「タオカス族」の版間の差分
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{{infobox 民族 |
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|民族 = タオカス族<br />道卡斯族 |
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|民族語名称 = Taukat |
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|画像 = 62淡水廳竹塹等社熟番.jpg |
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|画像の説明 = |
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|人口 = 約1000人 |
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|居住地 = [[台湾]]([[桃園市]]、[[新竹県]]、[[苗栗県]]、[[台中市]]) |
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|言語 = [[タオカス語]] |
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|関連 = |
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[[File:Formosan Distribution en.png|thumb|250px|台湾の民族分布。タオカス族は北西部の海岸地帯]] |
[[File:Formosan Distribution en.png|thumb|250px|台湾の民族分布。タオカス族は北西部の海岸地帯]] |
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Patay:祖霊祭である。男性しかお参りできなく、関係者以外の方と女性の立ち入り禁止。鹿肉、お酒、魚、おこわ、豚肉をお供えする。母語でご先祖に祈る。 |
Patay:祖霊祭である。男性しかお参りできなく、関係者以外の方と女性の立ち入り禁止。鹿肉、お酒、魚、おこわ、豚肉をお供えする。母語でご先祖に祈る。 |
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牽田祭(牽奠祭):旧暦八月15日、十五夜の前後に行う。当日の午前、マラソンみたいな成年式「Mata」を始め、参加者は頑張って走り、大潭という祖霊がいる淵/池で一旦集め |
牽田祭(牽奠祭):旧暦八月15日、十五夜の前後に行う。当日の午前、マラソンみたいな成年式「Mata」を始め、参加者は頑張って走り、大潭という祖霊がいる淵/池で一旦集め、正座で祖霊に拝んで伝え、供え物を水に投げてから、また走って戻る。優勝者は鹿の角で飾られた鉢卷き/帽子がもらえる。 |
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夕べに「扮番」という男性は蓑を着て、笠をかぶっている、銅鑼を打ち鳴らしながら、町内を巡って、今夜祭りが開催することを知らせる。元々は鹿の皮で衣装を着ていたそうである。 |
夕べに「扮番」という男性は蓑を着て、笠をかぶっている、銅鑼を打ち鳴らしながら、町内を巡って、今夜祭りが開催することを知らせる。元々は鹿の皮で作った衣装を着ていたそうである。 |
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牽田祭が行う前にもpatayを行う。 |
牽田祭が行う前にもpatayを行う。 |
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夜にいよいよ「舉大旗」を開き、「issama」と呼ばれる男性3名は旗を立て挿しているままに、布で体に縛り付けて、背負って、助手が側に丁寧に協力して、祭りの広場に入る。 |
夜にいよいよ「舉大旗」を開き、「issama」と呼ばれる男性3名は旗を立て挿しているままに、布で体に縛り付けて、背負って、助手が側に丁寧に協力して、祭りの広場に入る。 |
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旗竿は、3本の高さが約6~7メートルで |
旗竿は、3本の高さが約6~7メートルで、1本が長いと短い、2本の竹で組み立ってて作っておき、上に鈴を付け、赤リボンで飾られ、白布の旗が風に吹かれ、はためいており、ご先祖を迎えるように、立て揚げる。旗が倒れてしまうのは絶対許せない。倒れれば、大凶や縁起が悪いで、祭りが行っているところに、ちゃんと守らなければ、いけない。「牽大田(旗頭)」が歌われている時、丸一本の旗が背負われ。風が強すぎる場合と「牽小田」と「旗尾」のパートは、取り外して、ただ短い竹で作った旗を背負っても良い。 |
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昔、「issama」の資格審査があった。既婚2年以内、当年家族にお葬儀がない、初回「issama」担任など。選ばれてもらったら、祭りが無事終了になって、Hinpu(お餅のような米加工食品)を用意して、皆にお土産として配るので、経済力が無かったら、なれなかったそうである。それにまた忌があり、お嫁さんが妊娠中あるいはお葬儀のある男性、そして女性全員は旗にお触り厳禁。 |
昔、「issama」の資格審査があった。既婚2年以内、当年家族にお葬儀がない、初回「issama」担任など。選ばれてもらったら、祭りが無事終了になって、Hinpu(お餅のような米加工食品)を用意して、皆にお土産として配るので、経済力が無かったら、なれなかったそうである。それにまた忌があり、お嫁さんが妊娠中あるいは家にお葬儀のある男性、そして女性全員は旗にお触り厳禁。 |
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タオかス族は老若男女問わず、広場でお互いに手を繋がり、足を踏み、輪になって、踊りながら、祀る歌を唄っている。その時、旗を背負っている男性3名は踊りの輪に囲まれ、扮番が打ってる銅鑼が鳴ってるテンポによって、輪に沿って、踏んで歩いている。 |
タオかス族は老若男女問わず、広場でお互いに手を繋がり、足を踏み、輪になって、踊りながら、祀る歌を唄っている。その時、旗を背負っている男性3名は踊りの輪に囲まれ、扮番が打ってる銅鑼が鳴ってるテンポによって、輪に沿って、踏んで歩いている。 |
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Emalo祖霊祭:日本の学者伊能嘉矩と淺井惠倫が調査と報告書によって、旧暦の7月に開かったそうである。確実の開催日はまた部落によって違っていたそうだ。 |
Emalo祖霊祭:日本の学者伊能嘉矩と淺井惠倫が調査と報告書によって、旧暦の7月に開かったそうである。確実の開催日はまた部落によって違っていたそうだ。 |
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競走Mataが開催して、基本的に優勝は担当者の家族の方 |
競走Mataが開催して、基本的に優勝者は担当者の家族の方が譲ってもらった。 |
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各家族の女性目上の方は皆を率いて、水源地でご先祖の精霊を迎え |
各家族の女性目上の方は皆を率いて、水源地でご先祖の精霊を迎え、家に連れて戻り。担任者は銅鑼を打ち鳴らし、祖霊祭が間もなく開催を知らせ、祭りの広場に集めに行こう。 |
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地上におにぎり、魚、お酒、鹿肉、阿拉粿(葉で包まれたお餅)を |
地上に供え物、おにぎり、魚、お酒、鹿肉、阿拉粿(葉で包まれたお餅)を置き、ご先祖に祈る。 |
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そして皆は手を繋がって踊りながら、「emalo~emalo~」を唄って、ご先祖に追懐する一方、お供え物も自由的に取っていただけそうである。 |
そして皆は手を繋がって踊りながら、「emalo~emalo~」の歌を唄って、ご先祖に追懐する一方、お供え物も自由的に取っていただけそうである。 |
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2020年9月14日 (月) 12:54時点における版
タオカス族は台湾先住民に属する民族である。平埔族に分類される。漢字で道卡斯族、斗葛族、大甲族と表記される。台湾の桃園市、新竹県、苗栗県、台中市に分布している。台湾諸語のタオカス語を話していた。1732年まで存在した大肚王国の構成民族。
大陸系がどんどん台湾に移住してきたので、生存や環境や戦などの圧迫で、1814年に郭百年事件が起き、サオ族はブローカーとして台湾西部平野在住の平埔族系を応募し、南投県の埔里盆地に入って再開拓していた。一部のタオカス族もこのため、埔里で房裡社(Waraoral、紅瓦厝、今の南投県埔里鎮房里里)などの集落を建ててきた。
現在、苗栗県後龍鎮新民里や南投県埔里鎮房里里に在住のタオカス族は、母語や伝統的な祭りをまだ守っている。
祭礼・伝統行事
新港社/東社、西社(今の苗栗県後龍鎮新民里)で開催
Patay:祖霊祭である。男性しかお参りできなく、関係者以外の方と女性の立ち入り禁止。鹿肉、お酒、魚、おこわ、豚肉をお供えする。母語でご先祖に祈る。
牽田祭(牽奠祭):旧暦八月15日、十五夜の前後に行う。当日の午前、マラソンみたいな成年式「Mata」を始め、参加者は頑張って走り、大潭という祖霊がいる淵/池で一旦集め、正座で祖霊に拝んで伝え、供え物を水に投げてから、また走って戻る。優勝者は鹿の角で飾られた鉢卷き/帽子がもらえる。
夕べに「扮番」という男性は蓑を着て、笠をかぶっている、銅鑼を打ち鳴らしながら、町内を巡って、今夜祭りが開催することを知らせる。元々は鹿の皮で作った衣装を着ていたそうである。
牽田祭が行う前にもpatayを行う。
夜にいよいよ「舉大旗」を開き、「issama」と呼ばれる男性3名は旗を立て挿しているままに、布で体に縛り付けて、背負って、助手が側に丁寧に協力して、祭りの広場に入る。
旗竿は、3本の高さが約6~7メートルで、1本が長いと短い、2本の竹で組み立ってて作っておき、上に鈴を付け、赤リボンで飾られ、白布の旗が風に吹かれ、はためいており、ご先祖を迎えるように、立て揚げる。旗が倒れてしまうのは絶対許せない。倒れれば、大凶や縁起が悪いで、祭りが行っているところに、ちゃんと守らなければ、いけない。「牽大田(旗頭)」が歌われている時、丸一本の旗が背負われ。風が強すぎる場合と「牽小田」と「旗尾」のパートは、取り外して、ただ短い竹で作った旗を背負っても良い。
昔、「issama」の資格審査があった。既婚2年以内、当年家族にお葬儀がない、初回「issama」担任など。選ばれてもらったら、祭りが無事終了になって、Hinpu(お餅のような米加工食品)を用意して、皆にお土産として配るので、経済力が無かったら、なれなかったそうである。それにまた忌があり、お嫁さんが妊娠中あるいは家にお葬儀のある男性、そして女性全員は旗にお触り厳禁。
タオかス族は老若男女問わず、広場でお互いに手を繋がり、足を踏み、輪になって、踊りながら、祀る歌を唄っている。その時、旗を背負っている男性3名は踊りの輪に囲まれ、扮番が打ってる銅鑼が鳴ってるテンポによって、輪に沿って、踏んで歩いている。
祀る歌は3曲があり、「牽大田(旗頭)」はご先祖に捧げ、厳かで、悲しそうである。一方、「牽小田」と「旗尾」はご先祖をお見送りなので、雰囲気が楽しそうである。
房裡社(今の南投県埔里鎮房里)で開催
Emalo祖霊祭:日本の学者伊能嘉矩と淺井惠倫が調査と報告書によって、旧暦の7月に開かったそうである。確実の開催日はまた部落によって違っていたそうだ。
競走Mataが開催して、基本的に優勝者は担当者の家族の方が譲ってもらった。
各家族の女性目上の方は皆を率いて、水源地でご先祖の精霊を迎え、家に連れて戻り。担任者は銅鑼を打ち鳴らし、祖霊祭が間もなく開催を知らせ、祭りの広場に集めに行こう。
地上に供え物、おにぎり、魚、お酒、鹿肉、阿拉粿(葉で包まれたお餅)を置き、ご先祖に祈る。
そして皆は手を繋がって踊りながら、「emalo~emalo~」の歌を唄って、ご先祖に追懐する一方、お供え物も自由的に取っていただけそうである。
脚注