「フリーキャンパスKYOTO」の版間の差分
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*槍魔栗三助(現・[[生瀬勝久]]) |
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※徳永がこの番組に出演中に出したシングル『輝きながら |
※徳永がこの番組に出演中に出したシングル『輝きながら…』が大ヒットした結果、本職の歌手業の仕事が殺到して、この番組を度々欠席せざるを得ない状況になってしまった。そのお詫びの意味を込めて、後の『[[はいぱぁナイト]]』が放送されていた当時、1回だけの特番が放送された。 |
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2008年4月7日 (月) 02:30時点における版
フリーキャンパスKYOTOは、KBS京都で放送された若者向け深夜放送である。
ハイヤングKYOTO (第一期)の後番組として1987年4月に開始。放送日時は月曜~日曜の22:00~25:00の3時間番組。 1988年3月に終了。後番組はミュージックステーション。
概要
好評を博したハイヤングKYOTOの後番組として、局側からも相当の期待があったと思われる。
特に新機軸として各曜日毎に京都にある七校の大学のうち一校ずつ提携し、その在学生やOBを出演させる「大学対抗エール交換」というコーナー(各曜日ごとに出場する大学を決め、面白いサークルやそこに所属する学生、面白い学生たちをスタジオに呼んで競わせる企画)や、大学祭やディスコなど大学生の感心事などを扱っていた「TODAYトピックス」を設け、学生の街・京都と言う地域性を前面に打ち立てた。これまで手薄と言われた大学生のリスナー層の発掘を狙っての試みもあったとされる。また、かける曲のジャンルも各曜日ごとのパーソナリティのイメージに合わせて、月曜 - ジャズ、火曜 - オールリクエスト、水曜 - 歌謡曲、木曜 - ポップス、金曜 - ロック、土曜 - ニューミュージック、日曜 - 歌謡曲、とされていた。
その他コーナーは「宝捜しコーナー」、「とらばーゆコーナー」、「京都市内シミュレーションゲーム」、「街角フォーカス」などがあった。
頓挫とその影響
しかし、やはり素人の番組進行には限界があり、リスナーの評判や聴取率もハイヤン第一期時代と比べて一気に急落する結果を招く。
後に大学との提携色を薄めてハイヤングKYOTOに近い番組形式に戻されるが、失った人気を取り戻せぬまま、結局わずか1年で「打ち切り」同然に番組終了となる(同局の深夜生ワイド番組史上最短の部類に入る)。
この番組の躓きが、その後のKBS京都の深夜生番組に多大な影響を与える結果になってしまったと言える(後番組のミュージックステーションや、その更に後番組のはいぱぁナイト初期も、この後遺症を引き摺っていた形跡が見られる)。
パーソナリティー
月曜日
火曜日
水曜日
木曜日
金曜日
※徳永がこの番組に出演中に出したシングル『輝きながら…』が大ヒットした結果、本職の歌手業の仕事が殺到して、この番組を度々欠席せざるを得ない状況になってしまった。そのお詫びの意味を込めて、後の『はいぱぁナイト』が放送されていた当時、1回だけの特番が放送された。
土曜日
日曜日
KBS京都 月~日曜22:00~25:00 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
フリーキャンパスKYOTO
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