように「津波」とセットされた形での使用の起源は定かではない[9]

山下が9歳のころ(1933年)の昭和三陸津波では、彼の父や兄弟は彼を置き去りにして逃げた(山下は末っ子)。山下の母は、後年に父親の非情さを度々なじったが、その都度、山下の父は「なに!てんでんこだ」と反論したという。山下の友人も多くは同じように置き去りにされており、集落内では「津波はまず各々が逃げることが大切」という行動規範は浸透していた。そうした点を踏まえ、山下の父の言葉は「こういうときは、みんなバラバラに逃げるものだ」と端的に述べたものと考えられる。

1990年のサミットで語った上記エピソードがとくに注目され、講演に参加した有識者ら(広井脩阿部勝征津村建四朗伊藤和明渡部偉夫)とのやりとりのなかで「津波」と「てんでんこ」を合成した「津波てんでんこ」という言葉ができた[1]。このような経緯を経て、防災の意識を高めるための標語として「津波てんでんこ」という言葉が1990年以降に使われるようになったのである。

その後、北海道南西沖地震1993年)や北海道十勝沖地震2003年)などで津波の被害が出るたびに、「津波てんでんこの話が被災地にもっと普及していれば……」とマスメディアに標語が取り上げられる機会があり、しだいに昔からある言い伝えかのような誤解が広がっていくことになる。2003年9月27日の朝日新聞の社説には、「三陸沖やチリの地震で津波の被害に何度もあっている三陸地方には、津波てんでんこという言い伝えがある」とはっきり書かれ、古い言い伝えであるという印象を抱かせる内容になっている[11]。なお、釜石市両石町では、標語の形ではないが、「津波起きたら命てんでんこだ」と昔から伝えられてきたという[3][12]

誤解と本来の意図[編集]

この「津波てんでんこ」の標語は、「てんでんこ」の語呂よい響きが手伝って、他人にかまわず逃げろという、ややショッキングなメッセージ性が強調され、利己主義だと誤解を受けやすい。

しかし、元々この言葉を防災の標語として提唱した山下文男は2008年の著作[13]で、この言葉に「自分の命は自分で守る」ことだけでなく、「自分たちの地域は自分たちで守る」という主張も込めていると述べており[14]、緊急時に災害弱者(子ども・老人)を手助けする方法などは、地域であらかじめの話し合って決めておくよう提案している[14]。つまり、標語の意図は「他人を置き去りにしてでも逃げよう」ということではなく、あらかじめ互いの行動をきちんと話し合っておくことで、離れ離れになった家族を探したり、とっさの判断に迷ったりして逃げ遅れるのを防ぐ[6]のが第一である。

山下がこの言葉の理解を広めるために、津波被害の象徴的な例として挙げているものには、北海道南西沖地震1993年)の奥尻島での津波における近藤家母子の悲劇がある。この事例では手をつないで避難していた母子3名が、途中で祖母の家に立ち寄ったため、わずかな時間差で命を落とした。その痛ましい教訓として山下が強調するのは、祖母がすでに避難していたのにもかかわらず、それを知らずに尊い命を落とした点であり、母がわが子を連れ立って逃げた点ではない。「津波てんでんこ」は、災害時の行動スキームもあらかじめ考え、互いに共有しておくことを唱えた防災思想であり、「ばらばらに自分だけでも逃げる」という行為は、その意志を共有することで互いを探して共倒れすることを防ぐための約束事である。これは、自分が助かれば他人はどうなっても良いとする利己主義とはまったく異なる。

近年の実践例[編集]

2011年東日本大震災で「釜石の奇跡」と呼ばれる事例では、「津波てんでんこ」を標語に防災訓練を受けていた岩手県釜石市内の小中学生らのうち、当日学校に登校していた生徒全員が生存し、話題となった。小中学生らは、地震の直後にこれまでの訓練通りにグラウンドに集合して点呼を取っていたら1人の教師に「なにやってんだ!早く逃げろ!」のとの指示で避難を開始。「津波が来るぞ、逃げるぞ」と周囲に知らせながら、保育園児のベビーカーを押し、高齢者の手を引いて高台に向かって走り続け、全員無事に避難することができた[15]。市教委は「常識ではあり得ないことが起きた訳では無く、訓練や防災教育の成果であり、実践した児童生徒自身が奇跡の意味は違うと(当初から)感じていた」と説明しており日頃の取り組みの積み重ねだった事を明かしている。市では奇跡という文言を使用せず「釜石の出来事」として扱っている[16]

市内の防災教育を指導し、「釜石の奇跡」の立役者となった片田敏孝教授の教えの内容は山下文男のまとめた「津波てんでんこ」の考え方と多くの共通点がある。具体的には、みずから状況判断して逃げること、災害弱者を助ける立場の者はあらかじめ明らかにしておくこと、家族はそれぞれ逃げると信じて行動することなどを指導しており、標語本来の意図とかなり近い考え方をもって防災教育を実践した。

両者の考え方で相違点を挙げるとすれば、率先して逃げる行為の捉え方がある。山下は、率先して逃げる者が避難を促すというポジティブな面を捉えてはいるが、一人でまず逃げるという行為は、最善の災害対策としてやむをえない「哀しい教え」であると評価している。しかし、片田はポジティブな捉え方を徹底している。片田は、現実にはほとんどの津波警報が杞憂に終わり、率先して逃げた者が「臆病者」というレッテルを受けやすいことを踏まえ、「それでも最初に誰かが逃げることで他者も続き、救われる命があるので、後ろ指さされる可能性を知りながら率先して逃げる者こそ本当に勇気がある者だ」という立場で教育している。釜石の奇跡においても、最初に率先して逃げ出したサッカー部の生徒を大きく評価しており、「津波てんでんこ」を行動に移す際の心理的ハードルを取り除く工夫が、山下とは異なる[17]

課題[編集]

2011年に発生した東日本大震災をきっかけに再び「津波てんでんこ」という言葉がマスメディアに露出することになった。「釜石の奇跡」と呼ばれる岩手県釜石市の事例によって、「津波てんでんこ」は防災教育の標語として全国的な注目を集めた。しかし、当事者の三陸地域の人々においてすら本来の意味とは違った「利己主義的な発想」との誤解が蔓延している状況がある[18][19]

2014年度のインターネットを通じた全国調査(767人が回答)では、約7割が「津波てんでんこ」という言葉を聞いたことがないと答えた。[20]

脚注[編集]

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注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c 山下(2008), p.232
  2. ^ 第8回 本の万華鏡 津波―記録と文学― 第1章 津波の記録―明治三陸地震津波と昭和三陸沖地震― 第3節 震災当時の記録をもとに作られた資料 17) 近代日本津波誌:写真資料/山下文男編著[東京:日本図書センターP&S, 2008.11 【ME75-J15】](国立国会図書館 2011年11月16日)
  3. ^ a b c あなたは鬼になれますか? なれなきゃ助からん。それが「命てんでんこ」さ。 (PDF) BE-PAL 2012年6月号
  4. ^ 東日本大震災から4年。三陸地方に伝わる言葉「てんでんこ」が伝えること tenki.jpサプリ(日本気象協会)、2015年3月10日
  5. ^ 注目ニュース90秒 「津波てんでんこ」 7割が知らず 動画による説明 毎日新聞、飯田和樹(科学環境部)、2016年10月
  6. ^ a b 矢守克也「「津波てんでんこ」の4つの意味 (東日本大震災特集) (PDF) 」 『自然災害科学』第31巻第1号、日本自然災害学会、2012年、 35-46頁、 ISSN 0286-6021NAID 40020876706
  7. ^ 第8部・教え(中)津波てんでんこ/避難と救助、消えぬ迷い わがこと防災・減災、河北新報、2013年6月24日
  8. ^ 「津波てんでんこの4つの意味」 矢守克也、京都大学防災研究所、巨大災害研究センター
  9. ^ a b c d 矢守(2013), p.83
  10. ^ 山下(2008), pp.232-233
  11. ^ 社説「津波てんでんこで」 朝日新聞、2003年9月27日
  12. ^ 未来の命を守るために 東日本大震災 釜石市教訓集、釜石市、pp.12-14
  13. ^ 山下(2008)
  14. ^ a b 山下(2008), p.53
  15. ^ 京都府向日市立西ノ岡中学校における片田敏孝教授の講演
  16. ^ 「津波避難”釜石の奇跡”に住民ら複雑」河北新報、2015年1月30日
  17. ^ サイエンスウィンドウ編集部「暮らしの中から電気を見直す :p.26 『「震災検証」被害を減らした防災教育』」『サイエンスウィンドウ』第5巻第3号、国立研究開発法人 科学技術振興機構、2011年、 1-36頁、 doi:10.1241/sciencewindow.20110503ISSN 1881-7807NAID 130007630820
  18. ^ 「てんでんこ」の扱いで論戦 釜石市議会特別委 河北新報、2011年10月25日 2012年8月20日時点のオリジナルよりアーカイブ
  19. ^ 河北春秋 河北新報、2011年12月9日 2011年12月19日時点のオリジナルよりアーカイブ
  20. ^ 津波 「てんでんこ」7割知らず 「薄情」と感じる人も 毎日新聞、2016年10月26日

参考文献[編集]

関連項目[編集]