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{{Otheruses|キチェ族の神話|ドイツのバンド|ポポル・ヴフ (バンド)}}
{{Otheruses|キチェ族の神話|ドイツのバンド|ポポル・ヴフ (バンド)}}
[[File:Popol vuh.jpg|right|250px|thumb|現存する最古のポポル・ヴフの著述。({{仮リンク|フランシスコ・ヒメーネス|en|FranciscoXiménez}}著、 1701年頃)]]
『'''ポポル・ヴフ'''』(''Popol Vuh'')または『'''ポポル・ウフ'''』(''Popol Wuj'')は、[[キチェ族]]の伝承や来歴について書かれた[[神話]]である。[[ユカテコ語]][[写本]]集である『{{仮リンク|チラム・バラムの書|en|Chilam Balam}}』などと共にかつての[[マヤ族]]の[[宗教]]を知る上での貴重な資料の一つである。


『'''ポポル・ヴフ'''』(''Popol Vuh'')または『'''ポポル・ウフ'''』(''Popol Wuj'')<ref>現代[[キチェ語]]ではPoopol Wuujで、この読みは発音記号で {{IPA-myn|ˈ<!--iambic stress-->pʰoːpʰol ˈʋuːχ|}}</ref>。とは、現在の[[グアテマラシティ]]北西にある{{仮リンク|グアテマラ高地|en|Guatemalan Highlands}} に住む[[キチェ族]]の人々に伝わる[[神話]]および[[歴史]]を綴った文書である。
==書名==
[[青山和夫 (考古学者)|青山和夫]]によると、この書名は「会議の書」を意味し、[[キチェ語]]で「紙・書」を意味する語はウーフなので、『ポポル・ウーフ』と呼ぶべきだろうとする<ref>青山(2015) pp.80-81</ref><ref>ミラー&タウベ(2000)では書名を『ポポル・ウフ』とし、「評議会の書」と訳すなど、青山とほぼ同様に解釈している</ref>。いっぽうアドリアン・イネス・チャベスは『Pop Wuj』が正しい題で、「古代の出来事の書」「聖なる時間の書」という意味になるとしたが、必ずしも認められていない<ref>実松(2016) pp.276-280</ref>。


==概要==
==概要==
『ポポル・ヴフ』は[[グアテマラの歴史#スペイン植民地時代|グアテマラのスペイン征服]]以前にキチェ族の人々によって書かれた創作説話である<ref name="Christenson Popol Vuh">{{cite book|last1=Christenson|first1=Allen J.|title=Popol vuh : the sacred book of the Maya|date=2007|publisher=University of Oklahoma Press|location=Norman|isbn=978-0-8061-3839-8|pages=26-31|edition=Oklahoma|url=https://books.google.com/books?id=hJx47n_sm-YC&lpg=PP1&pg=PA3#v=onepage&q&f=false|accessdate=29 September 2017}}</ref>。そこには[[マヤ神話#創世神話|マヤの創世神話]]、英雄の双子[[フンアフプーとイシュバランケー]]の偉業<ref>Junajpu and Xb’alanke in Modern K'iche' spelling</ref>、そしてキチェ族の年代記が含まれている。
[[File:Empiezan las historias(titlepage).jpg|right|180px|thumb|ヒメーネスによる現存最古の写本]]
この書の成立は[[16世紀]]に遡り、本来は[[マヤ文字]]により記されていたと推定されている<ref>ロンゲーナ(2002:22)。</ref>。しかしマヤ文字で書かれたものは現存しない。今日記録において知られている最古のものは[[18世紀]]初頭に[[チチカステナンゴ]]のサン・トマス寺院で[[ドミニコ会]]の{{仮リンク|フランシスコ・ヒメーネス|en|Francisco Ximénez}}により発見された[[ラテン文字]]表記によるキチェ語本である。この原本も後に失われてしまったものの、ヒメーネスは資料の筆写を行い、『カクチケールとキチェーとツトゥヒールの三言語の術の書』というキチェ語・{{仮リンク|カクチケル語|en|Kaqchikel language}}・{{仮リンク|ツトゥヒル語|en|Tz’utujil language}}の文法書・語彙集の付録として原語とスペイン語への翻訳を含めた<ref>Carmack (1973) p.162-164</ref><ref>レシーノス(1972:321)</ref>。ヒメーネスの写本は出版されることなくグアテマラの図書館に置かれていたが、その後[[フランス]]の[[シャルル・エティエンヌ・ブラッスール・ド・ブールブール|ブラッスール・ド・ブールブール]]の所有となった。ブラッスール・ド・ブールブールは[[フランス語]]への翻訳を1861年に出版した。1912年以来、[[シカゴ]]のニューベリー図書館が所蔵している<ref>{{citation|url=https://www.newberry.org/popol-vuh|title=Popol Vuh|publisher=The Newburry}}</ref>。


ポポル・ヴフという名称は「会議の書」<ref>{{cite book|和書|author=青山和夫|authorlink=青山和夫 (考古学者)|title=マヤ文明を知る事典|publisher=[[東京堂出版]]|year=2015|isbn=9784490108729}}</ref>や「共同体の書」「評議会の書」などと訳されるが、より文字通りには「民衆の書(Book of the People)」である<ref>{{cite book|last1=Christenson|first1=Allen J.|title=Popol vuh : the sacred book of the Maya|date=2007|publisher=University of Oklahoma Press|location=Norman|isbn=978-0-8061-3839-8|pages=64|edition=Oklahoma|url=https://books.google.com/books?id=hJx47n_sm-YC&lpg=PP1&pg=PA3#v=onepage&q&f=false|accessdate=3 November 2017}}</ref>。文字に書き留められたのは1550年頃で、それ以前はもともと[[口頭伝承]]で受け継がれてきたものである<ref name="auto">{{cite web|title=Popol Vuh AHA|url=https://www.historians.org/teaching-and-learning/teaching-resources-for-historians/teaching-and-learning-in-the-digital-age/creation-stories-and-epics/popol-vuh|website=www.historians.org|publisher=American Historical Association|accessdate=3 November 2017|language=en}}</ref><ref>{{cite web|title=Popol Vuh - The Sacred Book of The Mayas|url=http://www.vopus.org/en/gnosis/gnostic-anthropology/popol-vuh-sacred-book-of-the-mayas.html|website=www.vopus.org|publisher=VOPUS|accessdate=3 November 2017|language=en}}</ref>。現存するポポル・ヴフは、18世紀[[ドミニコ会]] の{{仮リンク|フランシスコ・ヒメーネス|en|FranciscoXiménez}}が原文をスペイン語で写し取ったものとされている<ref name="auto"/><ref>According to Allen Christenson, the mat was a common Maya metaphor for kingship (like "throne" in English) and national unity.</ref>。本来は[[マヤ文字]]により記されていたと推定されている<ref>マリア・ロンゲーナ 著、植田覺 監修、月森左知 訳『[図説]マヤ文字事典』創元社、2002年、22頁。</ref>。しかしマヤ文字で書かれたものは現存しない。
第一部および第二部の内容は、[[フンアフプーとイシュバランケー|フンアフプーとシュバランケー]]の兄弟が偽の太陽である[[ヴクブ・カキシュ]]と[[シパクナー]]ら親子を討伐し、地下世界[[シバルバー]]の神々から与えられた試練を乗り越えた末に、兄弟が天に昇り[[太陽]]や[[月]]となるまでの物語が主な軸となっている。


『{{仮リンク|チラム・バラムの書|en|Chilam Balam}}』や他の類似テキストもそうだが、スペインの[[コンキスタドール]]が[[焚書]]を行ったために[[メソアメリカ]]の神話を扱っている初期の叙述が希少であるとの観点から、ポポル・ヴフは特に重要である<ref>{{cite book|last1=Christenson|first1=Allen J.|title=Popol vuh : the sacred book of the Maya|date=2007|publisher=University of Oklahoma Press|location=Norman|isbn=978-0-8061-3839-8|pages=21|edition=Oklahoma|url=https://books.google.com/books?id=hJx47n_sm-YC&lpg=PP1&pg=PA3#v=onepage&q&f=false|accessdate=3 November 2017}}</ref>。
第三部には、キチェ族の始祖の歴史が記されている。神の手により[[トウモロコシ]]の粉から[[人間]]が創造される物語の存在などは、後古典期のマヤ族の[[宇宙観]]を窺わせる要素である。


==ポポル・ヴフの歴史==
==他民族の神話との関連性==
=== ヒメーネス神父の写本===
シパクナーが討伐される原因となったのは自分の命を狙ってきた400人の若者を返り討ちにした為である。この400人の若者たちは後にプレアデス星団となったと伝えられている。また、真の太陽となるフンアフプー達に討たれるまでシパクナーは父親と共に太陽を[[僭称]]していた。それはすなわち太陽が夜の象徴である[[星]]々を滅ぼし、昼の世界に君臨する様を暗示している。こうした一連の流れには[[アステカ族]]の神話において太陽神[[ウィツィロポチトリ]]が月の女神[[コヨルシャウキ]]や星を表す400人の{{仮リンク|センツォンウィツナワ|en|Centzonhuitznahua}}との戦いに勝利し、コヨルシャウキを惨殺したと語られている事との共通性が見られるとの指摘がなされている<ref>横山(2007:41)。ただし、『{{仮リンク|絵によるメキシコ人の歴史|en|History of the Mexicans as Told by Their Paintings}}』には400人の男達がセンツォンウィツナワである事についてや星を表す存在であるとの明記はなく、またコヨルシャウキも登場しない。</ref>。
1701年、ヒメーネス神父は[[チチカステナンゴ|サント・トマス・チチカステナンゴ]]に着いた。この町はキチェ族の領地であり、従っておそらく神父ヒメーネスが最初に歴史神話を編集した場所とされている<ref>See Tedlock's definition and usage of this term.</ref><ref>Ximénez's title page reads in part, "cvra doctrinero por el real patronato del pveblo de Sto. Tomas Chvila" ('doctrinal priest of the district of Santo Tomás Chuilá').</ref>。ヒメーネスはキチェ語およびスペイン語版を並行で(キチェ語は[[ラテン文字]]とParra文字で音声的に表現されている)書き写し、翻訳した。1714年頃、ヒメーネスは彼の「Historia de la provincia de San Vicente de Chiapa y Guatemala de la orden de predicadores」第2章から第21章までを、スペイン語の内容で1巻に組み入れた。ヒメーネスの写本は没後も[[ドミニコ会]]の所有で保管されていたが、1829-30年に[[フランシスコ・モラサン]]将軍がグアテマラから聖職者を追放したことで、ドミニコ会の書物の大部分が[[サンカルロス大学]]に渡った。


1852年から1855年まで、[[モーリッツ・ワグナー]]と[[カール・フォン・シェルツァー]]は中央アメリカを旅行し、1854年5月初旬にグアテマラシティに到着した<ref>Woodruff 2009</ref>。シェルツァーは大学図書館でヒメーネスの著作を見つけ、その中にある特定項目「del mayor interes(最も興味深い)」に着目した。 グアテマラの歴史家にして[[アーキビスト]]のフアン・ガバレーテの助力を得て、シェルツァーは写本の後半からスペイン語の内容を写し取り(またはコピーを作成し)、ヨーロッパに戻った時にそれを公表した<ref>Scherzer also published a detailed inventory of the contents in 1857 edition that coincides with the Ayer ms. Scherzer's copyscript and edition began at the third internal title: 1) ''Arte de las tres lengvas Kakchiqvel, Qvíche y Zvtvhil, 2) Tratado segvndo de todo lo qve deve saber vn mínístro para la buena admínístraçíon de estos natvrales, 3) Empiezan las historias del origen de los indíos de esta provinçia de Gvatemala, 4) Escolíos a las hístorías de el orígen de los indios [note: spelling is that of Ximénez, but capitalization is modified here for stylistic reasons].</ref>。1855年にフランスの大修道院長[[シャルル・エティエンヌ・ブラッスール・ド・ブールブール]]もまた大学図書館でヒメーネスの著作を見つけた。しかしながら、シェルツァーが写本をコピーしたのに対し、ブラッスールは明白に大学の文献を盗んでフランスに持ち帰った<ref>Woodruff 2009 pp. 46-47. Brasseur mentions Ximénez's Popol Vuh manuscript in three different works from 1857–1871, but never explicitly states the library document as the source of 1861 French edition. See ''Histoire des nations civilisées du Mexique et de l'Amérique-Centrale'' (1857), ''Popol vuh. Le livre sacré'' (1861), and ''Bibliothèque Mexico-Guatémalienne'' (1871). It was not until fifteen years after his return to Europe that Brasseur suggested a specific provenance of his source material and then asserted that it had come from Ignacio Coloche in Rabinal. The inconsistency among his statements led Munro Edmonson (1971) to postulate that there had been multiple manuscripts in Guatemala.</ref>。ブラッスールの死後1874年に、ポポル・ヴフを含むメキシコ - グアテマラ地方の蒐集品が[[アルフォンス・ピナール]]に渡され、彼を通じて[[エドワード・E・エア]]に売却された。 1897年に、エアは自身の17000個の品を[[シカゴ]]のニューベリー図書館([[:en:Newberry Library|en]])に寄贈すると決めたが、この計画は1911年までかかった。エアの寄贈品の中に、ヒメーネス神父による『ポポル・ヴフ』の書き写し翻訳があった。
==脚注==
{{脚注ヘルプ}}
<references />


1941年に{{仮リンク|A・レシーノス|en|Adri?nRecinos}}がニューベリーでそれを(再)発見するまで、ヒメーネス神父の写本は行方不明とされていた。一般的には、レシーノスが写本を見つけてシェルツァー以降で初の直接編集版を出版したと記述されている。しかし、マンロー・エドモンソンとカルロス・ロペスは、1928年の[[ウォルター・レーマン]]が最初の(再)発見だと考えている<ref>Edmonson 1971 p. viii; Lopez 2007</ref>。アレン・クリステンソン、ネストー・キロア、ジョン・ウードルフ、カルロス・ロペスは、いずれもニューベリーの書籍をヒメーネスの唯一の「オリジナル」と見なしている。
==参考文献==

* マリア・ロンゲーナ 著、植田覺 監修、月森左知 訳『[図説]マヤ文字事典』創元社、2002年。ISBN 4-422-20232-4
=== ヒメーネス神父の原資料===
* {{仮リンク|アドリアン・レシーノス|label=A. レシーノス|en|Adrián Recinos}} 原訳・校註、林屋永吉 訳『ポポル・ヴフ』中公文庫、1972年。(中央公論社刊1961年の文庫化)
{{multiple image
* {{cite book|和書|author=青山和夫|authorlink=青山和夫 (考古学者)|title=マヤ文明を知る事典|publisher=[[東京堂出版]]|year=2015|isbn=9784490108729}}
| width = 109
* {{cite book|和書|author=[[実松克義]]|title=マヤ文明:文化の根源としての時間思想と民族の歴史|year=2016|publisher=[[現代書館]]|isbn=9784768457726}}
| footer = ヒメーネス神父の写本は、ポポル・ヴフに関する既知の最古テキストとされている。最初の前後見開きページの写真にあるように、その大半はキチェ語とスペイン語とで平行して書かれている。
* {{cite book|和書|author=メアリ・ミラー|author2=[[カール・タウベ]]|chapter=ポポル・ウフ|translator=[[増田義郎]]監修・武井摩利|title=マヤ・アステカ神話宗教事典|publisher=[[東洋書林]]|year=2000|isbn=4887214219|pages=287-290}}
| image1 = Empiezan las historias(titlepage).jpg
* 松本亮三、馬場悠男、[[篠田謙一]] 監修、横山玲子 他共著『失われた文明 「インカ・マヤ・アステカ」展』NHK/NHKプロモーション、2007年。
| alt1 = Title page
* {{cite book|author=Carmack, Robert M.|title=Quichean Civilization: The Ethnohistoric, Ethnographic, and Archaeological Sources|year=1973|publisher=University of California Press|isbn=9780520019638|url=http://www.ucpress.edu/op.php?isbn=9780520019638}}
| image2 = Empiezan las historias(preamble).jpg
| alt2 = Preamble
| image3 = Empiezan las historias(Popol vuh).jpg
| alt3 = Creation
}}
ヒメーネスは教区庁から音声学的な写本を原資料として借りたと一般的には信じられている。しかしネストー・キロアは「そのような写本は全く見つかっておらず、従ってヒメーネスの作品は学術研究にとって唯一の原資料である」と指摘している<ref>Quiroa, "Ideology" 282)</ref>。この文書は、[[ペドロ・デ・アルバラード]]の1524年の征服後まもなく、[[キチェ県|サンタ・クルス・デル・キチェ]]または同周辺で行われた口頭朗読の音声的文字起こしとされている。 A・レシーノスと[[デニス・テドロック]]は、ポポル・ヴフ巻末にある系譜を植民地時代の記録と比較することにより、その時期を1554年から1558年の間だと示唆している<ref>Recinos 30-31 (1947); Goetz 22-23 (1950); Tedlock 56 (1996)</ref>。
しかし、そのテキストが「書かれた」書物と言う点で「ポポル・ヴフの現存に関する結論を出す際に、最初の1ページ目の文章を評論家たちが額面どおりに受け取りすぎているように思える」とウードルフは警告する<ref>Woodruff, "Ma(r)king Popol Vuh" 104</ref>。仮に征服後の初期の書物があるとすれば、ある学説(ルドルフ・スカラーよって最初に提案された)では音声的な著作者を『[[:en:Título de Totonicapán|Título de Totonicapán]]』に署名した人物の1人Diego Reynosoによるものとしている<ref>Recinos 34; Goetz 27; see also Akkeren 2003 and Tedlock 1996.</ref>。別の著者の可能性として、『Título de Totonicapán』にて「Nim Chokoh Cavec(Kaweqの偉大な執事)」としてリスト掲載されたDon Cristóbal Velascoもありうるとされる<ref>Christenson 2004</ref><ref>After the list of rulers, the narrative recounts that the three Great Stewards of the principal ruling K'iche' lineages were "the mothers of the word, and the fathers of the word"; and the "word" has been interpreted by some to mean the Popol Vuh itself.{{Citation needed|date=August 2009}} Since a prominent place is given to the Kaweq lineage at the end of Popol Vuh, the author / scribe / narrator / storyteller may have belonged to this lineage as opposed to another K'iche' lineage.</ref>。いずれの場合も、植民地時代の存在はポポル・ヴフの序文で明らかである「これを私たちは今、神の律法のもと、そしてキリスト信仰のもとで書くつもりである。私たちがそれを明るみに出す理由は、海の向こう側からの到来や私たちの暗黒時代の叙述がはっきりと見られ、私たちの生活が明確に見て取れた、いわゆるポポル・ヴフが今やもう見られなくなっているためである」<ref>Goetz 79-80</ref>。したがって、内容を「保存」する必要性は内容の差し迫った消滅を前提としたものであり、それゆえに、エドモンソンは征服前の絵文字的な[[コデックス]]を理論化した。ただそのようなコデックスの証拠はまだ見つかっていない。

しかしながら、少数派はそれらの存在を議論するのに使われるのと同じ根拠で、ヒメーネス以前のテキストの存在に異議を唱えている。どちらの立場も、ヒメーネスによる2つの声明を根拠にしている。1つ目は『''Historia de la provincia''』から来るもので、ヒメーネスはサント・トマス・チチカステナンゴの副牧師職をしている間に様々なテキストを見つけたと記しており、それは「彼らのほぼ全員がそれを暗記している」にもかかわらず「長老大臣たちの間でもその痕跡さえ明かさなかった」ような秘密で守られていたものだった<ref>"y así determiné el trasuntar de verbo ad verbum todas sus historias como las traduje en nuestra lengua castellana de la lengua quiché, en que las hallé escritas desde el tiempo de la conquista, que entonces (como allí dicen), las redujeron de su modo de escribir al nuestro; pero fue con todo sigilo que conservó entre ellos con tanto secreto, que ni memoria se hacía entre los ministros antiguos de tal cosa, e indagando yo aqueste punto, estando en el curato de Santo Tomás Chichicastenango, hallé que era la doctrina que primero mamaban con la leche y que todos ellos casi lo tienen de memoria y descubrí que de aquestos libros tenían muchos entre sí [...]" (Ximenez 1999 p. 73; English translation by WP contributor)</ref>。ヒメーネス以前のテキストを議論するために使われた2番目の箇所は、『ポポル・ヴフ』へのヒメーネスの補遺から来ている。そこで彼は次のように記している。先住民の慣行の多くは「彼らが持っている本、それは[キリスト教以前の]時代から始まっている全ての月と各日付に対応する記号が付された予言のようなもの、の中で見ることができる。そのうちの1つを私は所有している」<ref>"Y esto lo ven en un libro que tienen como pronostico desde el tiempo de su gentilidad, donde tienen todos los meses y signos correspondientes á cada dia, que uno de ellos tengo en mi poder" (Scherzer 1857; English translation by WP contributor). This passage is found in ''Escolios a las historias'' as appearing on p. 160 of Scherzer's edition.</ref>。シェルツァーは脚注にて、ヒメーネスが言及しているのは「単なる秘密のカレンダー」で、自分自身がワーグナーとの旅行中に「グアテマラ高地の様々な先住民の町でこの粗野なカレンダーを以前見つけた」と説明している<ref>"El libro que el padre Ximenez menciona, no es mas que una formula cabalistica, segun la cual los adivinos engañadores pretendían pronosticar y explicar ciertos eventos. Yo encontré este calendario gentilico ya en diversos pueblos de indios en los altos de Guatemala."</ref>。これだとヒメーネスの所有品はポポル・ヴフではなく、ヒメーネスが容易に入手できる類のものではない慎重に守られていた品という点で、矛盾が出てしまう。これとは別に、ウードルフは「ヒメーネスは自分の情報源を決して開示せず、代わりに彼らが望むものを推察するよう読者を促しているため...先住民の間でそうした文字化された改訂版が無かったとしても妥当である。暗黙の折衷案としては、彼または別の宣教師が口頭朗読から最初の書下ろしテキストを作成したのだろう」と推測している<ref>Woodruff 104</ref>。

==ポポル・ヴフにおける英雄譚==
[[File:Hero Twins.JPG|225px|thumb|トウモロコシの神で斑点がある双子の英雄]]
{{main|フンアフプーとイシュバランケー}}

双子の英雄フンアフプーとイシュバランケーの伝説はマヤ人達の間で様々なバージョンが語り継がれていたが{{cn|date=November 2017}}、現存している物語は1700年から1715年の間に文書を翻訳したドミニカ人司祭フランシスコ・ヒメーネスによって保存されたものである<ref name="auto"/><ref>{{cite web|title=Popol Vuh Newberry|url=http://www.newberry.org/popol-vuh|website=www.newberry.org|publisher=The Newberry|accessdate=3 November 2017|language=en}}</ref>。[[マヤ文明#歴史|後古典期]]のコデックスにおけるマヤの神格は、[[マヤ文明#歴史|古典期前期]]に記された初期のバージョンとは違いがある。[[マヤ神話]]では、フンアフプーとイシュバランケーは3組のうちの 2番目の双子で、最初に生まれたのは[[フン・フンアフプー]]とその弟[[ヴクブ・フンアフプー]]、3番目の双子として生まれたのは[[フンバッツとフンチョウエン]]である。ポポル・ヴフでは、最初の双子組フン・フンアフプーとヴクブ・フンアフプーがマヤの冥界[[シバルバー]]に招待され、シバルバーの王たちと一緒に球技を行った。冥界にてこの双子は策略に満ちた多くの試練に直面、最終的に彼らは失敗して処刑されてしまう。フンアフプーとイシュバランケーの双子英雄は、彼らの父親フン・フンアフプーの死後、魔法のように誕生した。やがて彼らは父親と叔父の死に復讐するためシバルバーに赴き、冥界の王たちを倒した。
==構成==
ポポル・ヴフは創造、祖先、歴史、宇宙論を含むテーマ範囲を網羅している。ニューベリー図書館の肉筆文書は章に分かれていないが、比較研究を容易にするため、1861年の普及版ではブラッスール・ド・ブールブールによって充てられた章構成が採用された<!-- 出典のレシーノス文章に基づき、若干意訳した--><ref>レシーノスによる説明(部分訳)「オリジナルの写本は部分や章に分かれていません。テキストは最初から最後まで途切れることなく続きます。今回の翻訳で、私はブラッスール・ド・ブールブールの4部分にそして各部を章に分割する(振り分けに)従うことにしました、なぜならこの振り分けは論理的であり作品の意図や主題と一致しているように思えたからです。Since the version of the French Abbe is the best known, this will facilitate the work of those readers who may wish to make a comparative study of the various translations of the Popol Vuh" (Goetz xiv; Recinos 11-12; Brasseur, Popol Vuh, xv)</ref>。テドロックとクリステンソンによって試されたバリエーションも幾つかあるが、一般的に次のような形で編集してある。
[[File:Popol Wuj's deity.png|450px|thumb|神々と半神の家系図。縦線はその子孫、横線は兄弟、2重横線は結婚を表す。]]

;序文
*[[イシュムカネーとイシュピヤコック|シュピヤコックとシュムカネ]]の紹介、ポポル・ヴフを書く目的、大地の測定についての導入部<ref>{{cite book|last1=Christenson|first1=Allen J.|title=Popol Vuh : The Sacred Book of the Maya|date=2007|publisher=University of Oklahoma Press|location=Norman, OK|isbn=978-0-8061-3839-8|pages=59-66|url=https://books.google.com/books?id=rWr-_NXanhMC&lpg=PP1&dq=popol%20vuh%20the%20sacred%20book%20of%20the%20maya&pg=PP1#v=onepage&q=popol%20vuh%20the%20sacred%20book%20of%20the%20maya&f=false|accessdate=19 October 2017}}</ref>。

;第1巻
*「生物の創造話」最初に動物が創造され、続いて人間だった。 最初の人間は土と泥で創られたが、水を含むと溶けてしまった。 2番目の人間は木から創られた、しかし彼らは洪水で洗い流された<ref name="auto1">{{cite web|title=Popol Vuh|url=https://www.ancient.eu/Popol_Vuh/|website=Ancient History Encyclopedia|accessdate=10 November 2017}}</ref>。
*[[ヴクブ・カキシュ]]が登場する<ref name="auto1"/>。

;第2巻
*双子の英雄が、ヴクブ・カキシュおよび彼の息子[[シパクナー]]と[[カブラカン]]を殺そうと画策する<ref name="auto1"/>。
*彼らは成功し、「秩序と均衡を世界に回復する」<ref name="auto1"/>。

;第3巻
*双子英雄の父と叔父、フン・フンアフプーとヴクブ・フンアフプー(シュムケイネとシュピアコクの息子)は、シバルバーでの球技で殺された<ref name="auto1"/>。
*フン・フンアフプーの頭部は[[ヒョウタンノキ]]に据えられ、それが[[シュキク]]の手に唾を吐き、彼女は子を身ごもった<ref name="auto1"/>。
*彼女は義理の母シュムカネと一緒になるため、地下世界を去る<ref name="auto1"/>。
*彼女の息子たちはその後、彼らの父と叔父を殺した王に挑み、敵討ちに成功して太陽と月になる<ref name="auto1"/>。

;第4巻
*[[トウモロコシ]]から人間を創ることに成功する<ref name="auto1"/>
*神々は彼らを忠実にさせるべく道徳を彼らに与える<ref name="auto1"/>。
*後に、彼らは彼らを満足させるため妻を与える<ref name="auto1"/>。
*この本はまたキチェ族の動向について説明しており、[[ククルカン|グクマッツ]]の紹介も含まれる<ref name="auto1"/>。

===抜粋===
ポポル・ヴフの抜粋2か所を視覚的に比較したものを下に示す。左からキチェ語、文字通りの英語翻訳、アレン・クリステンソンによる現代意訳(の日本語訳)となる<ref name="auto2">{{cite web|last1=Christenson|first1=Allen J.|title=POPOL VUH: LITERAL TRANSLATION|url=http://www.mesoweb.com/publications/Christenson/PV-Literal.pdf|publisher=Mesoweb Publications|accessdate=19 October 2017}}</ref><ref>Christenson's edition is considered the most up-to-date version of the Popol Vuh.</ref><ref>{{cite book|last1=Christenson|first1=Allen J.|title=Popol vuh : the sacred book of the Maya|date=2007|publisher=University of Oklahoma Press|location=Norman|isbn=978-0806138398|page=59|edition=Oklahoma|url=https://books.google.com/books?id=rWr-_NXanhMC&lpg=PP1&dq=popol%20vuh%20the%20sacred%20book%20of%20the%20maya&pg=PP1#v=onepage&q=popol%20vuh%20the%20sacred%20book%20of%20the%20maya&f=false|accessdate=3 November 2017}}</ref>。
;序文
{| class="wikitable"
|-
! 原文キチェ語 !! 英語直訳 !! 現代意訳
|-
|'''ARE' U XE' OJER TZIJ''',

:Waral K'iche' u b'i'.

:'''WARAL''' xchiqatz'ib'aj wi,

Xchiqatikib'a' wi ojer tzij,

U tikarib'al,

U xe'nab'al puch,

Ronojel xb'an pa

:Tinamit K'iche',

:Ramaq' K'iche' winaq.<ref name="auto2"/><ref name="auto3">Bold and capitalized letters are taken directly from the source material.</ref>
||'''THIS ITS ROOT ANCIENT WORD''',

:Here Quiché its name.

:'''HERE''' we shall write,

We shall plant ancient word,

Its planting,

Its root-beginning as well,

Everything done in

:Citadel Quiché,

:Its nation Quiché people.<ref name="auto2"/>
||'''これは古代伝承の序文である'''

:キチェと呼ばれるこの場所についての。

:'''ここに'''我々は書きとめよう。

我々は古代の物語を語り始めることにする

その始まりから、

それは起源である

なされた事全ての

:キチェの拠点にて、

:キチェ国家の人々の間で。{{Refnest|group="注釈"|各行対応せずに訳すと「これはキチェと呼ばれるこの場所の古代伝承の序文である。ここに我々は書きとめよう。我々は古代の物語をその始まりから語り始めることにする、それはキチェの拠点にてキチェ国家の人々の間でなされた事全ての起源である。」}}<ref>{{cite book|last1=Christenson|first1=Allen J.|title=Popol Vuh : The Sacred Book of the Maya|date=2007|publisher=University of Oklahoma Press|location=Norman, OK|isbn=978-0-8061-3839-8|page=59|url=https://books.google.com/books?id=rWr-_NXanhMC&lpg=PP1&dq=popol%20vuh%20the%20sacred%20book%20of%20the%20maya&pg=PP1#v=onepage&q=popol%20vuh%20the%20sacred%20book%20of%20the%20maya&f=false|accessdate=19 October 2017}}</ref><ref name="auto4">Text has been broken in logical places to parallel the poetic structure of the original text.</ref>
|}

;「原初の世界」
{| class="wikitable"
|-
! 原文キチェ語 !! 英語直訳 !! 現代意訳
|-
|'''ARE' U TZIJOXIK'''<br>Wa'e.

K'a katz'ininoq,<br>
K'a kachamamoq,

Katz'inonik,<br>
K'a kasilanik,

K'a kalolinik,<br>
Katolona' puch u pa kaj.<ref name="auto2"/><ref name="auto3"/>
||'''THIS ITS ACCOUNT'''<br>These things.

Still be it silent,<br>
Still be it placid,

It is silent,<br>
Still it is calm,

Still it is hushed,<br>
Be it empty as well its womb sky.<ref name="auto2"/>
||'''これは叙述である'''<br>時についての

まだ全てが静謐で<br>
平穏なままである。

全てが沈黙し、<br>
静穏である。

静粛なる<br>
空虚が天空の母胎である<ref>{{cite book|last1=Christenson|first1=Allen J.|title=Popol Vuh : The Sacred Book of the Maya|date=2007|publisher=University of Oklahoma Press|location=Norman, OK|isbn=978-0-8061-3839-8|page=67|url=https://books.google.com/books?id=rWr-_NXanhMC&lpg=PP1&dq=popol%20vuh%20the%20sacred%20book%20of%20the%20maya&pg=PP1#v=onepage&q=popol%20vuh%20the%20sacred%20book%20of%20the%20maya&f=false|accessdate=19 October 2017}}</ref><ref name="auto4"/>。
|}

==現在のポポル・ヴフ==
===近現代版===
ブラッスールとシェルツァーの初版以降、ポポル・ヴフはオリジナルのキチェ語以外でも多くの多言語に翻訳されている<ref>Schultze Jena 1944</ref>。A・レシーノスによるスペイン語版はデリア・ゴーツによるレシーノス作品の英語翻訳と同じくらい、今でも主要な文献である。他の英訳には、ビクター・モンテージョ<ref>{{cite book|page=97|edition=|pages=|year=2000|accessdate=May 17, 2014|publisher=GP Subscription Publications|volume=|quote=|location=|title=MultiCultural Review, Volume 9|url=https://books.google.com/books?id=p23aAAAAMAAJ&q=mayan+girls+chinese&dq=mayan+girls+chinese&hl=en&sa=X&ei=hOehVZnBOIeNNty5gfgM&ved=0CFkQ6AEwCDge|isbn=}}</ref>、 マンロー・エドモンソン(1985)、デニス・テドロック(1985,1996)の著書などがある<ref>{{cite book|page=|edition=|pages=|year=2013|accessdate=May 17, 2014|publisher=eBookIt.com|author=Dennis Tedlock|volume=|quote=|location=|title=Popol Vuh: The Mayan Book of the Dawn of Life|url=https://books.google.com/books?id=KoI24A65-m4C&printsec=frontcover&dq=mayan+girls+chinese&hl=en&sa=X&ei=hOehVZnBOIeNNty5gfgM&ved=0CD8Q6AEwBDge#v=onepage&q&f=false|isbn=1456613030}}</ref>。テドロック版は、現代キチェ族の[[:en:Andrés Xiloj|Andrés Xiloj]]による解説および判読で制作されているので注目に値する。1970年代にAugustin Estrada Monroyがファクシミリ版を出版し、オハイオ州立大学が同デジタル版およびオンライン複写を保有している。キチェ語テキストの現代翻訳および書き起こしは、特に[[サム・コロップ]](1999)と[[アレン・J・クリステンソン]](2004)の手によって出版された。フンアフプーとイシュバランケーの物語は、パトリシア・アムリン制作の1時間アニメ映画としても仕立てられている<ref name="OCLC number 56772917">{{cite web|last1=Amlin|first1=Patricia|title=Popol vuh|url=http://www.worldcat.org/title/popol-vuh/oclc/56772917|website=WorldCat|accessdate=27 November 2017|date=2004}}</ref><ref>{{cite web|title=The Popol Vuh|url=https://www.youtube.com/watch?v=PIAzWOqo1fY|website=YouTube|accessdate=27 November 2017}}</ref>。

===現地での文化===
ポポル・ヴフはキチェ族の多くの信仰体系において重要な部分であり続けている{{Citation needed|date=August 2009}}。[[カトリシズム]]は一般的に支配的な宗教として見られているが、多くの先住民がキリスト教と土着信仰の共存的混合を実践していると確信する者も一部いる。ポポル・ヴフからの物語のいくつかは、[[マヤ神話|民間伝承]]として現代マヤ人によって語られ続けた。20世紀に人類学者によって記録された物語のいくつかが、ヒメーネス写本よりも詳細に古代の一部物語を保存している可能性もある{{citation needed|date=April 2013}} 。2012年8月22日、ポポル・ヴフはグアテマラ文化省によりグアテマラの「[[無形文化遺産]]」に指定された<ref>{{cite web|url=http://www.publinews.gt/index.php/popol-vuh-es-declarado-patrimonio-cultural-intangible/|title=Popol Vuh es declarado Patrimonio Cultural Intangible|first=|last=Publinews|date=25 August 2012|accessdate=2019-6-15|publisher=}}</ref>。

===西洋文化における影響===
19世紀ヨーロッパ人による再発見以降、ポポル・ヴフは多くの作家の注目を惹きつけている。

メキシコの画家[[ディエゴ・リベラ]]は、1931年に本の挿絵として一連の水彩画を描いた。

1934年、初期[[アバンギャルド]]のフランス系アメリカ人作曲家[[エドガー・ヴァレーズ]]は、ベース独奏者や様々な楽器向けにポポル・ヴフから言葉をとった「''Ecuatorial''」という曲を書いた。

[[マデレイン・レングル]]著『''[[:en:A Wrinkle in Time|A Wrinkle in Time]]''』に出てくる惑星カマゾツは、英雄双子の物語のコウモリ神([[カマソッソ]])にちなんで名付けられた{{Refnest|group="注釈"|日本では''A Wrinkle in Time''が『五次元世界のぼうけん』や『惑星カマゾツ(時間と空間の冒険I)』<ref>Madeleine L'Engle「[https://books.google.co.jp/books/about/惑星カマゾツ.html?id=oX6lXwAACAAJ&redir_esc=y 惑星カマゾツ: 時間と空間の冒険1]」[[大滝啓裕]]訳、サンリオ、1982年</ref>の題名で刊行された。惑星名カマゾツの英名Camazotzは、コウモリ神のCamazotz(カマソッソ)と同一である。}}。

1969年ドイツのミュンヘンで、当時マヤ神話に没頭していたキーボード奏者の[[フローリアン・フリッケ]]が、シンセ奏者のフランク・フィードラーと打楽器奏者のホルガー・トリュルシュと組んで、ポポル・ヴー([[:en:Popol Vuh (band)|Popol Vuh]]'')<ref>ポポル「ヴー」の訳語は、OKmusic.jpによる[https://okmusic.jp/Popol%20Vuh Popol Vuhポポル・ヴー]の説明文に基づく。国内音楽業界では、彼らのバンド名訳語としてポポル・ヴーを採用している。</ref>というバンドを結成した。彼らの1970年のデビューアルバム『''[[:en:Affenstunde|Affenstunde]]''』は、この精神的なつながりが反映されている。同名の別バンド、こちらはノルウェー系の子孫で同時期に結成されたものだが、その名前もまたキチェ族の著作に触発されたものである。

ドイツ人映画監督[[ヴェルナー・ヘルツォーク]]の映画『''[[:en:Fata Morgana|Fata Morgana]]''』(1971年公開)の第1章で、ポポル・ヴフの文章が広範なナレーションとして使用された。

アルゼンチンの作曲家[[アルベルト・ヒナステラ]]は、1975年に作品44交響詩『ポポル・ヴフ(''[[:en:Popol Vuh (Ginastera)|Popol Vuh]]'')』を書き始めるも、1983年に死去したため同作品は未完のままである。

[[ルイス・ラムール]]の小説『''[[:en:Haunted Mesa|The Haunted Mesa]]''』に含まれる神話や伝説はポポル・ヴフに基づいている。

==マヤ図象に見られる例==
現代のマヤ考古学者(第一人者として[[マイケル・D・コウ]])は、マヤの陶磁器や他の芸術品にポポル・ヴフの登場人物やエピソードの描写(例えば英雄双子、ホエザルの神、ヴクブ・カキシュの討伐、多くが信じている双子の死んだ父親フン・フンアフプーの復元)<ref>Chinchilla Mazariegos 2003</ref>を発見した。そのため象形文字的なテキストの付随する箇所は、理論上ポポル・ヴフからの一節に関連する可能性がある。[[リチャード・D・ハンセン]]は、[[エル・ミラドール]]遺跡で、英雄双子のように見える二つの浮遊する人物を描いた漆喰の[[フリーズ (建築)|フリーズ]]を発見した<ref>{{cite web |url=http://www.authenticmaya.com/authentic_maya.htm |title=Archived copy |accessdate=2007-11-30 |deadurl=yes |archiveurl=https://web.archive.org/web/20071213215620/http://www.authenticmaya.com/authentic_maya.htm |archivedate=2007-12-13 |df= }}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.smithsonianmag.com/history-archaeology/El-Mirador-the-Lost-City-of-the-Maya.html?c=y&page=7|title=El Mirador, the Lost City of the Maya|accessdate=2019-6-15|publisher=}}</ref>。
英雄双子の物語に続くのは白と黄色のトウモロコシから創られた人類で、マヤ文化における農作物の飛びぬけた重要性が示されている。古典時代のマヤでは、フン・フンアフプーがトウモロコシの神を象徴していた可能性がある。ポポル・ヴフでは切り落とされた彼の頭はヒョウタンノキになったと明白に述べられているが、一部の学者はこのヒョウタンノキがカカオの実あるいはトウモロコシの穂と互換関係にあると考えている。この考えにおいて、断頭および生贄はトウモロコシの収穫および植栽や収穫に伴う供物に相当する<ref>Heather Irene McKillop, The Ancient Maya: New Perspectives (London: W.W. Norton & Co., 2006), 214.</ref>。月と太陽の周期が農作物の季節を決定するため、植栽や収穫もマヤの天文学や[[マヤ暦|暦]]に関連するものである<ref>McKillop, 214.</ref>。

==著名な版==
<!-- 年代順-->
{{refbegin}}
*''1857''. {{cite book|title=『Las historias del origen de los indios de esta provincia de Guatemala』|publisher=Carlos Gerold e hijo|location=Vienna|editor={{仮リンク|カール・フォン・シェルツァー|en|Karl von Scherzer}}}}
*''1861''. {{cite book|title=『ポポル・ヴフ. Le livre sacré et les mythes de l'antiquité américaine, avec les livres héroïques et historiques des Quichés』|publisher=Bertrand|location=Paris|editor=[[シャルル・エティエンヌ・ブラッスール・ド・ブールブール]]}}
*''1944''. {{cite book |title=『ポポル・ヴフ: das heilige Buch der Quiché-Indianer von Guatemala, nach einer wiedergefundenen alten Handschrift neu übers. und erlautert von Leonhard Schultze』 |publisher=W. Kohlhammer |others=[[:en:Leonhard Schultze-Jena|Leonhard Schultze-Jena]](訳) |location=Stuttgart, Germany |oclc=2549190}}ltze
*''1947''. {{cite book |title=『ポポル・ヴフ: las antiguas historias del Quiché |publisher=Fondo de Cultura Económica|location=Mexico|editor=[[A・レシーノス]]}}
*''1950''. {{cite book|title=『ポポル・ヴフ: The Sacred Book of the Ancient Quiché Maya By Adrián Recinos』 |publisher=University of Oklahoma Press|edition=1st|location=Norman|editor=Goetz Delia,[[シルヴェイナス・モーリー]]}}
*''1971''. {{cite book |title=『The Book of Counsel: The Popol-Vuh of the Quiche Maya of Guatemala』 |publisher=Middle American Research Institute, [[テュレーン大学]] |series=Publ. no. 35 |location=New Orleans |oclc=658606|editor={{仮リンク|マンロー・S・エドモンソン|en|Munro S. Edmonson }}}}
*''1973''. {{cite book |title=『ポポル・ヴフ: empiezan las historias del origen de los índios de esta provincia de Guatemala』 |publisher=Editorial "José de Piñeda Ibarra" |edition=Edición facsimilar |location=Guatemala City |oclc=1926769|editor=Estrada Monroy, Agustín }}
*''1985''. {{cite book | title=『ポポル・ヴフ: the Definitive Edition of the Mayan Book of the Dawn of Life and the Glories of Gods and Kings, with commentary based on the ancient knowledge of the modern Quiché Maya』| publisher=[[Simon & Schuster]]| others={{仮リンク|デニス・テドロック|en|Dennis Tedlock }} (訳)|isbn=0-671-45241-X | location= New York |oclc=11467786}}
*''1999''. {{cite book |title=『ポポル・ヴフ: versión poética K‘iche‘ 』|publisher=Proyecto de Educación Maya Bilingüe Intercultural; Editorial Cholsamaj |isbn=99922-53-00-2 |location=Quetzaltenango; Guatemala City |oclc=43379466|editor=[[:en:Luis Enrique Sam Colop|Sam Colop]]}} {{quc icon}}
*''2004''. {{cite book |title=『ポポル・ヴフ: Literal Poetic Version: Translation and Transcription』 |publisher=[[University of Oklahoma Press]] |others=Christenson, Allen J. (trans.) |isbn=978-0-8061-3841-1|location=Norman }}
*''2007''. {{cite book |title=『ポポル・ヴフ: The Sacred Book of the Maya』 |publisher=[[University of Oklahoma Press]] |others=Christenson, Allen J. (trans.) |isbn=978-0-8061-3839-8|location=Norman }}
*''2007''. {{cite book |title=『Poopol Wuuj - Das heilige Buch des Rates der K´ichee´-Maya von Guatemala』|others=Rohark, Jens (trans.) |isbn=978-3-939665-32-8}}
*''2014''. {{cite book |title=『Malkavian Sami - Suullinen tietämys ja elämä』|others=Toreador, Tomi (trans.) |isbn=}}
{{refend}}


==関連項目==
==関連項目==
* [[マヤ神話]]
* [[マヤ神話]]
*[[エル・ミラドール]]
{{Lit-stub}}
*{{仮リンク|マヤ・コデックス|en|Maya codices}}
{{GT-stub}}

== 脚注==
;注釈
{{Reflist|group="注釈"}}
;出典
{{Reflist|2}}

==外部リンク==
{{Commons category|Popol Vuh}}
{{Wikisource|es:Popol Vuh|Popol Vuh (Spanish)}}
* [http://mayanarchives-popolwuj.osu.edu/ Popol Wuj Archives]、オハイオ州立大学スペイン語・ポルトガル語学科およびOSUラテンアメリカ研究センターの主催
* [https://library.osu.edu/projects/popolwuj/folios_eng/index.php A facsimile of the earliest preserved manuscript]、オハイオ州立大学図書館より提供の、キチェ語およびスペイン語
* [http://www.mesoweb.com/publications/Christenson/PV-Literal.pdf The original Quich? text with line-by-line English translation]、アレン・J・クリステンソン編集によるキチェ語および英訳版
* [http://www.meta-religion.com/World_Religions/Ancient_religions/Central_america/popol_vuh.htm Text in English][http://home.planet.nl/~roeli049/popoleng.pdf] 、レシーノス以後のGoetz-Morleyによる英訳版
*[http://wigowsky.com/travels/maya/chichi/video.htm animated depiction] 、パトリシア・アムリンによる英文動画リンク
*[http://hdl.loc.gov/loc.rbc/kislak.00230.1 ''Creation''] (1931)、[[アメリカ議会図書館]]からの資料


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2019年6月15日 (土) 22:37時点における版

現存する最古のポポル・ヴフの著述。(フランシスコ・ヒメーネス英語版著、 1701年頃)

ポポル・ヴフ』(Popol Vuh)または『ポポル・ウフ』(Popol Wuj[1]。とは、現在のグアテマラシティ北西にあるグアテマラ高地英語版 に住むキチェ族の人々に伝わる神話および歴史を綴った文書である。

概要

『ポポル・ヴフ』はグアテマラのスペイン征服以前にキチェ族の人々によって書かれた創作説話である[2]。そこにはマヤの創世神話、英雄の双子フンアフプーとイシュバランケーの偉業[3]、そしてキチェ族の年代記が含まれている。

ポポル・ヴフという名称は「会議の書」[4]や「共同体の書」「評議会の書」などと訳されるが、より文字通りには「民衆の書(Book of the People)」である[5]。文字に書き留められたのは1550年頃で、それ以前はもともと口頭伝承で受け継がれてきたものである[6][7]。現存するポポル・ヴフは、18世紀ドミニコ会フランシスコ・ヒメーネス英語版が原文をスペイン語で写し取ったものとされている[6][8]。本来はマヤ文字により記されていたと推定されている[9]。しかしマヤ文字で書かれたものは現存しない。

チラム・バラムの書』や他の類似テキストもそうだが、スペインのコンキスタドール焚書を行ったためにメソアメリカの神話を扱っている初期の叙述が希少であるとの観点から、ポポル・ヴフは特に重要である[10]

ポポル・ヴフの歴史

ヒメーネス神父の写本

1701年、ヒメーネス神父はサント・トマス・チチカステナンゴに着いた。この町はキチェ族の領地であり、従っておそらく神父ヒメーネスが最初に歴史神話を編集した場所とされている[11][12]。ヒメーネスはキチェ語およびスペイン語版を並行で(キチェ語はラテン文字とParra文字で音声的に表現されている)書き写し、翻訳した。1714年頃、ヒメーネスは彼の「Historia de la provincia de San Vicente de Chiapa y Guatemala de la orden de predicadores」第2章から第21章までを、スペイン語の内容で1巻に組み入れた。ヒメーネスの写本は没後もドミニコ会の所有で保管されていたが、1829-30年にフランシスコ・モラサン将軍がグアテマラから聖職者を追放したことで、ドミニコ会の書物の大部分がサンカルロス大学に渡った。

1852年から1855年まで、モーリッツ・ワグナーカール・フォン・シェルツァーは中央アメリカを旅行し、1854年5月初旬にグアテマラシティに到着した[13]。シェルツァーは大学図書館でヒメーネスの著作を見つけ、その中にある特定項目「del mayor interes(最も興味深い)」に着目した。 グアテマラの歴史家にしてアーキビストのフアン・ガバレーテの助力を得て、シェルツァーは写本の後半からスペイン語の内容を写し取り(またはコピーを作成し)、ヨーロッパに戻った時にそれを公表した[14]。1855年にフランスの大修道院長シャルル・エティエンヌ・ブラッスール・ド・ブールブールもまた大学図書館でヒメーネスの著作を見つけた。しかしながら、シェルツァーが写本をコピーしたのに対し、ブラッスールは明白に大学の文献を盗んでフランスに持ち帰った[15]。ブラッスールの死後1874年に、ポポル・ヴフを含むメキシコ - グアテマラ地方の蒐集品がアルフォンス・ピナールに渡され、彼を通じてエドワード・E・エアに売却された。 1897年に、エアは自身の17000個の品をシカゴのニューベリー図書館(en)に寄贈すると決めたが、この計画は1911年までかかった。エアの寄贈品の中に、ヒメーネス神父による『ポポル・ヴフ』の書き写し翻訳があった。

1941年にA・レシーノス英語版がニューベリーでそれを(再)発見するまで、ヒメーネス神父の写本は行方不明とされていた。一般的には、レシーノスが写本を見つけてシェルツァー以降で初の直接編集版を出版したと記述されている。しかし、マンロー・エドモンソンとカルロス・ロペスは、1928年のウォルター・レーマンが最初の(再)発見だと考えている[16]。アレン・クリステンソン、ネストー・キロア、ジョン・ウードルフ、カルロス・ロペスは、いずれもニューベリーの書籍をヒメーネスの唯一の「オリジナル」と見なしている。

ヒメーネス神父の原資料

Title page
Preamble
Creation
ヒメーネス神父の写本は、ポポル・ヴフに関する既知の最古テキストとされている。最初の前後見開きページの写真にあるように、その大半はキチェ語とスペイン語とで平行して書かれている。

ヒメーネスは教区庁から音声学的な写本を原資料として借りたと一般的には信じられている。しかしネストー・キロアは「そのような写本は全く見つかっておらず、従ってヒメーネスの作品は学術研究にとって唯一の原資料である」と指摘している[17]。この文書は、ペドロ・デ・アルバラードの1524年の征服後まもなく、サンタ・クルス・デル・キチェまたは同周辺で行われた口頭朗読の音声的文字起こしとされている。 A・レシーノスとデニス・テドロックは、ポポル・ヴフ巻末にある系譜を植民地時代の記録と比較することにより、その時期を1554年から1558年の間だと示唆している[18]。 しかし、そのテキストが「書かれた」書物と言う点で「ポポル・ヴフの現存に関する結論を出す際に、最初の1ページ目の文章を評論家たちが額面どおりに受け取りすぎているように思える」とウードルフは警告する[19]。仮に征服後の初期の書物があるとすれば、ある学説(ルドルフ・スカラーよって最初に提案された)では音声的な著作者を『Título de Totonicapán』に署名した人物の1人Diego Reynosoによるものとしている[20]。別の著者の可能性として、『Título de Totonicapán』にて「Nim Chokoh Cavec(Kaweqの偉大な執事)」としてリスト掲載されたDon Cristóbal Velascoもありうるとされる[21][22]。いずれの場合も、植民地時代の存在はポポル・ヴフの序文で明らかである「これを私たちは今、神の律法のもと、そしてキリスト信仰のもとで書くつもりである。私たちがそれを明るみに出す理由は、海の向こう側からの到来や私たちの暗黒時代の叙述がはっきりと見られ、私たちの生活が明確に見て取れた、いわゆるポポル・ヴフが今やもう見られなくなっているためである」[23]。したがって、内容を「保存」する必要性は内容の差し迫った消滅を前提としたものであり、それゆえに、エドモンソンは征服前の絵文字的なコデックスを理論化した。ただそのようなコデックスの証拠はまだ見つかっていない。

しかしながら、少数派はそれらの存在を議論するのに使われるのと同じ根拠で、ヒメーネス以前のテキストの存在に異議を唱えている。どちらの立場も、ヒメーネスによる2つの声明を根拠にしている。1つ目は『Historia de la provincia』から来るもので、ヒメーネスはサント・トマス・チチカステナンゴの副牧師職をしている間に様々なテキストを見つけたと記しており、それは「彼らのほぼ全員がそれを暗記している」にもかかわらず「長老大臣たちの間でもその痕跡さえ明かさなかった」ような秘密で守られていたものだった[24]。ヒメーネス以前のテキストを議論するために使われた2番目の箇所は、『ポポル・ヴフ』へのヒメーネスの補遺から来ている。そこで彼は次のように記している。先住民の慣行の多くは「彼らが持っている本、それは[キリスト教以前の]時代から始まっている全ての月と各日付に対応する記号が付された予言のようなもの、の中で見ることができる。そのうちの1つを私は所有している」[25]。シェルツァーは脚注にて、ヒメーネスが言及しているのは「単なる秘密のカレンダー」で、自分自身がワーグナーとの旅行中に「グアテマラ高地の様々な先住民の町でこの粗野なカレンダーを以前見つけた」と説明している[26]。これだとヒメーネスの所有品はポポル・ヴフではなく、ヒメーネスが容易に入手できる類のものではない慎重に守られていた品という点で、矛盾が出てしまう。これとは別に、ウードルフは「ヒメーネスは自分の情報源を決して開示せず、代わりに彼らが望むものを推察するよう読者を促しているため...先住民の間でそうした文字化された改訂版が無かったとしても妥当である。暗黙の折衷案としては、彼または別の宣教師が口頭朗読から最初の書下ろしテキストを作成したのだろう」と推測している[27]

ポポル・ヴフにおける英雄譚

トウモロコシの神で斑点がある双子の英雄

双子の英雄フンアフプーとイシュバランケーの伝説はマヤ人達の間で様々なバージョンが語り継がれていたが[要出典]、現存している物語は1700年から1715年の間に文書を翻訳したドミニカ人司祭フランシスコ・ヒメーネスによって保存されたものである[6][28]後古典期のコデックスにおけるマヤの神格は、古典期前期に記された初期のバージョンとは違いがある。マヤ神話では、フンアフプーとイシュバランケーは3組のうちの 2番目の双子で、最初に生まれたのはフン・フンアフプーとその弟ヴクブ・フンアフプー、3番目の双子として生まれたのはフンバッツとフンチョウエンである。ポポル・ヴフでは、最初の双子組フン・フンアフプーとヴクブ・フンアフプーがマヤの冥界シバルバーに招待され、シバルバーの王たちと一緒に球技を行った。冥界にてこの双子は策略に満ちた多くの試練に直面、最終的に彼らは失敗して処刑されてしまう。フンアフプーとイシュバランケーの双子英雄は、彼らの父親フン・フンアフプーの死後、魔法のように誕生した。やがて彼らは父親と叔父の死に復讐するためシバルバーに赴き、冥界の王たちを倒した。

構成

ポポル・ヴフは創造、祖先、歴史、宇宙論を含むテーマ範囲を網羅している。ニューベリー図書館の肉筆文書は章に分かれていないが、比較研究を容易にするため、1861年の普及版ではブラッスール・ド・ブールブールによって充てられた章構成が採用された[29]。テドロックとクリステンソンによって試されたバリエーションも幾つかあるが、一般的に次のような形で編集してある。

神々と半神の家系図。縦線はその子孫、横線は兄弟、2重横線は結婚を表す。
序文
第1巻
  • 「生物の創造話」最初に動物が創造され、続いて人間だった。 最初の人間は土と泥で創られたが、水を含むと溶けてしまった。 2番目の人間は木から創られた、しかし彼らは洪水で洗い流された[31]
  • ヴクブ・カキシュが登場する[31]
第2巻
  • 双子の英雄が、ヴクブ・カキシュおよび彼の息子シパクナーカブラカンを殺そうと画策する[31]
  • 彼らは成功し、「秩序と均衡を世界に回復する」[31]
第3巻
  • 双子英雄の父と叔父、フン・フンアフプーとヴクブ・フンアフプー(シュムケイネとシュピアコクの息子)は、シバルバーでの球技で殺された[31]
  • フン・フンアフプーの頭部はヒョウタンノキに据えられ、それがシュキクの手に唾を吐き、彼女は子を身ごもった[31]
  • 彼女は義理の母シュムカネと一緒になるため、地下世界を去る[31]
  • 彼女の息子たちはその後、彼らの父と叔父を殺した王に挑み、敵討ちに成功して太陽と月になる[31]
第4巻
  • トウモロコシから人間を創ることに成功する[31]
  • 神々は彼らを忠実にさせるべく道徳を彼らに与える[31]
  • 後に、彼らは彼らを満足させるため妻を与える[31]
  • この本はまたキチェ族の動向について説明しており、グクマッツの紹介も含まれる[31]

抜粋

ポポル・ヴフの抜粋2か所を視覚的に比較したものを下に示す。左からキチェ語、文字通りの英語翻訳、アレン・クリステンソンによる現代意訳(の日本語訳)となる[32][33][34]

序文
原文キチェ語 英語直訳 現代意訳
ARE' U XE' OJER TZIJ,
Waral K'iche' u b'i'.
WARAL xchiqatz'ib'aj wi,

Xchiqatikib'a' wi ojer tzij,

U tikarib'al,

U xe'nab'al puch,

Ronojel xb'an pa

Tinamit K'iche',
Ramaq' K'iche' winaq.[32][35]
THIS ITS ROOT ANCIENT WORD,
Here Quiché its name.
HERE we shall write,

We shall plant ancient word,

Its planting,

Its root-beginning as well,

Everything done in

Citadel Quiché,
Its nation Quiché people.[32]
これは古代伝承の序文である
キチェと呼ばれるこの場所についての。
ここに我々は書きとめよう。

我々は古代の物語を語り始めることにする

その始まりから、

それは起源である

なされた事全ての

キチェの拠点にて、
キチェ国家の人々の間で。[注釈 1][36][37]
「原初の世界」
原文キチェ語 英語直訳 現代意訳
ARE' U TZIJOXIK
Wa'e.

K'a katz'ininoq,
K'a kachamamoq,

Katz'inonik,
K'a kasilanik,

K'a kalolinik,
Katolona' puch u pa kaj.[32][35]

THIS ITS ACCOUNT
These things.

Still be it silent,
Still be it placid,

It is silent,
Still it is calm,

Still it is hushed,
Be it empty as well its womb sky.[32]

これは叙述である
時についての

まだ全てが静謐で
平穏なままである。

全てが沈黙し、
静穏である。

静粛なる
空虚が天空の母胎である[38][37]

現在のポポル・ヴフ

近現代版

ブラッスールとシェルツァーの初版以降、ポポル・ヴフはオリジナルのキチェ語以外でも多くの多言語に翻訳されている[39]。A・レシーノスによるスペイン語版はデリア・ゴーツによるレシーノス作品の英語翻訳と同じくらい、今でも主要な文献である。他の英訳には、ビクター・モンテージョ[40]、 マンロー・エドモンソン(1985)、デニス・テドロック(1985,1996)の著書などがある[41]。テドロック版は、現代キチェ族のAndrés Xilojによる解説および判読で制作されているので注目に値する。1970年代にAugustin Estrada Monroyがファクシミリ版を出版し、オハイオ州立大学が同デジタル版およびオンライン複写を保有している。キチェ語テキストの現代翻訳および書き起こしは、特にサム・コロップ(1999)とアレン・J・クリステンソン(2004)の手によって出版された。フンアフプーとイシュバランケーの物語は、パトリシア・アムリン制作の1時間アニメ映画としても仕立てられている[42][43]

現地での文化

ポポル・ヴフはキチェ族の多くの信仰体系において重要な部分であり続けている[要出典]カトリシズムは一般的に支配的な宗教として見られているが、多くの先住民がキリスト教と土着信仰の共存的混合を実践していると確信する者も一部いる。ポポル・ヴフからの物語のいくつかは、民間伝承として現代マヤ人によって語られ続けた。20世紀に人類学者によって記録された物語のいくつかが、ヒメーネス写本よりも詳細に古代の一部物語を保存している可能性もある[要出典] 。2012年8月22日、ポポル・ヴフはグアテマラ文化省によりグアテマラの「無形文化遺産」に指定された[44]

西洋文化における影響

19世紀ヨーロッパ人による再発見以降、ポポル・ヴフは多くの作家の注目を惹きつけている。

メキシコの画家ディエゴ・リベラは、1931年に本の挿絵として一連の水彩画を描いた。

1934年、初期アバンギャルドのフランス系アメリカ人作曲家エドガー・ヴァレーズは、ベース独奏者や様々な楽器向けにポポル・ヴフから言葉をとった「Ecuatorial」という曲を書いた。

マデレイン・レングル著『A Wrinkle in Time』に出てくる惑星カマゾツは、英雄双子の物語のコウモリ神(カマソッソ)にちなんで名付けられた[注釈 2]

1969年ドイツのミュンヘンで、当時マヤ神話に没頭していたキーボード奏者のフローリアン・フリッケが、シンセ奏者のフランク・フィードラーと打楽器奏者のホルガー・トリュルシュと組んで、ポポル・ヴー(Popol Vuh)[46]というバンドを結成した。彼らの1970年のデビューアルバム『Affenstunde』は、この精神的なつながりが反映されている。同名の別バンド、こちらはノルウェー系の子孫で同時期に結成されたものだが、その名前もまたキチェ族の著作に触発されたものである。

ドイツ人映画監督ヴェルナー・ヘルツォークの映画『Fata Morgana』(1971年公開)の第1章で、ポポル・ヴフの文章が広範なナレーションとして使用された。

アルゼンチンの作曲家アルベルト・ヒナステラは、1975年に作品44交響詩『ポポル・ヴフ(Popol Vuh)』を書き始めるも、1983年に死去したため同作品は未完のままである。

ルイス・ラムールの小説『The Haunted Mesa』に含まれる神話や伝説はポポル・ヴフに基づいている。

マヤ図象に見られる例

現代のマヤ考古学者(第一人者としてマイケル・D・コウ)は、マヤの陶磁器や他の芸術品にポポル・ヴフの登場人物やエピソードの描写(例えば英雄双子、ホエザルの神、ヴクブ・カキシュの討伐、多くが信じている双子の死んだ父親フン・フンアフプーの復元)[47]を発見した。そのため象形文字的なテキストの付随する箇所は、理論上ポポル・ヴフからの一節に関連する可能性がある。リチャード・D・ハンセンは、エル・ミラドール遺跡で、英雄双子のように見える二つの浮遊する人物を描いた漆喰のフリーズを発見した[48][49]

英雄双子の物語に続くのは白と黄色のトウモロコシから創られた人類で、マヤ文化における農作物の飛びぬけた重要性が示されている。古典時代のマヤでは、フン・フンアフプーがトウモロコシの神を象徴していた可能性がある。ポポル・ヴフでは切り落とされた彼の頭はヒョウタンノキになったと明白に述べられているが、一部の学者はこのヒョウタンノキがカカオの実あるいはトウモロコシの穂と互換関係にあると考えている。この考えにおいて、断頭および生贄はトウモロコシの収穫および植栽や収穫に伴う供物に相当する[50]。月と太陽の周期が農作物の季節を決定するため、植栽や収穫もマヤの天文学やに関連するものである[51]

著名な版

  • 1857. カール・フォン・シェルツァー英語版, ed. 『Las historias del origen de los indios de esta provincia de Guatemala』. Vienna: Carlos Gerold e hijo 
  • 1861. シャルル・エティエンヌ・ブラッスール・ド・ブールブール, ed. 『ポポル・ヴフ. Le livre sacré et les mythes de l'antiquité américaine, avec les livres héroïques et historiques des Quichés』. Paris: Bertrand 
  • 1944. 『ポポル・ヴフ: das heilige Buch der Quiché-Indianer von Guatemala, nach einer wiedergefundenen alten Handschrift neu übers. und erlautert von Leonhard Schultze』. Leonhard Schultze-Jena(訳). Stuttgart, Germany: W. Kohlhammer. OCLC 2549190 ltze
  • 1947. A・レシーノス, ed. 『ポポル・ヴフ: las antiguas historias del Quiché. Mexico: Fondo de Cultura Económica 
  • 1950. Goetz Delia,シルヴェイナス・モーリー, ed. 『ポポル・ヴフ: The Sacred Book of the Ancient Quiché Maya By Adrián Recinos』 (1st ed.). Norman: University of Oklahoma Press 
  • 1971. マンロー・S・エドモンソン英語版, ed. 『The Book of Counsel: The Popol-Vuh of the Quiche Maya of Guatemala』. Publ. no. 35. New Orleans: Middle American Research Institute, テュレーン大学. OCLC 658606 
  • 1973. Estrada Monroy, Agustín, ed. 『ポポル・ヴフ: empiezan las historias del origen de los índios de esta provincia de Guatemala』 (Edición facsimilar ed.). Guatemala City: Editorial "José de Piñeda Ibarra". OCLC 1926769 
  • 1985. 『ポポル・ヴフ: the Definitive Edition of the Mayan Book of the Dawn of Life and the Glories of Gods and Kings, with commentary based on the ancient knowledge of the modern Quiché Maya』. デニス・テドロック英語版 (訳). New York: Simon & Schuster. ISBN 0-671-45241-X. OCLC 11467786 
  • 1999. Sam Colop, ed. 『ポポル・ヴフ: versión poética K‘iche‘ 』. Quetzaltenango; Guatemala City: Proyecto de Educación Maya Bilingüe Intercultural; Editorial Cholsamaj. ISBN 99922-53-00-2. OCLC 43379466  Template:Quc icon
  • 2004. 『ポポル・ヴフ: Literal Poetic Version: Translation and Transcription』. Christenson, Allen J. (trans.). Norman: University of Oklahoma Press. ISBN 978-0-8061-3841-1 
  • 2007. 『ポポル・ヴフ: The Sacred Book of the Maya』. Christenson, Allen J. (trans.). Norman: University of Oklahoma Press. ISBN 978-0-8061-3839-8 
  • 2007. 『Poopol Wuuj - Das heilige Buch des Rates der K´ichee´-Maya von Guatemala』. Rohark, Jens (trans.). ISBN 978-3-939665-32-8 
  • 2014. 『Malkavian Sami - Suullinen tietämys ja elämä』. Toreador, Tomi (trans.) 

関連項目

脚注

注釈
  1. ^ 各行対応せずに訳すと「これはキチェと呼ばれるこの場所の古代伝承の序文である。ここに我々は書きとめよう。我々は古代の物語をその始まりから語り始めることにする、それはキチェの拠点にてキチェ国家の人々の間でなされた事全ての起源である。」
  2. ^ 日本ではA Wrinkle in Timeが『五次元世界のぼうけん』や『惑星カマゾツ(時間と空間の冒険I)』[45]の題名で刊行された。惑星名カマゾツの英名Camazotzは、コウモリ神のCamazotz(カマソッソ)と同一である。
出典
  1. ^ 現代キチェ語ではPoopol Wuujで、この読みは発音記号で [ˈpʰoːpʰol ˈʋuːχ]
  2. ^ Christenson, Allen J. (2007). Popol vuh : the sacred book of the Maya (Oklahoma ed.). Norman: University of Oklahoma Press. pp. 26-31. ISBN 978-0-8061-3839-8. https://books.google.com/books?id=hJx47n_sm-YC&lpg=PP1&pg=PA3#v=onepage&q&f=false 2017年9月29日閲覧。 
  3. ^ Junajpu and Xb’alanke in Modern K'iche' spelling
  4. ^ 青山和夫『マヤ文明を知る事典』東京堂出版、2015年。ISBN 9784490108729 
  5. ^ Christenson, Allen J. (2007). Popol vuh : the sacred book of the Maya (Oklahoma ed.). Norman: University of Oklahoma Press. pp. 64. ISBN 978-0-8061-3839-8. https://books.google.com/books?id=hJx47n_sm-YC&lpg=PP1&pg=PA3#v=onepage&q&f=false 2017年11月3日閲覧。 
  6. ^ a b c Popol Vuh AHA” (英語). www.historians.org. American Historical Association. 2017年11月3日閲覧。
  7. ^ Popol Vuh - The Sacred Book of The Mayas” (英語). www.vopus.org. VOPUS. 2017年11月3日閲覧。
  8. ^ According to Allen Christenson, the mat was a common Maya metaphor for kingship (like "throne" in English) and national unity.
  9. ^ マリア・ロンゲーナ 著、植田覺 監修、月森左知 訳『[図説]マヤ文字事典』創元社、2002年、22頁。
  10. ^ Christenson, Allen J. (2007). Popol vuh : the sacred book of the Maya (Oklahoma ed.). Norman: University of Oklahoma Press. pp. 21. ISBN 978-0-8061-3839-8. https://books.google.com/books?id=hJx47n_sm-YC&lpg=PP1&pg=PA3#v=onepage&q&f=false 2017年11月3日閲覧。 
  11. ^ See Tedlock's definition and usage of this term.
  12. ^ Ximénez's title page reads in part, "cvra doctrinero por el real patronato del pveblo de Sto. Tomas Chvila" ('doctrinal priest of the district of Santo Tomás Chuilá').
  13. ^ Woodruff 2009
  14. ^ Scherzer also published a detailed inventory of the contents in 1857 edition that coincides with the Ayer ms. Scherzer's copyscript and edition began at the third internal title: 1) Arte de las tres lengvas Kakchiqvel, Qvíche y Zvtvhil, 2) Tratado segvndo de todo lo qve deve saber vn mínístro para la buena admínístraçíon de estos natvrales, 3) Empiezan las historias del origen de los indíos de esta provinçia de Gvatemala, 4) Escolíos a las hístorías de el orígen de los indios [note: spelling is that of Ximénez, but capitalization is modified here for stylistic reasons].
  15. ^ Woodruff 2009 pp. 46-47. Brasseur mentions Ximénez's Popol Vuh manuscript in three different works from 1857–1871, but never explicitly states the library document as the source of 1861 French edition. See Histoire des nations civilisées du Mexique et de l'Amérique-Centrale (1857), Popol vuh. Le livre sacré (1861), and Bibliothèque Mexico-Guatémalienne (1871). It was not until fifteen years after his return to Europe that Brasseur suggested a specific provenance of his source material and then asserted that it had come from Ignacio Coloche in Rabinal. The inconsistency among his statements led Munro Edmonson (1971) to postulate that there had been multiple manuscripts in Guatemala.
  16. ^ Edmonson 1971 p. viii; Lopez 2007
  17. ^ Quiroa, "Ideology" 282)
  18. ^ Recinos 30-31 (1947); Goetz 22-23 (1950); Tedlock 56 (1996)
  19. ^ Woodruff, "Ma(r)king Popol Vuh" 104
  20. ^ Recinos 34; Goetz 27; see also Akkeren 2003 and Tedlock 1996.
  21. ^ Christenson 2004
  22. ^ After the list of rulers, the narrative recounts that the three Great Stewards of the principal ruling K'iche' lineages were "the mothers of the word, and the fathers of the word"; and the "word" has been interpreted by some to mean the Popol Vuh itself.[要出典] Since a prominent place is given to the Kaweq lineage at the end of Popol Vuh, the author / scribe / narrator / storyteller may have belonged to this lineage as opposed to another K'iche' lineage.
  23. ^ Goetz 79-80
  24. ^ "y así determiné el trasuntar de verbo ad verbum todas sus historias como las traduje en nuestra lengua castellana de la lengua quiché, en que las hallé escritas desde el tiempo de la conquista, que entonces (como allí dicen), las redujeron de su modo de escribir al nuestro; pero fue con todo sigilo que conservó entre ellos con tanto secreto, que ni memoria se hacía entre los ministros antiguos de tal cosa, e indagando yo aqueste punto, estando en el curato de Santo Tomás Chichicastenango, hallé que era la doctrina que primero mamaban con la leche y que todos ellos casi lo tienen de memoria y descubrí que de aquestos libros tenían muchos entre sí [...]" (Ximenez 1999 p. 73; English translation by WP contributor)
  25. ^ "Y esto lo ven en un libro que tienen como pronostico desde el tiempo de su gentilidad, donde tienen todos los meses y signos correspondientes á cada dia, que uno de ellos tengo en mi poder" (Scherzer 1857; English translation by WP contributor). This passage is found in Escolios a las historias as appearing on p. 160 of Scherzer's edition.
  26. ^ "El libro que el padre Ximenez menciona, no es mas que una formula cabalistica, segun la cual los adivinos engañadores pretendían pronosticar y explicar ciertos eventos. Yo encontré este calendario gentilico ya en diversos pueblos de indios en los altos de Guatemala."
  27. ^ Woodruff 104
  28. ^ Popol Vuh Newberry” (英語). www.newberry.org. The Newberry. 2017年11月3日閲覧。
  29. ^ レシーノスによる説明(部分訳)「オリジナルの写本は部分や章に分かれていません。テキストは最初から最後まで途切れることなく続きます。今回の翻訳で、私はブラッスール・ド・ブールブールの4部分にそして各部を章に分割する(振り分けに)従うことにしました、なぜならこの振り分けは論理的であり作品の意図や主題と一致しているように思えたからです。Since the version of the French Abbe is the best known, this will facilitate the work of those readers who may wish to make a comparative study of the various translations of the Popol Vuh" (Goetz xiv; Recinos 11-12; Brasseur, Popol Vuh, xv)
  30. ^ Christenson, Allen J. (2007). Popol Vuh : The Sacred Book of the Maya. Norman, OK: University of Oklahoma Press. pp. 59-66. ISBN 978-0-8061-3839-8. https://books.google.com/books?id=rWr-_NXanhMC&lpg=PP1&dq=popol%20vuh%20the%20sacred%20book%20of%20the%20maya&pg=PP1#v=onepage&q=popol%20vuh%20the%20sacred%20book%20of%20the%20maya&f=false 2017年10月19日閲覧。 
  31. ^ a b c d e f g h i j k l Popol Vuh”. Ancient History Encyclopedia. 2017年11月10日閲覧。
  32. ^ a b c d e POPOL VUH: LITERAL TRANSLATION”. Mesoweb Publications. 2017年10月19日閲覧。
  33. ^ Christenson's edition is considered the most up-to-date version of the Popol Vuh.
  34. ^ Christenson, Allen J. (2007). Popol vuh : the sacred book of the Maya (Oklahoma ed.). Norman: University of Oklahoma Press. p. 59. ISBN 978-0806138398. https://books.google.com/books?id=rWr-_NXanhMC&lpg=PP1&dq=popol%20vuh%20the%20sacred%20book%20of%20the%20maya&pg=PP1#v=onepage&q=popol%20vuh%20the%20sacred%20book%20of%20the%20maya&f=false 2017年11月3日閲覧。 
  35. ^ a b Bold and capitalized letters are taken directly from the source material.
  36. ^ Christenson, Allen J. (2007). Popol Vuh : The Sacred Book of the Maya. Norman, OK: University of Oklahoma Press. p. 59. ISBN 978-0-8061-3839-8. https://books.google.com/books?id=rWr-_NXanhMC&lpg=PP1&dq=popol%20vuh%20the%20sacred%20book%20of%20the%20maya&pg=PP1#v=onepage&q=popol%20vuh%20the%20sacred%20book%20of%20the%20maya&f=false 2017年10月19日閲覧。 
  37. ^ a b Text has been broken in logical places to parallel the poetic structure of the original text.
  38. ^ Christenson, Allen J. (2007). Popol Vuh : The Sacred Book of the Maya. Norman, OK: University of Oklahoma Press. p. 67. ISBN 978-0-8061-3839-8. https://books.google.com/books?id=rWr-_NXanhMC&lpg=PP1&dq=popol%20vuh%20the%20sacred%20book%20of%20the%20maya&pg=PP1#v=onepage&q=popol%20vuh%20the%20sacred%20book%20of%20the%20maya&f=false 2017年10月19日閲覧。 
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  45. ^ Madeleine L'Engle「惑星カマゾツ: 時間と空間の冒険1大滝啓裕訳、サンリオ、1982年
  46. ^ ポポル「ヴー」の訳語は、OKmusic.jpによるPopol Vuhポポル・ヴーの説明文に基づく。国内音楽業界では、彼らのバンド名訳語としてポポル・ヴーを採用している。
  47. ^ Chinchilla Mazariegos 2003
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外部リンク