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「ジェンダーフリー」の版間の差分

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 男性に対する文化的圧力を問題とする「[[男性学]]」「[[メンズリブ]]」「[[マスキュリズム]]」などの活動を行う層にも、ジェンダーフリー運動に賛同する者は多い。また、[[クィア]]と呼ばれる、同性愛など性的マイノリティーに属する層の中にも運動に賛同する者がいるが、この層では、本来の「ジェンダーフリー」の意味から離れ、独自の政治的意味を付加する論も存在する。
 男性に対する文化的圧力を問題とする「[[男性学]]」「[[メンズリブ]]」「[[マスキュリズム]]」などの活動を行う層にも、ジェンダーフリー運動に賛同する者は多い。また、[[クィア]]と呼ばれる、同性愛など性的マイノリティーに属する層の中にも運動に賛同する者がいるが、この層では、本来の「ジェンダーフリー」の意味から離れ、独自の政治的意味を付加する論も存在する。

 英語圏では、「社会的文化的性からの解放」を目指すものとして、「ジェンダー・イクォリティ」運動が、日本の「ジェンダーフリー」運動に近いものとして存在している。欧米では、「あらゆる場面において男女の区別を解体すると、女性を対象にして保護や優遇措置を求めるフェミニズム運動にとって不利である」ことが保守系のフェミニストなどから指摘されており、これを踏まえ、男女の区別を画一的に解体せずに、性の平等を求める運動を進めるべきであるというフェミニストも見られる。このようなフェミニズムの考え方は差異派フェミニズムとよばれ、ジェンダー・イクォリティを主眼とするリベラル・フェミニズムと区別される。

 日本政府の内閣府男女共同参画局はジェンダーフリーについて『一部に、画一的に男女の違いを無くし人間の中性化を目指すという意味で「ジェンダー・フリー」という用語を使用している人がいますが、男女共同参画社会はこのようなことを目指すものではありません』と説明している(内閣府・男女共同参画関連用語集より引用)。この意味での「ジェンダーフリー」という用語は、和製英語であるため、アメリカでも、日本政府でも、国連でも、公式に使われていないが、日本語の「ジェンダーフリー」とは欧米のフェミニズムの中のリベラル・フェミニズム(ジェンダーに基づくステレオタイプや役割分担を撤廃することを目指す)と同じ意味だと考えてよいだろう。なお、「(生物学的な意味での)男女を区別せず処遇する」と言う意味でのgender-freeは、英米軍の公式用語として使用されているし、「(生物学的な)ジェンダー(性)にかかわらない(語彙など)」という意味では使われているので「英語にない完全な和製英語」という言い方も正しくない。2003年2月27日の予算委員会第一分科会における官房長官の答弁として、「ジェンダーフリーという言葉はいかなる場合でも使ってはいけないということではない」「誤解を招くような、そういうおそれがあるので政府として公式に使っていない」「使用する際に、例えば地方公共団体とか関係機関において用語を適切に定義して、それが誤解なく理解されるようにする、これが大事だ」との見解を示しているが(国会議事録検索システムより引用)、男女共同参画局メーリングリストで「定義を示して使用するのは差し支えない」と局長見解見らるように、定義の誤用ること重要である。しかしジェンダーフリーの言葉自体を禁止、自粛するような言葉狩り的な風潮も見られ、福井県の男女共同参画関連施設において、ジェンダー・フリー関する書籍閲覧室から書庫に移され例もあり、言論弾圧である批判集中した。


=== 関連リンク ===
=== 関連リンク ===
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== ジェンダーフリー運動とそれをめぐる状況 ==
== ジェンダーフリー運動とそれをめぐる状況 ==


ジェンダーフリーでは、「ジェンダー」とは文化的・社会的文脈における「男」「女」の性の役割やイメージといった意味で用いられている。一部のラディカル・フェミニストは、「ジェンダー」は、いも「男が上で女は下」「男が支配し女が従う」といった、非対称の関係として機能している、と捉えている。「ジェンダー」は男女の支配従属の関係を維持するための装置であり、また、ジェンダーを根底から規定し、女性を差別的状況におく社会的仕組みの中心をなすのが、性別役割分業であるとしている。欧米のフェミニズム運動に触発を受け、日本でもが社会的、文化的につくられたジェンダー・ロール(ジェンダーに基づいた性別役割分担)を撤廃しようとの動きが市民レベルで広がり、政府も、女性差別撤廃条約の批准などを受けて男女共同参画局の設置、男女共同参画社会基本法の制定などの取り組みを行ってきた
 ジェンダーフリーでは、「ジェンダー」とは文化的・社会的文脈における「男」「女」の性の役割やイメージに限定した意味で用いられている。

 それから、ジェンダーフリーは主としてラディカル・フェミニズムの一環として、あるいはその考え方を中心にした文脈で理論、運動が展開されたため、この運動において用いられる「[[ジェンダー]]」の概念は、人文系の学問において一般的に用いられる中立的・客観的意味での「社会的文化的性別」とは異なっている。

 ラディカル・フェミニズムでは、「ジェンダー」は、男性と女性を平等で相互補完的に位置づけてのではなく、「男が上で女は下」「男が支配し女が従う」といった、非対称の関係として機能している、と捉えている。「ジェンダー」は男女の支配従属の関係を維持するための装置であり、また、ジェンダーを根底から規定し、女性を差別的状況におく社会的仕組みの中心をなすのが、性別役割分業であるとしている。

 すなわち、ジェンダーフリー運動における「ジェンダー」は、中立的な概念・用語ではなく、性別役割分業を階級構造であると見なし、また、これを解消すべきという意図が含まれている、政治的な概念・用語となっている。

 また、この運動においては、「社会に男女の区別や性差の意識があるために役割分業も発生するから、男女を分ける制度をなくしてしまおう」という考え方のもとに、男女の差異そのものを否定・相対化してしまおうという論が主張されたり、その論にしたがった政策も進められている。

 この政策では、制度面の改革と評価面の改革という二面性が存在する。<br/>
たとえば、学校教育運動であるジェンダーフリー教育としては、以下のような特徴が挙げられる。<br/>
制度面では、男女に分けない共通性として、科目の共通性(男子も家庭科を必修にする等)、衣服・教材の共通性(体操服を両性共通のデザインにする等)、呼称の共通性(両性とも「さん」付けに統一する等)、呼び順の共通性(男女混合名簿等)など、各制度における両性の共通化を推し進める。<br/>
また、評価面では、ジェンダーステレオタイプによるバイアスを解消し、生活指導面(泣く男子は叱るのに、泣く女子は叱らない等の区別はしない)、進路指導面(女子が理系に進むことに消極的になるような誘導はしない)、固定的な役割分担を定めない(常に男子が学級委員、女子が副学級委員等と固定化しない、運動部のマネージャーを女子のみに限定しない)など、「個々の個性」に基づいた評価・進路指導の方針を進める、などである。<br/>
また、学校教育方面以外にも、育児教育や職業選択などでジェンダーフリー運動が展開されている。

 これに対して批判側からは、性別は生物学的要素を多分に含むものであるから体格、出身、門地、民族その他の要素と同一に取り扱えない、差別ではない性差による区別は否定されるべきでない、といった批判がなされている。


たとえば、学校現場におけるジェンダーフリー教育としては、以下のような取り組みがなされている。制度面では、男女に分けない共通性として、科目の共通性(男子も家庭科を必修にする等)、衣服・教材の共通性(体操服を両性共通のデザインにする等)、呼称の共通性(両性とも「さん」付けに統一する等)、呼び順の共通性(男女混合名簿等)など、各制度における不合理な男女差別を撤廃する取り組みがなされている。また、評価面では、ジェンダーステレオタイプによるバイアスを解消し、生活指導面(泣く男子は叱るのに、泣く女子は叱らない等の区別はしない)、進路指導面(女子が理系に進むことに消極的になるような誘導はしない)、固定的な役割分担を定めない(常に男子が学級委員、女子が副学級委員等と固定化しない、運動部のマネージャーを女子のみに限定しない)など、「個々の個性」に基づいた評価・進路指導の方針を進める、などである。また、学校教育方面以外にも、育児教育や職業選択などでジェンダーフリー運動が展開されている。
 英語圏では、「社会的文化的性からの解放」を目指すものとして、「ジェンダー・イクォリティ」運動が、日本の「ジェンダーフリー」運動に近いものとして存在している。ただし、日本以外では、「あらゆる場面において男女の区別を解体すると、女性を対象にして保護や優遇措置を求めるフェミニズム運動にとって不利である」ことが早くから指摘されており、これを踏まえ、男女の区別を画一的に解体せずに、ジェンダー・イクォリティ」運動を進めるべきであるというフェミニストも見られる。


これに対して強硬な保守派などからは、差別ではない性差による区別は否定されるべきでない、といった批判がなされている。近年の日本社会の右傾化に伴い、ジェンダー・フリーの概念が非難を浴びることも多い。賛同派の一部が唱える過激な主張に対し、「家族および社会の崩壊につながりかねない(伝統的・社会的規範に反する)」と批判がある。また、一部のフェミニストが自らが主張する「女性差別」の是正を進める過程において、逆差別(男性差別)とも取れる発言を行っている、との主張もある。一部のラディカル・フェミニストによる急進的な提案をあたかもジェンダー・フリー運動を代表するものであるととらえ声高に批判するケースも見受けられる。石原慎太郎東京都知事は、都議会定例会において、「最近、教育の現場をはじめさまざまな場面で、男女の違いを無理やり無視するジェンダーフリー論が跋扈している」、「男らしさ、女らしさを差別につながるものとして否定したり、ひな祭りやこいのぼりといった伝統文化まで拒否する極端でグロテスクな主張が見受けられる」、「男と女は同等であっても、同質ではあり得ない。男女の区別なくして、人としての規範はもとより、家庭、社会も成り立たないのは自明の理だ」と強調し、ジェンダーフリー教育を批判した。東京都では、ジェンダーフリーの概念が都教育委員会の見解と異なることから、ジェンダーフリーという言葉を用いないように文書で通達している。また、国分寺市の講演にフェミニストである上野千鶴子を招くことを自粛した事例がある。
 日本政府の内閣府男女共同参画局はジェンダーフリーについて『一部に、画一的に男女の違いを無くし人間の中性化を目指すという意味で「ジェンダー・フリー」という用語を使用している人がいますが、男女共同参画社会はこのようなことを目指すものではありません』と説明している(内閣府・男女共同参画関連用語集より引用)。この意味での「ジェンダーフリー」という用語は、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]でも、[[日本]]政府でも、[[合|国連]]でも、公式に使われていない。なお、「(生物学的な意味での)男女を区別せず処遇する」と言う意味でのgender-freeは、英米軍の公式用語として使用されているし、「(生物学的な)ジェンダー(性)にかかわらない(語彙など)」という意味では使われているので「英語にない完全な和製英語」という言い方も正しくない。2003年2月27日の予算委員会第一分科会における官房長官の答弁として、「ジェンダーフリーという言葉はいかなる場合でも使ってはいけないということではない」「誤解を招くような、そういうおそれがあるので政府として公式に使っていない」「使用する際に、例えば地方公共団体とか関係機関において用語を適切に定義して、それが誤解なく理解されるようにする、これが大事だ」との見解を示しているが(国会議事録検索システムより引用)、その後、男女共同参画局メーリングリストで「定義を示して使用するのは差し支えない」と局長見解を示すなど、行政混乱してきた。これをて平成18年1月31日に内閣府男女共同参画局各都道府県に「ジェンダーフリー用語を使わないよう求める通達を配布した(関連リンク参照)。この様に政府やは一部の過激な論調抑えるようにはしているが、福井県の男女共同参画関連施設において、政府の男女共同参画方針相応しくない書籍閲覧室から書庫に移フェミニストから言論弾圧苦情殺到した事例もあり、政府や自治体が思うように男女共同参画政策を動かせない実態もある
 
<br/>東京都では、男女の違いを否定するという意味でのジェンダーフリーが、都教育委員会の男女平等の見解と異なることから、ジェンダーフリーという言葉を用いないように文書で通達している。また、国分寺市の講演にフェミニストである上野千鶴子を招くことを見送った事例がある。
 <!--ジェンダーフリーを推し進める団体は一見して思想を広めようと積極的に行動しているようにも見えるが、例えばテレビのニュースで子供を性別によって「~くん」「~ちゃん」と呼び分けることなどに抗議するようなことはない。これについては、マスコミを敵にするとどうなるかを分かった上で標的を選んでいる、と新聞に指摘されている。{{要出典}}-->
=== 関連リンク ===
=== 関連リンク ===
* [http://www.gender.go.jp/pamphlet/pamphlet-main/h180131.pdf 男女共同参画局「ジェンダーフリーについて」](政府による都道府県向け「ジェンダーフリー」用語の使用禁止通達)
* [http://www.gender.go.jp/pamphlet/pamphlet-main/h180131.pdf 男女共同参画局「ジェンダーフリーについて」](政府による都道府県向け「ジェンダーフリー」用語の使用禁止通達)
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ジェンダーフリー運動については、賛同派と反対派の間でさまざまな論争が行われている。
ジェンダーフリー運動については、賛同派と反対派の間でさまざまな論争が行われている。


ジェンダー論の根底にある「[[性差別]]が起こるのは、社会的・文化的性が原因である」という考え方は、[[フェミニズム]]思想に由来している。そのため、ジェンダーフリー賛同派の一部には、性差そのものを否定する過激なフェミニスト(以下の「[[ジェンダーフリー#ジェンダーレスとの混同|ジェンダーレスとの混同]]」を参考のこと)も存在しており、問題を複雑化しているとされる。
ジェンダー論の根底にある「性差別が起こるのは、社会的・文化的性が原因である」という考え方は、フェミニズム思想に由来している。そのため、ジェンダーフリー賛同派の一部には、性差そのものを否定する過激なフェミニスト(以下の「ジェンダーレスとの混同」を参考のこと)も存在しており、問題を複雑化しているとされる。

日本におけるジェンダーの例として、男性に関して言えば、些細な事柄で泣き出すことを「男らしくない(女々しい)」と非難したり、家庭を扶養しなければならないといった社会的期待が挙げられる。また、女性に関して言えば、男性に口答えをしてはならない、子どもを産まなければならないといった例がある。詳しくは、ジェンダーの項目を参照のこと。


日本におけるジェンダーの例として、男性に関して言えば、些細な事柄で泣き出すことを「男らしくない(女々しい)」と非難したり、家庭を扶養しなければならないといった社会的期待が挙げられる。また、女性に関して言えば、男性に口答えをしてはならない、子どもを産まなければならないといった例がある。詳しくは、[[ジェンダー]]の項目を参照のこと。


=== 反対・否定派の主張 ===
=== 反対・否定派の主張 ===
反対派は、社会的・文化的な性とされる「ジェンダー」は、その社会の文化に強く結びついているため、それを全て画一的に排除するのは困難であると主張する。また、賛成派でも思想に統一が取れていないという点や、理論そのものに対する構造上の欠陥を指摘をする者もいる。欠陥の一つとしては、生物としての性別は否定し難いものであるため、性差を強引に無視することは男女双方に不利益を与える危険性が挙げられる。<ref>例えば、男女の更衣室を同室にしたり、トイレを同室にしたりすることにより予想される精神的苦痛や強姦発生の危険性など。</ref>
反対派は、社会的・文化的な性とされる「ジェンダー」は、その社会の文化に強く結びついているため、それを全て画一的に排除するのは困難であると主張する。また、賛成派でも思想に統一が取れていないという点や、理論そのものに対する構造上の欠陥を指摘をする者もいる。欠陥の一つとしては、生物としての性別は否定し難いものであるため、性差を強引に無視することは男女双方に不利益を与える危険性が挙げられる。[1]


また、「どのようにして個性もしくは自分らしさといったものを定義・評価するか」という手法が曖昧であるという点を指摘したり、<!--- (「中性化」という評価を反対派がどう行うか書かれてでコメトアウトしました 性差否定を目指さくても結果として男の中化を招くのではないかという指摘をしている。-->賛同派の一部が唱える過激な主張に対し、「家族および社会の崩壊につながりかねない(伝統的・社会的規範に反す」と批判するどしている。
また、「どのようにして個性もしくは自分らしさといったものを定義・評価するか」という手法が曖昧であるという点を指摘したり、もあり、目立った批判はされてかったもの、アファーマティブ・アクショ(積極的差別是正措置のような女性優遇策に対し、「悪平等である」、「男性差別である」といった批判されることはある。


宗教界においては、世界教授アカデミー、および世界日報という団体が伝統的性文化への回帰を広く呼びかけている。世界教授アカデミーおよび世界日報は統一教会との強固な関係を持つ。これに対し、ジェンダーフリー賛同側は「批判側にカルトが係わっている」と主張している。ジェンダーフリーに批判的な立場を採る人々は、カルト宗教がジェンダーフリー批判に賛同することによって自体が複雑化することを懸念している。アメリカでは、パット・タンジェントをはじめとするテレバンジェリストと言われる宗教右派のテレビ宣教師達が、男女の役割分担を尊重し、子供は家庭で母親が育てるべきであると説いている(但し、この場合は学校教育を含めて全否定し、子どものあらゆる活動を家庭が面倒を見るべきだという主張であり、一般的なジェンダーフリー批判とは性質が異なる)。
反対派の説く「過激な主張」の例として以下のようなものが挙げられる。また、これらの主張が実際の教育現場で取り上げられている点を批判している。
*[[香取慎吾]]の『おはロック』の歌詞がジェンダーフリーに反する
*『[[桃太郎]]』のストーリーをイデオロギーによって改変する
*挿絵で母親がエプロンをしていることを疑問視する


[[石原慎太郎]]東京都知事は、都議会定例会において、「最近、教育の現場をはじめさまざまな場面で、男女の違いを無理やり無視するジェンダーフリー論が跋扈している」、「男らしさ、女らしさを差別につながるものとして否定したり、[[ひな祭り]]や[[こいのぼり]]といった伝統文化まで拒否する極端でグロテスクな主張が見受けられる」、「男と女は同等であっても、同質ではあり得ない。男女の区別なくして、人としての規範はもとより、家庭、社会も成り立たないのは自明の理だ」と強調し、ジェンダーフリー教育を[[公人]]の立場で公式に批判した。

[[マザーテレサ]]は、第四回世界女性会議(北京会議)に「私は、なぜ男性と女性が全く同じであり、男女の間の素晴らしい違いを否定する人たちがいるのか理解できません。」というメッセージ・意見を送り、ジェンダーフリー・フェミニズムを批判している。

* [http://plaza.rakuten.co.jp/hisahito/ 真の男女共同”家族・社会”](男女の素晴らしい違いについての[[マザーテレサ]]のメッセージ・意見)

=== 賛成派の対応に対する批判 ===
ジェンダーフリー運動が始まってから数十年が経ち、数多くの批判がなされるようになるに従い、賛成派の批判に対する対応に対する批判も強まっている。これは、ジェンダーフリーの理論に対する直接的な批判だけではなく、賛成する立場の硬直的で好戦的な態度に対する批判にも繋がっている。

また、ジェンダーフリーは必ずしもフェミニストによって主張されるとは限らないものの、一部のフェミニストは、自らが主張する「女性差別」の是正を進める過程において、[[逆差別]]([[男性差別]])とも取れる発言を行うことがあり、これもまた反対派から不評を買う原因となっている。これに限らず、余りに性急な「ジェンダーフリー」運動が反対派のみならず、それ以外の(賛成派も含む)人々にも拒否感をもたらしているとの指摘がある。

産業界においては、保守派の採る新自由主義との兼ね合い<ref>男性のみ、あるいは女性のみが専有すると思われていた職業が両性に解放されたり、有能な女性が社会進出すること、必要に応じて男性が育児休暇を取るなど</ref><!-- 男性が育児休暇を取ることが日本の産業界で奨励されてはいないような気もしますが… -->もあり、目立った批判はされてこなかったものの、[[アファーマティブ・アクション]](積極的差別是正措置)のような女性優遇策に対し、「悪平等である」、「男性差別である」といった批判はなされることはある。ちなみに、アメリカ合衆国連邦最高裁判所においてアファーマティブアクションを義務づける法律が違憲とされ、廃止されたことがある。<ref>但し、この制度は一般的に各州法の下で実施されていることにも留意する必要がある。アメリカでは、連邦裁判所で「全国的に義務として施行すること」は違憲とされても、各州の法律の下では自由に制定可能であるという特殊事情がある。また、アメリカの場合、アファーマティブアクションは、[[マイノリティ]](主に黒人といった人々)に対して実施されるものであり、日本のように主に女性に対するものと捉えると誤解を招く恐れがある。</ref>

宗教界においては、[[世界教授アカデミー]]、および[[世界日報]]という団体が伝統的性文化への回帰を広く呼びかけている。[[世界教授アカデミー]]および[[世界日報]][[統一教会]]との強固な関係を持つ。これに対し、ジェンダーフリー賛同側は「批判側にカルトが係わっている」と主張している。ジェンダーフリーに批判的な立場を採る人々は、カルト宗教がジェンダーフリー批判に賛同することによって自体が複雑化することを懸念している。アメリカでは、パット・タンジェントをはじめとするテレバンジェリストと言われる宗教右派のテレビ宣教師達が、男女の役割分担を尊重し、子供は家庭で母親が育てるべきであると説いている(但し、この場合は学校教育を含めて全否定し、子どものあらゆる活動を家庭が面倒を見るべきだという主張であり、一般的なジェンダーフリー批判とは性質が異なる)。


=== ジェンダーレスとの混同 ===
=== ジェンダーレスとの混同 ===
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こういった背景から、ジェンダーフリー運動が要求するのは「~らしさ」の自己決定権<ref>「伝統的な価値観を尊重したい人はそうすれば良いし、その考えは守られた方が良い。一方、伝統的な価値観を受け入れたくない人は別な価値観で生きることが出来れば良いし、その考えは守られた方が良い」とする考えであり、「社会から性差が無くなるべきだ」とは主張しない。</ref>この前提を理解していない、もしくは知らない賛成派の人々が事態を複雑化することを懸念する声がある。
こういった背景から、ジェンダーフリー運動が要求するのは「~らしさ」の自己決定権<ref>「伝統的な価値観を尊重したい人はそうすれば良いし、その考えは守られた方が良い。一方、伝統的な価値観を受け入れたくない人は別な価値観で生きることが出来れば良いし、その考えは守られた方が良い」とする考えであり、「社会から性差が無くなるべきだ」とは主張しない。</ref>この前提を理解していない、もしくは知らない賛成派の人々が事態を複雑化することを懸念する声がある。

一方、自民党などは「男らしさ、女らしさを認めます」とし、「らしさ」を否定するジェンダーフリーの思想そのものを正しく理解したとし、その上でジェンダーフリーを否定している。ジェンダーフリー自体は、個々人の考える「男らしさ、女らしさ」を否定する概念ではなく、社会的に必然性のある区別(例:トイレや更衣室を男女別室にする)や、男が「男らしく」あること、女が「女らしく」あることをも、自己決定権を前提に肯定している。


<!--上記の石原都知事による批判に対しても、賛同派は「少数による一部の運動(ジェンダーレス)をジェンダーフリーそのものであるかのようにミスリード(誤解させる)するもの」と反論した。{{要出典}}-->
<!--上記の石原都知事による批判に対しても、賛同派は「少数による一部の運動(ジェンダーレス)をジェンダーフリーそのものであるかのようにミスリード(誤解させる)するもの」と反論した。{{要出典}}-->
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==ジェンダーフリーの実践例等 ==
==ジェンダーフリーの実践例等 ==
ジェンダーフリーの実践として次のような例がある。[[男女別学]]学校の[[男女共学]]化などはジェンダーフリーの意図をもって行われているというより、学校経営上の都合で行われることもある。しかし、第156回国会におて、社会民主党・市民連合の議員が、財界の出資にる「全寮制男子校」設置の構想を批判した、「今後、性別に特化した学校を設立することは、「男女共同参画」と矛盾するのではないか」等の質問を行った例もあり、また男女共同参画社会を理由に男女共学化した学校もある{{要出典}}ため、ジェンダーフリーの意図をもって行われていないとは言い切れない。なお、[[日本教職員組合]]は、男女同室着替えには反対の立場であり、「更衣室の整備拡充」を文部科学省に要求している。また、[[女子大学]]はそのまま放置している。ただし、ジェンダーフリー思想とは全く別個に、少子高齢化を生き抜く方便として、女子大学が共学化する事例は各地で実在する。
ジェンダーフリーの実践として次のような例があると言われている。しかし、男女別学学校の男女共学化などはジェンダーフリーの意図をもって行われているというより、学校経営上の都合でることが多いようである。なお、日本教職員組合は、男女同室着替えには反対の立場であり、「更衣室の整備拡充」を文部科学省に要求している。


【 教育現場 】
【 教育現場 】


以前より[[日本教職員組合]]などは、「[[男の子]]だけの[[通過儀礼]]を廃止せよ」といった、ジェンダーフリーにつながる主張を行ってきた。さらに、女性の社会進出が進むにつれ、学校教育はより細かいジェンダーバイアスの撤廃を指摘さるようになった。そして男女共同参画基本法の制定により、一つの教育運動となったものである。
以前より日本教職員組合などは、「男の子だけの通過儀礼を廃止せよ」といった、ジェンダーフリーにつながる主張を行ってきた。さらに、女性の社会進出が進むにつれ、学校教育はジェンダーバイアスの撤廃に力始めた。そして男女共同参画基本法の制定により、一つの教育運動となったものである。


具体的な事例としては、以下のような事が[[教育現場]]で行われていると言われる。
具体的な事例としては、以下のような事が教育現場で行われていると言われる。


*[[クラス]][[名簿]]を男女混合にする。<br/>
*クラス名簿を男女混合にする。
*「男女」の名詞を「女男」に変える。
*「男女」の名詞を「女男」に変える。
*スカートは最も「女らしい」服装なので、制服からスカートを廃止しようとした。
*スカートは最も「女らしい」服装なので、制服からスカートを廃止しようとした。
*女子の[[体操着]][[ブルマー]]廃止と同時に、男子の[[短パン]]も廃止し、男女兼用の[[ハーフパンツ]]とする。また、かつては[[トレーニングウェア]]の色を男子は[[]][[]][[深緑]]、女子は[[]][[臙脂色|エンジ]]としていたが、男女共用の青や[[]]([[黄緑]][[青緑]])、[[]]([[青紫]][[赤紫]])などどちらにも相応しい色に切り替えた。
*女子の体操着のブルマー廃止と同時に、男子の短パンも廃止し、男女兼用のハーフパンツとする。また、かつてはトレーニングウェアの色を男子は青や紺・深緑、女子は赤やエンジとしていたが、男女共用の青や緑(黄緑・青緑)、紫(青紫・赤紫)などどちらにも相応しい色に切り替えた。
*[[運動会]]の競技を男女混合にする。
*運動会の競技を男女混合にする。
*ロッカーや下駄箱の男女別の禁止。
*ロッカーや下駄箱の男女別の禁止。
*小学校教科書の記述を検討し、「男の子はズボンに女の子はスカートに髪かざり」、「おじいさんは反物売り、おばあさんは家で」、「およめに来て・・・・およめに行く」、「小さなお母さんになってお昼を作る」などの表現をジェンダーフリーに反するものとし、旧来のジェンダーにとらわれない女性のロールモデルを作るよう提唱する。
*空き教室があるにもかかわらず(無い場合もある)男女同室着替えをさせる。
*男女別学の公立高校を共学にする。
*小学校教科書の記述を「点」。「男の子はズボンに女の子はスカートに髪かざり」、「おじいさんは反物売り、おばあさんは家で」、「およめに来て・・・・およめに行く」、「小さなお母さんになってお昼を作る」などの表現をジェンダーフリーに反するものとする。
*高校入試の合格者数を、男女同数にするように提案する。
*男女別学の公立高校を共学にする。([[大学]]では、[[女子大学]]はあるのに、[[男子大学]]はない。<!--極めて深刻な[[男性差別]]である。-->)
*黒や赤などのジェンダーに基づいたランドセルの色のみでなく、「女男ともに黄色いランドセル」といった、ジェンダーにとらわれない新たな選択家庭に与える。
*高校入試の合格者数を、男女同数にするよう要求する。
*生徒たちがポルノなどの誤った情報に惑わされず正しい性に関する知識を得られるようにするため性教育を行う。
*黒や赤などのランドセルの色を家庭が選択することを禁止し、「女男ともに黄色いランドセル」といった、統一色要求する。
*ジェンダーフリーを英文で使う(ジェンダーフリーは和製英語)。
*過激な性教育をおこなう(賛成派は子供の権利と主張。反対派は年齢に相応しない、純粋な子供の心を傷付けるなどと主張)
::男性器の模型に避妊具を被せる練習を行わせる。
::白い液体(牛乳)が出る男性器の模型を使う。
::性器がついた男女の人形に性行為をさせ、生徒に見せる。
::性描写がある絵本を見せる。 
*[[運動会]]の踊りで、母親がごはんをつくる曲が、ジェンダーフリーに反するという理由から歌詞のない演奏にされる(ふりーせる)<!--産経新聞2002.11.22-->。


【 団体等の活動 】
【 団体等の活動 】
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:などが、ジェンダーフリーに反する例として挙げられた。<br/>
:などが、ジェンダーフリーに反する例として挙げられた。<br/>
:<span style="font-size:smaller;">※ 冊子の記述について、「ひな祭り」や「鯉のぼり」のような伝統行事を否定するなどいきすぎであるとの指摘がなされたが、これに対して日本女性学会は、2003年3月の学会ニュースにて、これらの伝統行事に含まれていた「男は強く元気に/女は優しく美しく」と、「性別と人のありかたを結びつけるシンボリズム」は今日では適切でないとし、5月5日がこどもの日であるようにひなまつりも性別によらない祝いにするのが良い、との回答を行った。</span>
:<span style="font-size:smaller;">※ 冊子の記述について、「ひな祭り」や「鯉のぼり」のような伝統行事を否定するなどいきすぎであるとの指摘がなされたが、これに対して日本女性学会は、2003年3月の学会ニュースにて、これらの伝統行事に含まれていた「男は強く元気に/女は優しく美しく」と、「性別と人のありかたを結びつけるシンボリズム」は今日では適切でないとし、5月5日がこどもの日であるようにひなまつりも性別によらない祝いにするのが良い、との回答を行った。</span>
*2003年に福岡市で開かれた女性フォーラムにおいて、昔話の「[[桃太郎]]」を「[[桃子]]」に変更し、ストーリーを変させた劇を上演。鬼を退治することでなく、話し合いによって解決する内容となっている。これは「男性=暴力的、女性=平和的」といったイメージから作られたと思われる。
*2003年に福岡市で開かれた女性フォーラムにおいて、昔話の「[[桃太郎]]」を「[[桃子]]」に変更し、ストーリーを変させた劇を上演。鬼を退治することでなく、話し合いによって解決する内容となっている。
*第156回国会において、社会民主党・市民連合の議員が、財界の出資による「全寮制男子校」設置の構想を批判したうえで、「今後、性別に特化した学校を設立することは、「男女共同参画」と矛盾するのではないか」等の質問を行った。:<span style="font-size:smaller;">※ なお、これについて政府は、男女の共学については教育上尊重されるべきものであるが、すべての学校における男女の共学を一律に強制する趣旨のものではない、との見解を示している(参考:衆議院質問答弁・第156回常会質問23)。</span>
*新設の[[男子高校]]に対し、共学化を要求する。<br/><small>(これについて、既存の[[女子大学]]に関しては何も行動を取っておらず事実上黙認しているため、矛盾ではないかとの意見もある。)</small>
*「ジェンダーチェック」を行い、ジェンダーフリーを理解していないと「化石」と認定される。
*第156回国会において、社会民主党・市民連合の議員が、財界の出資による「全寮制男子校」設置の構想を批判したうえで、「今後、性別に特化した学校を設立することは、「男女共同参画」と矛盾するのではないか」等の質問を行った。<br/><small>(これについて、多数の女子大学がある一方で男子大学はただ1校しかないことには言及されていないため、矛盾ではないかとの意見もある。)</small>
:<span style="font-size:smaller;">※ なお、これについて政府は、男女の共学については教育上尊重されるべきものであるが、すべての学校における男女の共学を一律に強制する趣旨のものではない、との見解を示している(参考:衆議院質問答弁・第156回常会質問23)。</span>
*「ジェンダーチェック」を行い、ジェンダーフリーを"理解"していないと「化石」と認定される。


=== 関連リンク ===
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* [http://www.jimin.jp/jimin/info/gender/index.html 過激な性教育・ジェンダーフリーの調査結果][[自由民主党]]のホームページより
* [http://www.jimin.jp/jimin/info/gender/index.html 過激な性教育・ジェンダーフリーの調査結果][[自由民主党]]のホームページより
* [http://popup12.tok2.com/home2/education/index.htm これでいいのか?性教育-教室はアダルトショップ-]
* [http://homepage1.nifty.com/1010/jender.htm 恐るべしジェンダーフリー教育]([[長尾誠夫]]のHOTPAGE)
* [http://homepage1.nifty.com/1010/jender.htm 恐るべしジェンダーフリー教育]([[長尾誠夫]]のHOTPAGE)


== ジェンダーフリーの思想的背景 ==
== ジェンダーフリーの思想的背景 ==
日本でジェンダーフリーという政治運動が起こった背景について、推進側は、女性の社会進出(賃金労働者化)が進み、男女観も多様化した中で、従来の男らしさ・女らしさというステレオタイプによる評価基準を不合理に感じたり窮屈に感じる人が増えてきたためとしている。女性の高学歴化が進むに従い社会的・文化的に作られた(日本語「ジェンダー」)からの離脱の自由」をめる風潮を目指す女性も出てきた。てフェミニズム基づた市民運動が成功し、ジェンダーフリーを推進する「男女共同参画社会基本法」が作られた。


また、日本の代表的フェミニストの1人である上野千鶴子が著書『ジェンダー・フリーは止まらない』(松香堂)にも収録された2001年4月15日、NPO法人フィティ・ネット設立記念フォーラムでの講演にて、一個人が私的な思想信条の範疇で「女は嫁に行くのが一番だ、と私は信じています」と述べる行為すらも、「ドイツではヒットラーを支援するような発言をすると犯罪を構成します。(中略)人種に関しては許されないことが、なぜ女に関しては言ってもいいのでしょうか。それが「思想信条の自由」のもとに許していいのか、と思います。」と聴衆に訴えかけ、言論の自由を盾に性差別的な発言することは許されない、と強調した
日本でジェンダーフリーという政治運動が起こった背景について、推進側は、女性の社会進出(賃金労働者化)が進み、男女観も多様化した中で、従来の男らしさ・女らしさというステレオタイプによる評価基準を不合理に感じたり窮屈に感じる人が増えてきたためとしている。女性の高学歴化が進むに従い「権利や生活」をめる女性も出てきた。しかし性差や「らしさの壁」遮られ、男性と同等には扱われなことに気づき男女の区別を廃止してしまう(ジェンダーフリー)ことに解決の道見出し、といったものである


ジェンダーフリーの理論的・思想的背景については、ラディカル・フェミニストの江原由美子によれば社会主義のイデオロギーから来ているという(『フェミニズムの名著50』)。歴史的にみるとジェンダーフリーの発祥はフランスの社会主義者シャルル・フーリエの理論、フーリエによって提唱された「ファランステール」という生活集団に見られる(『フェミニズムの歴史』)。また旧ソ連ではアレンクサンドラ・コロンタイが同じような政策(家族廃止、家事労働の共同化等)を打ち出した。しかし、この政策は失敗に終わり1934年には旧ソ連政府も根本的見直しをすることになった(ニコラス・S・ティマシェフ「ロシアにおける家族廃止の試み」)。ジェンダーフリーと社会・共産主義の結びつきについては、安藤紀典「マルクス主義の女性解放論」が詳しい。しかし、フェミニストの中には個人の自由などの観点からマルクス主義的フェミニズムに反対する人々も多く存在する
そのため「男女共同参画社会基本法」が作られ、同法が一部のフェミニストたちに「ジェンダーフリーを推進するもの」だと認識されたことが、この運動が広がった要因のひとつだと考えられている。


ただし現在のジェンダーフリー運動は、直接的には第二波フェミニズムを源としているという見方がされている。社会的文化的に形成された性別(ジェンダー)から解放されるべきだというジェンダーフリー運動の理論的背景は、社会主義・共産主義から直接繋がっているというよりも、フランスの哲学者シモーヌ・ド・ボーヴォワールの『第二の性』に代表される実存主義フェミニズムや、マルクス主義を女性運動の理論的根拠に採り入れたフェミニズム理論(ラディカル・フェミニストのシュラミス・ファイアストーンによる「妊娠・出産によって性の階級制度が生み出され、女性への抑圧となる構造は解消されるべきだ」という主張など)が大きく影響しているといえよう。これは、男女を権力関係と見なす傾向や、女性の「性と生殖に関する権利」などが主張される点に良く現れている。
本来はジェンダーフリーが「社会的・文化的に作られた性(日本語の「ジェンダー」)からの離脱の自由」を認める風潮を目指すはずが、「社会的・文化的に作られた性(日本語の「ジェンダー」)そのものが悪であり、無くす必要がある」にいつしか摩り替わった。それがフェミニストが画策した男女共同参画政策に連動した、教育現場でのジェンダーフリー教育で明らかになるにつれて、保守派の反発も受けることになった。
また、日本の代表的フェミニストの1人である[[上野千鶴子]]が著書『ジェンダー・フリーは止まらない』(松香堂)にも収録された2001年4月15日、NPO法人フィティ・ネット設立記念フォーラムでの講演にて、一個人が私的な思想信条の範疇で「女は嫁に行くのが一番だ、と私は信じています」と述べる行為すらも、「ドイツではヒットラーを支援するような発言をすると犯罪を構成します。(中略)人種に関しては許されないことが、なぜ女に関しては言ってもいいのでしょうか。それが「思想信条の自由」のもとに許していいのか、と思います。」と聴衆に訴えかけ、思想信条の自由を奪うべきとの立場からジェンダーフリー説いた事実もあり、ジェンダーフリー批判が必ずしも誤解や中傷の類とは言えない側面も多分にある


しかし、にも関わらず、日本のジェンダーフリー運動は、アメリカ、ヨーロッパ、共産主義国のフェミニズム運動とは異なる部分も多い。日本ジェンダーフリー運動は日本文化における特有の問題、保守派によバックラッシュなどの試練を抱えている。
ジェンダーフリーの理論的・思想的背景については、ラディカル・フェミニストの江原由美子によれば社会主義のイデオロギーから来ているという(『フェミニズムの名著50』)。歴史的にみるとジェンダーフリーの発祥はフランスの社会主義者シャルル・フーリエの理論、フーリエによって提唱された「ファランステール」という生活集団に見られる(『フェミニズムの歴史』)。また旧ソ連ではアレンクサンドラ・コロンタイが同じような政策(家族廃止、家事労働の共同化等)を打ち出した。しかし、この政策は失敗に終わり1934年には旧ソ連政府も根本的見直しをすることになった(ニコラス・S・ティマシェフ「ロシアにおける家族廃止の試み」)。ジェンダーフリーと社会・共産主義の結びつきについては、安藤紀典「マルクス主義の女性解放論」が詳しい。

ただし現在のジェンダーフリー運動は、直接的には第二波フェミニズムを源としているという見方がされている。社会的文化的に形成された性別(ジェンダー)から解放されるべきだというジェンダーフリー運動の理論的背景は、社会主義・共産主義から直接繋がっているというよりも、フランスの哲学者[[シモーヌ・ド・ボーヴォワール]]の『[[第二の性]]』に代表される実存主義フェミニズムや、[[マルクス主義]]を女性運動の理論的根拠に採り入れたフェミニズム理論(ラディカル・フェミニストのシュラミス・ファイアストーンによる「妊娠・出産によって性の階級制度が生み出され、女性への抑圧となる構造は解消されるべきだ」という主張など)が大きく影響しているといえよう。これは、男女を権力関係と見なす傾向や、女性の「性と生殖に関する権利」などが主張される点に良く現れている。

しかし、にも関わらず、日本のジェンダーフリー運動は、アメリカ、ヨーロッパ、共産主義国のフェミニズム運動とは異なる部分も多い。それはジェンダーフリーという語が日本固有であること、さらにジェンダーフリーが問題にするジェンダー日本文化におけるジェンダー」であことに起因していると言えるだろう


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== ジェンダーフリーにおける生物学的問題 ==
== ジェンダーフリーにおける生物学的問題 ==
ジェンダーフリーの論者は、ジェンダーフリーを正当化する理論として、ジェンダー(社会的性別)は後天的な要因が大きく関わって決定されるという説を主張している。文化人類学者[[マーガレット・ミード]]の研究、さらに性科学者[[ジョン・マネー]]の研究をその根拠付けに参照する著者も存在した。また、生物学的性差とは独立に後天的要因のみによって決定されるという急進的な主張をするフェミニストも存在した。
ジェンダーフリーの論者は、ジェンダーフリーを正当化する理論として、ジェンダー(社会的性別)は後天的な要因が大きく関わって決定されるという説を主張している。文化人類学者マーガレット・ミードの研究、さらに性科学者ジョン・マネーの研究をその根拠付けに参照する著者も存在した。また、生物学的性差とは独立に後天的要因のみによって決定されるという急進的な主張をするフェミニストも存在した。

だが近年、マーガレット・ミードとジョン・マネーの研究は批判さらされている。(デイヴィッド・ライマーの項を参照)。これにより、ジェンダーフリーの学術的な正当性は否定されたとの指摘を、反対派は行った。しかしながら、ジェンダーの形成における先天的、後天的な影響についての学術的論争はまだ最終的な結論がでていない


上記の事実が明らかになった後、賛同派は、「すでにジェンダーフリー思想は様々な多岐にわたる分野の研究成果から成立しており古い学説に依拠するような時代は大昔に過ぎ去っている」とした(関連、文化相対主義、社会的構築主義)。
だが近年、マーガレット・ミードとジョン・マネーの研究は間違いであったことが明らかなった[[デイヴィッド・ライマー]]の項を参照)。これにより、ジェンダーフリーの学術的な正当性は否定されたとの指摘を、反対派は行った。


、性差が後天的な要因でのみ決定されるという説が否定されたとしても、性差が先天的な要因のみで決まるということが証明されたことを意味しない。これまで保守派の一部がジェンダーフリーを批判するために援用してきた脳神経学や遺伝子学などの分野において、男女の脳は従来言われていたほどの差はないのではないか、という傾向の主張もあり、ジェンダーフリー推進側は、このような主張にも注目すべきだとしている(最近の脳神経学の研究をわかりやすく紹介している本としては、田中富久子『脳の進化学 ――男女の脳はなぜ違うのか』など)。
上記の事実が明らかになった後、賛同派は、「すでにジェンダーフリー思想は様々な多岐にわたる分野の研究成果から成立しており古い学説に依拠するような時代は大昔に過ぎ去っている」とした(関連、[[文化相対主義]][[社会的構築主義]]が、実際には、ジョン・マネーが唱えた説は近年に出版されたフェミニズムの書物などにも記されている。それゆえ、「賛同派は自らが依拠していた説をご都合主義的に翻した」との批判も受けることになった


かし、性差が後天的な要因でのみ決定されるという説が否定された、性差が先天的な要因のみで決まるということが証明されたことを意味しない。これまで保守派の一部がジェンダーフリーを批判するために援用してきた脳神経学や遺伝子学などの分野において、男女の脳は従来言われていたほどの差はないのではないか、という傾向の主張もあり、ジェンダーフリー推進側は、このような主張にも注目すべきだとしている(最近の脳神経学の研究をわかりやすく紹介している本としては、田中富久子『脳の進化学 ――男女の脳はなぜ違うのか』など)。


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==

2007年1月8日 (月) 02:23時点における版

 ジェンダーフリー(gender-free)とは、文化的・社会的文脈における「男」「女」の性のイメージや役割であるジェンダーにとらわれず、個々人それぞれが自分らしく個人としての資質に基づいて果たすべき役割を自己決定出来るようにしようという、「ジェンダーからの自由を目指す」思想、および、この思想に基づいた運動を指す。

ジェンダーフリー概念の成立

 上記の意味での「ジェンダーフリー」という和製英語は、日本国内でのみ用いられている。日本で行われているジェンダーフリー運動の考え方は、英語圏でいう「ジェンダー・イクォリティ(Gender Equality)」もしくは「ジェンダー・ブラインド(Gender Blind)」運動に近い。「gender-free」という言葉自体は、アメリカの教育学者バーバラ・ヒューストンが用いたとされているが、ヒューストンはこの言葉を「ジェンダーの存在を意識しない」という意味で使用しており、かつ、「ジェンダーフリーよりも、ジェンダーに起因する差別や格差に敏感な視点を常に持って教育を進めるべきだ」という批判的な文脈で使った言葉である。すなわち、日本において「ジェンダーからの自由を目指す」思想や運動に「ジェンダーフリー」という語が用いられたのは、本来の意味と異なる誤用であった。

(なお、フェミニストの山口智美は、『「ジェンダー・フリー」をめぐる混乱の根源』の中で以下のように述べている。
『私は10年以上、アメリカの大学院でフェミニズムを専門としてきたが、「ジェンダー・フリー」という言葉は聞いたことがなかった。「ジェンダー・フリー」の「フリー」は、日本で一般に理解されているような「~からの自由」という意味より、英語では「~がない」という意味合いが強い。アルコールフリービール、オイルフリーファンデーションなどを例にとるとお分かりいただけるだろう。アメリカ人のフェミニスト学者数名に、「ジェンダー・フリー」について聞いてみたところ、「何それ?ジェンダー・ブラインドって意味なの?」という反応が返ってきた。彼女たちは、「ジェンダーを見ようとしない。ジェンダーが見えていない」という意味にとった。つまり、ジェンダー・フリーを、男女平等に対して否定的な意味合いを持つ用語と解釈したのである。』)
[1]

 「ジェンダーフリー」は、フェミニズム運動の一環として、あるいはその考え方を中心にした文脈で理論・運動が展開されることが多い。ただし、フェミニストのすべてがジェンダーフリー賛同派というわけではない。

 男性に対する文化的圧力を問題とする「男性学」「メンズリブ」「マスキュリズム」などの活動を行う層にも、ジェンダーフリー運動に賛同する者は多い。また、クィアと呼ばれる、同性愛など性的マイノリティーに属する層の中にも運動に賛同する者がいるが、この層では、本来の「ジェンダーフリー」の意味から離れ、独自の政治的意味を付加する論も存在する。

 英語圏では、「社会的文化的性からの解放」を目指すものとして、「ジェンダー・イクォリティ」運動が、日本の「ジェンダーフリー」運動に近いものとして存在している。欧米では、「あらゆる場面において男女の区別を解体すると、女性を対象にして保護や優遇措置を求めるフェミニズム運動にとって不利である」ことが保守系のフェミニストなどから指摘されており、これを踏まえ、男女の区別を画一的に解体せずに、性の平等を求める運動を進めるべきであるというフェミニストも見られる。このようなフェミニズムの考え方は差異派フェミニズムとよばれ、ジェンダー・イクォリティを主眼とするリベラル・フェミニズムと区別される。

 日本政府の内閣府男女共同参画局はジェンダーフリーについて『一部に、画一的に男女の違いを無くし人間の中性化を目指すという意味で「ジェンダー・フリー」という用語を使用している人がいますが、男女共同参画社会はこのようなことを目指すものではありません』と説明している(内閣府・男女共同参画関連用語集より引用)。この意味での「ジェンダーフリー」という用語は、和製英語であるため、アメリカでも、日本政府でも、国連でも、公式に使われていないが、日本語の「ジェンダーフリー」とは欧米のフェミニズムの中のリベラル・フェミニズム(ジェンダーに基づくステレオタイプや役割分担を撤廃することを目指す)と同じ意味だと考えてよいだろう。なお、「(生物学的な意味での)男女を区別せず処遇する」と言う意味でのgender-freeは、英米軍の公式用語として使用されているし、「(生物学的な)ジェンダー(性)にかかわらない(語彙など)」という意味では使われているので「英語にない完全な和製英語」という言い方も正しくない。2003年2月27日の予算委員会第一分科会における官房長官の答弁として、「ジェンダーフリーという言葉はいかなる場合でも使ってはいけないということではない」「誤解を招くような、そういうおそれがあるので政府として公式に使っていない」「使用する際に、例えば地方公共団体とか関係機関において用語を適切に定義して、それが誤解なく理解されるようにする、これが大事だ」との見解を示しているが(国会議事録検索システムより引用)、男女共同参画局メーリングリストで「定義を示して使用するのは差し支えない」との局長の見解にも見られるように、定義の誤用を避けることが重要である。しかしジェンダーフリーの言葉自体を禁止、自粛するような言葉狩り的な風潮も見られ、福井県の男女共同参画関連施設において、ジェンダー・フリーに関する書籍が閲覧室から書庫に移された例もあり、言論弾圧であるの批判が集中した。

関連リンク

ジェンダーフリー運動とそれをめぐる状況 

ジェンダーフリーでは、「ジェンダー」とは文化的・社会的文脈における「男」「女」の性の役割やイメージといった意味で用いられている。一部のラディカル・フェミニストは、「ジェンダー」は、いつも「男が上で女は下」「男が支配し女が従う」といった、非対称の関係として機能している、と捉えている。「ジェンダー」は男女の支配従属の関係を維持するための装置であり、また、ジェンダーを根底から規定し、女性を差別的状況におく社会的仕組みの中心をなすのが、性別役割分業であるとしている。欧米のフェミニズム運動に触発を受け、日本でもが社会的、文化的につくられたジェンダー・ロール(ジェンダーに基づいた性別役割分担)を撤廃しようとの動きが市民レベルで広がり、政府も、女性差別撤廃条約の批准などを受けて男女共同参画局の設置、男女共同参画社会基本法の制定などの取り組みを行ってきた。

たとえば、学校現場におけるジェンダーフリー教育としては、以下のような取り組みがなされている。制度面では、男女に分けない共通性として、科目の共通性(男子も家庭科を必修にする等)、衣服・教材の共通性(体操服を両性共通のデザインにする等)、呼称の共通性(両性とも「さん」付けに統一する等)、呼び順の共通性(男女混合名簿等)など、各制度における不合理な男女差別を撤廃する取り組みがなされている。また、評価面では、ジェンダー・ステレオタイプによるバイアスを解消し、生活指導面(泣く男子は叱るのに、泣く女子は叱らない等の区別はしない)、進路指導面(女子が理系に進むことに消極的になるような誘導はしない)、固定的な役割分担を定めない(常に男子が学級委員、女子が副学級委員等と固定化しない、運動部のマネージャーを女子のみに限定しない)など、「個々の個性」に基づいた評価・進路指導の方針を進める、などである。また、学校教育方面以外にも、育児教育や職業選択などでジェンダーフリー運動が展開されている。

これに対して強硬な保守派などからは、差別ではない性差による区別は否定されるべきでない、といった批判がなされている。近年の日本社会の右傾化に伴い、ジェンダー・フリーの概念が非難を浴びることも多い。賛同派の一部が唱える過激な主張に対し、「家族および社会の崩壊につながりかねない(伝統的・社会的規範に反する)」と批判がある。また、一部のフェミニストが自らが主張する「女性差別」の是正を進める過程において、逆差別(男性差別)とも取れる発言を行っている、との主張もある。一部のラディカル・フェミニストによる急進的な提案をあたかもジェンダー・フリー運動を代表するものであるととらえ声高に批判するケースも見受けられる。石原慎太郎東京都知事は、都議会定例会において、「最近、教育の現場をはじめさまざまな場面で、男女の違いを無理やり無視するジェンダーフリー論が跋扈している」、「男らしさ、女らしさを差別につながるものとして否定したり、ひな祭りやこいのぼりといった伝統文化まで拒否する極端でグロテスクな主張が見受けられる」、「男と女は同等であっても、同質ではあり得ない。男女の区別なくして、人としての規範はもとより、家庭、社会も成り立たないのは自明の理だ」と強調し、ジェンダーフリー教育を批判した。東京都では、ジェンダーフリーの概念が都教育委員会の見解と異なることから、ジェンダーフリーという言葉を用いないように文書で通達している。また、国分寺市の講演にフェミニストである上野千鶴子を招くことを自粛した事例がある。  

関連リンク

ジェンダーフリーをめぐる論争

論争の背景

ジェンダーフリー運動については、賛同派と反対派の間でさまざまな論争が行われている。

ジェンダー論の根底にある「性差別が起こるのは、社会的・文化的性が原因である」という考え方は、フェミニズム思想に由来している。そのため、ジェンダーフリー賛同派の一部には、性差そのものを否定する過激なフェミニスト(以下の「ジェンダーレスとの混同」を参考のこと)も存在しており、問題を複雑化しているとされる。

日本におけるジェンダーの例として、男性に関して言えば、些細な事柄で泣き出すことを「男らしくない(女々しい)」と非難したり、家庭を扶養しなければならないといった社会的期待が挙げられる。また、女性に関して言えば、男性に口答えをしてはならない、子どもを産まなければならないといった例がある。詳しくは、ジェンダーの項目を参照のこと。


反対・否定派の主張

反対派は、社会的・文化的な性とされる「ジェンダー」は、その社会の文化に強く結びついているため、それを全て画一的に排除するのは困難であると主張する。また、賛成派でも思想に統一が取れていないという点や、理論そのものに対する構造上の欠陥を指摘をする者もいる。欠陥の一つとしては、生物としての性別は否定し難いものであるため、性差を強引に無視することは男女双方に不利益を与える危険性が挙げられる。[1]。

また、「どのようにして個性もしくは自分らしさといったものを定義・評価するか」という手法が曖昧であるという点を指摘したり、もあり、目立った批判はされてこなかったものの、アファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)のような女性優遇策に対し、「悪平等である」、「男性差別である」といった批判はなされることはある。

宗教界においては、世界教授アカデミー、および世界日報という団体が伝統的性文化への回帰を広く呼びかけている。世界教授アカデミーおよび世界日報は統一教会との強固な関係を持つ。これに対し、ジェンダーフリー賛同側は「批判側にカルトが係わっている」と主張している。ジェンダーフリーに批判的な立場を採る人々は、カルト宗教がジェンダーフリー批判に賛同することによって自体が複雑化することを懸念している。アメリカでは、パット・タンジェントをはじめとするテレバンジェリストと言われる宗教右派のテレビ宣教師達が、男女の役割分担を尊重し、子供は家庭で母親が育てるべきであると説いている(但し、この場合は学校教育を含めて全否定し、子どものあらゆる活動を家庭が面倒を見るべきだという主張であり、一般的なジェンダーフリー批判とは性質が異なる)。


ジェンダーレスとの混同

宮台真司斉藤環などは、多くの論者がジェンダーフリーとジェンダーレスを混同していると指摘している。彼らによると、ジェンダーフリーとは「性差を否定すること」ではなく、性別による固定された社会的な役割を柔軟にしていく運動であり、逆を言えば従来通りの価値観すら認める立場である。一方で、ジェンダーレスは性別そのものを否定していく運動であり、一般にジェンダーフリー否定派が糾弾するのはジェンダーレスの思想であるという。

また、ジェンダーフリーと性教育は余り関係ないものの、過激な賛成派がジェンダーフリーと絡めて(学童に対する)性教育を主張する影響で、「ジェンダーフリーとは過激な性教育である」とする意見が述べられることがある(自民党による「ジェンダーフリー教育実態調査」)。左記のリンクに見られるように、ジェンダーフリーと性差の否定(ジェンダーレス)は異なる概念であることが一般的には理解されていない。

しかし、ジェンダーフリーの名の下に一部の考え方に基づいたフェミニズムを押し通そうとする団体(政治家も含む)があることも否定できない事実である。例えば、賛成派自体が「ジェンダーフリーはジェンダーレスではない」と唱える一方で、その実態が否定派の懸念する「ジェンダーレス」の内容と一致していることがある。

一部のジェンダーフリーの研究者は、「~らしさ」の定義・印象が時代と共に変遷していることに着目し、ジェンダー問題の本質は「世代間の意識格差」ではないかと主張している。つまり、同じように「女らしさ」を肯定し、推奨したとしても、各世代間の「女らしさ」の意識にズレがあるため、議論が平行線を辿ってしまうという構造である。また同様に、生活環境による意識の格差も指摘されている。これは都市部と農村部における「女らしさ」の意識にも差異が認められる点に着目した意見である。例えば、農村部では「女性も肉体労働(農作業)に参加するべきだ」と考える一方、都市部では「女性は肉体労働に従事すべきではない」と考える傾向が見られるという。海外の例では、社会階層(階級)によっても意識に差異が見られるという指摘もある。

こういった背景から、ジェンダーフリー運動が要求するのは「~らしさ」の自己決定権[1]この前提を理解していない、もしくは知らない賛成派の人々が事態を複雑化することを懸念する声がある。


政党政治とジェンダーフリー

自由民主党

  • 自民党のホームページには『(教育)現場では「小学5年生で男女同宿」「学校のトイレが男女一緒」など性差を否定する『教育の暴走』がおこなわれている』と記述されている(関連リンク参照)。また、男女同室着替えをジェンダーフリー教育の結果だとし、空き教室があるにもかかわらず同室で着替えさせている、とする。また自由民主党と民主党の違いは「ジェンダーフリーを推進しているかどうかだ」と表現している。

日本共産党

  • 日本共産党は、ジェンダーフリー教育を擁護し、男女同室着替え等はジェンダーフリー教育導入前からあったとしている。

ジェンダーフリーの実践例等

ジェンダーフリーの実践として次のような例があると言われている。しかし、男女別学学校の男女共学化などはジェンダーフリーの意図をもって行われているというより、学校経営上の都合であることが多いようである。なお、日本教職員組合は、男女同室着替えには反対の立場であり、「更衣室の整備拡充」を文部科学省に要求している。

【 教育現場 】

以前より日本教職員組合などは、「男の子だけの通過儀礼を廃止せよ」といった、ジェンダーフリーにつながる主張を行ってきた。さらに、女性の社会進出が進むにつれ、学校教育はジェンダーバイアスの撤廃に力を入れ始めた。そして男女共同参画基本法の制定により、一つの教育運動となったものである。

具体的な事例としては、以下のような事が教育現場で行われていると言われる。

  • クラス名簿を男女混合にする。
  • 「男女」の名詞を「女男」に変える。
  • スカートは最も「女らしい」服装なので、制服からスカートを廃止しようとした。
  • 女子の体操着のブルマー廃止と同時に、男子の短パンも廃止し、男女兼用のハーフパンツとする。また、かつてはトレーニングウェアの色を男子は青や紺・深緑、女子は赤やエンジとしていたが、男女共用の青や緑(黄緑・青緑)、紫(青紫・赤紫)などどちらにも相応しい色に切り替えた。
  • 運動会の競技を男女混合にする。
  • ロッカーや下駄箱の男女別の禁止。
  • 小学校教科書の記述を検討し、「男の子はズボンに女の子はスカートに髪かざり」、「おじいさんは反物売り、おばあさんは家で」、「およめに来て・・・・およめに行く」、「小さなお母さんになってお昼を作る」などの表現をジェンダーフリーに反するものとし、旧来のジェンダーにとらわれない女性のロールモデルを作るよう提唱する。
  • 男女別学の公立高校を共学にする。
  • 高校入試の合格者数を、男女同数にするように提案する。
  • 黒や赤などのジェンダーに基づいたランドセルの色のみでなく、「女男ともに黄色いランドセル」といった、ジェンダーにとらわれない新たな選択を家庭に与える。
  • 生徒たちがポルノなどの誤った情報に惑わされず正しい性に関する知識を得られるようにするため性教育を行う。

【 団体等の活動 】

教育行政や団体の運動としては、次のような事例が挙げられる。

  • 日本教職員組合は2005年3月に発刊した「日教組政策制度要求と提言」の政策提言62において、国への政策提言として、男女平等教育のための基本方針の策定、学校における男女平等教育推進のための教職員への研究の実施、性別役割分業に基づく記述や挿し絵をなくすために教科書の検定にジェンダーの視点を入れることなどを提案している。また、活動のひとつとして「毎年2月をメディア・チェック月間と位置づけ、社会の中や自分の中にある「固定的なジェンダー意識」に気付き、問題化し、放送機関や関係機関に対し要請行動を行なって」いると述べている。
  • 日本女性学習財団発行の冊子『新子育て支援 未来を育てる基本のき』において、「無意識のうちに、子どもたちに『女らしさ』や『男らしさ』を押しつけるような子育てをしていませんか? ふり返ってみましょう」との言葉とともに、
「ひな祭り」や「鯉のぼり」といった伝統行事
女の子に「さくら」「美咲」「優花」という愛らしい名前をつけたり、男の子に「翔太」「翼」「大輝」というスケールの大きい名前をつけること
出産祝いで、女児にピンクの産着、男児に水色の産着を贈ること
などが、ジェンダーフリーに反する例として挙げられた。
※ 冊子の記述について、「ひな祭り」や「鯉のぼり」のような伝統行事を否定するなどいきすぎであるとの指摘がなされたが、これに対して日本女性学会は、2003年3月の学会ニュースにて、これらの伝統行事に含まれていた「男は強く元気に/女は優しく美しく」と、「性別と人のありかたを結びつけるシンボリズム」は今日では適切でないとし、5月5日がこどもの日であるようにひなまつりも性別によらない祝いにするのが良い、との回答を行った。
  • 2003年に福岡市で開かれた女性フォーラムにおいて、昔話の「桃太郎」を「桃子」に変更し、ストーリーを変更させた劇を上演。鬼を退治することでなく、話し合いによって解決する内容となっている。
  • 第156回国会において、社会民主党・市民連合の議員が、財界の出資による「全寮制男子校」設置の構想を批判したうえで、「今後、性別に特化した学校を設立することは、「男女共同参画」と矛盾するのではないか」等の質問を行った。:※ なお、これについて政府は、男女の共学については教育上尊重されるべきものであるが、すべての学校における男女の共学を一律に強制する趣旨のものではない、との見解を示している(参考:衆議院質問答弁・第156回常会質問23)。
  • 「ジェンダーチェック」を行い、ジェンダーフリーを理解していないと「化石」と認定される。

関連リンク

ジェンダーフリーの思想的背景

日本でジェンダーフリーという政治運動が起こった背景について、推進側は、女性の社会進出(賃金労働者化)が進み、男女観も多様化した中で、従来の男らしさ・女らしさというステレオタイプによる評価基準を不合理に感じたり窮屈に感じる人が増えてきたためとしている。女性の高学歴化が進むに従い、「社会的・文化的に作られた性(日本語の「ジェンダー」)からの離脱の自由」を認める風潮を目指す女性も出てきた。そしてフェミニズムに基づいた市民運動が成功し、ジェンダーフリーを推進する「男女共同参画社会基本法」が作られた。

また、日本の代表的フェミニストの1人である上野千鶴子が著書『ジェンダー・フリーは止まらない』(松香堂)にも収録された2001年4月15日、NPO法人フィティ・ネット設立記念フォーラムでの講演にて、一個人が私的な思想信条の範疇で「女は嫁に行くのが一番だ、と私は信じています」と述べる行為すらも、「ドイツではヒットラーを支援するような発言をすると犯罪を構成します。(中略)人種に関しては許されないことが、なぜ女に関しては言ってもいいのでしょうか。それが「思想信条の自由」のもとに許していいのか、と思います。」と聴衆に訴えかけ、言論の自由を盾に性差別的な発言をすることは許されない、と強調した。

ジェンダーフリーの理論的・思想的背景については、ラディカル・フェミニストの江原由美子によれば社会主義のイデオロギーから来ているという(『フェミニズムの名著50』)。歴史的にみるとジェンダーフリーの発祥はフランスの社会主義者シャルル・フーリエの理論、フーリエによって提唱された「ファランステール」という生活集団に見られる(『フェミニズムの歴史』)。また旧ソ連ではアレンクサンドラ・コロンタイが同じような政策(家族廃止、家事労働の共同化等)を打ち出した。しかし、この政策は失敗に終わり1934年には旧ソ連政府も根本的見直しをすることになった(ニコラス・S・ティマシェフ「ロシアにおける家族廃止の試み」)。ジェンダーフリーと社会・共産主義の結びつきについては、安藤紀典「マルクス主義の女性解放論」が詳しい。しかし、フェミニストの中には個人の自由などの観点からマルクス主義的フェミニズムに反対する人々も多く存在する。

ただし現在のジェンダーフリー運動は、直接的には第二波フェミニズムを源としているという見方がされている。社会的文化的に形成された性別(ジェンダー)から解放されるべきだというジェンダーフリー運動の理論的背景は、社会主義・共産主義から直接繋がっているというよりも、フランスの哲学者シモーヌ・ド・ボーヴォワールの『第二の性』に代表される実存主義フェミニズムや、マルクス主義を女性運動の理論的根拠に採り入れたフェミニズム理論(ラディカル・フェミニストのシュラミス・ファイアストーンによる「妊娠・出産によって性の階級制度が生み出され、女性への抑圧となる構造は解消されるべきだ」という主張など)が大きく影響しているといえよう。これは、男女を権力関係と見なす傾向や、女性の「性と生殖に関する権利」などが主張される点に良く現れている。

しかし、にも関わらず、日本のジェンダーフリー運動は、アメリカ、ヨーロッパ、共産主義国のフェミニズム運動とは異なる部分も多い。日本のジェンダーフリー運動は日本文化における特有の問題、保守派によるバックラッシュなどの試練を抱えている。

関連リンク

ジェンダーフリーにおける生物学的問題

ジェンダーフリーの論者は、ジェンダーフリーを正当化する理論として、ジェンダー(社会的性別)は後天的な要因が大きく関わって決定されるという説を主張している。文化人類学者マーガレット・ミードの研究、さらに性科学者ジョン・マネーの研究をその根拠付けに参照する著者も存在した。また、生物学的性差とは独立に後天的要因のみによって決定されるという急進的な主張をするフェミニストも存在した。

だが近年、マーガレット・ミードとジョン・マネーの研究は批判にさらされている。(デイヴィッド・ライマーの項を参照)。これにより、ジェンダーフリーの学術的な正当性は否定されたとの指摘を、反対派は行った。しかしながら、ジェンダーの形成における先天的、後天的な影響についての学術的論争はまだ最終的な結論がでていない。

上記の事実が明らかになった後、賛同派は、「すでにジェンダーフリー思想は様々な多岐にわたる分野の研究成果から成立しており古い学説に依拠するような時代は大昔に過ぎ去っている」とした(関連、文化相対主義、社会的構築主義)。

そして、性差が後天的な要因でのみ決定されるという説が否定されたとしても、性差が先天的な要因のみで決まるということが証明されたことを意味しない。これまで保守派の一部がジェンダーフリーを批判するために援用してきた脳神経学や遺伝子学などの分野において、男女の脳は従来言われていたほどの差はないのではないか、という傾向の主張もあり、ジェンダーフリー推進側は、このような主張にも注目すべきだとしている(最近の脳神経学の研究をわかりやすく紹介している本としては、田中富久子『脳の進化学 ――男女の脳はなぜ違うのか』など)。


関連項目

注釈

  1. ^ 「伝統的な価値観を尊重したい人はそうすれば良いし、その考えは守られた方が良い。一方、伝統的な価値観を受け入れたくない人は別な価値観で生きることが出来れば良いし、その考えは守られた方が良い」とする考えであり、「社会から性差が無くなるべきだ」とは主張しない。

関連文献

肯定的立場

  • 日本女性学会ジェンダー研究会著 『Q&A 男女共同参画/ジェンダーフリー・バッシング―バックラッシュへの徹底反論』 明石書店 (2006/06) ISBN 4750323489
  • 上野千鶴子宮台真司斉藤環小谷真理他共著 『バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?』 双風舎 (2006/06/26) ISBN 4902465094
  • レナード・サックス著『男の子の脳、女の子の脳~こんなに違う見え方・聞こえ方・学び方』草思社(2006年)

否定的立場

  • 西尾幹二八木秀次著 『新・国民の油断 「ジェンダーフリー」「過激な性教育」が日本を亡ぼす』 PHP研究所 (2005/01/12) ISBN 4569638120
  • 野村旗守編 『男女平等バカ「ジェンダーフリー」はモテない女のヒガミである!家庭、学校、社会、自治体、中央官庁の“ジェンダーな”事件簿 年間10兆円の血税をたれ流す、“男女共同参画”の怖い話!』 宝島社 (2005/12/02) ISBN 4-7966-5040-7

関連特集(雑誌・テレビ等)

平成十八年五月十日号  箱もの利権ほか 暴走するジェンダーフリー これは白い文化大革命だ

ジェンダーフリーに狂奔するフェミニスト8人の仰天「言行録」 千葉展正他二本

 平成十八年九月二十七日号 対中外交からニート利権まで 血税にたかる! 掠める! 喰らう! 悪い奴ら

[ジェンダー利権]「男女共同参画推進」ってフェミニストへの血税バラ撒きのこと? 野村旗守

ジェンダーフリー・男女共同参画社会特集

外部リンク

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