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** [[5月17日 (旧暦)|5月17日]] - 佐賀藩兵の乱入で、真岡代官所が置かれた[[芳賀郡]]真岡町(現在の[[真岡市]]台町)にあった[[真岡城|真岡陣屋]]が全焼。[[代官]]・山内源七郎が[[獄門]]となる。 |
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** [[6月4日 (旧暦)|6月4日]] - 佐賀藩士の鍋島道太郎が'''真岡知県事'''に就任。県庁は[[宇都宮城]]に設置。真岡代官所が管轄していた幕府領のほぼ全域と、 |
** [[6月4日 (旧暦)|6月4日]] - 佐賀藩士の鍋島道太郎が'''真岡知県事'''に就任。県庁は[[宇都宮城]]に設置。真岡代官所が管轄していた幕府領のほぼ全域と、下野国内の旗本領のほぼ全域を管轄。 |
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** 8月 - 日光奉行所が管轄する日光領を収公。 |
** 8月 - 日光奉行所が管轄する日光領を収公。 |
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** [[8月19日 (旧暦)|8月19日]] - 県庁を[[都賀郡]][[石橋宿]](現在の[[下野市]])に移転。 |
** [[8月19日 (旧暦)|8月19日]] - 県庁を[[都賀郡]][[石橋宿]](現在の[[下野市]])に移転。 |
2011年7月20日 (水) 05:42時点における版
日光県(にっこうけん)は、1869年(明治2年)に下野国内の幕府領・旗本領を管轄するために明治政府によって設置された県。管轄地域は現在の栃木県に広く分布している。本項では前身の真岡知県事(もおかちけんじ)についても記す。
概要
戊辰戦争では宇都宮など関東内における戦役の舞台の1つとなり(宇都宮城の戦い)、1868年(慶応4年)6月、鍋島道太郎(佐賀藩士)が真岡知県事に任命され、8月には日光領が収公された。9月に入って鍋島知県事は旧日光奉行所に入り、1869年(明治2年)2月には日光県と改称し、日光に県庁を置いた。また、1870年(明治3年)には移封となった高徳藩、廃藩となった喜連川藩の領地も編入した。
1871年(明治4年)、廃藩置県後の第1次府県統合に伴い、下野国南部、上野国南東部の6県が栃木県に統合され、下野国北部の管轄区域に宇都宮県が設置されたことにより廃止された。なお、日光県知事であった鍋島は栃木県県令を引き続き務めている。
沿革
管轄範囲
都賀郡、安蘇郡、足利郡は栃木県、那須郡、塩谷郡、芳賀郡、河内郡は宇都宮県に編入された。
歴代知事
真岡知県事
日光県
- 1869年(明治2年)2月15日 - 1869年(明治2年)7月20日 : 知事 鍋島貞幹(前真岡知県事)
- 1869年(明治2年)7月20日 - 1871年(明治4年)5月17日 : 権知事・鍋島貞幹(前日光県知事)
- 1871年(明治4年)5月17日 - 1871年(明治4年)11月13日 : 知事・鍋島貞幹(前日光県権知事)
関連項目
先代 真岡代官所 (下野国内の幕府領・旗本領) 日光奉行所(日光領) 高徳藩 喜連川藩 |
行政区の変遷 1868年 - 1871年 (真岡知県事→日光県) |
次代 栃木県(都賀・安蘇・足利郡) 宇都宮県(那須・塩谷・芳賀・河内郡) |