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「京阪式アクセント」の版間の差分

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== 概要 ==
== 概要 ==
[[東京式アクセント]]ではピッチの下がり目のみが弁別上の意味を持つのに対し、京阪式では語頭のピッチが高い(高起式)か低い(低起式)か語を弁別する。そのため同音異義語を区別する機能ではアクセントのパターンの多い京阪式が優れて。たとえば「はし」と言う場合、京阪式は「橋」と「箸」と「端」の3種類の区別があるが、東京式では「橋」「端」と「箸」の2種類の区別しかない。反面、東京式方言の大部分では話者が強調しよとする文節最初と次の音節は必ずピッチが違のでそれを頼り語頭を(無意識)認識できるのに対し、京阪式では語頭捉えにくい。そため文節の区切りを伝える機能で東京式が優ている。
[[東京式アクセント]]ではピッチの下がり目のみが弁別されるのに対し、京阪式では語頭のピッチが高い(高起式)か低い(低起式)かも別する。そのためアクセントの型(パターン)は東京式より京阪式のほうい。たとえば「はし」と言う場合、京阪式は「橋」({{高線|'''は'''}}し)と「箸」(は{{高線|'''し'''}})と「端」({{高線|'''はし'''}})の3種類の区別があるが、東京式では「橋」「端」(は{{高線|'''し'''}})と「箸」({{高線|'''は'''}}し)の2種類の区別しかない。また東京式と違って京阪式では「ちゅ{{高線|''''''}}ごく」(中国)や「こ{{高線|'''ん'''}}にち{{高線|'''わ'''}}」うに長音や撥音もアクセントが来。アクセントパターンの多さから他のアクセント話者が京阪式を習得するのは難しいとされる。


なお、一口に京阪式といっても、個々の単語・表現によって、世代・地域・個人ごとに細かな違いがある。例として「ち{{高線|'''か'''}}てつ」と「ちかて{{高線|'''つ'''}}」(地下鉄)、「{{高線|'''ぎょ'''}}おさん」と「ぎょお{{高線|'''さ'''}}ん」(仰山)、「{{高線|'''お'''}}お{{高線|'''き'''}}に」と「おお{{高線|'''き'''}}に」、大阪・神戸の「たべ{{高線|'''ま'''}}した」「{{高線|'''とおきょお'''}}」に対して京都の「た{{高線|'''べ'''}}ました」「とおきょ{{高線|'''お'''}}」(食べました、東京)などがある。
京阪式のほうが東京式よりもアクセントのパターンが多いので、京阪式の者が東京式を覚えるのは比較的容易だが、逆は難しいとされる。東京式よりさらにパターンの少ない[[二型式アクセント]]や曖昧アクセント、[[一型式アクセント]]の者には東京式を覚えるのも難しい。また東京式と違って京阪式では、長音や撥音にもアクセントが来ることがある。(例)「中国」チュ{{高線|ー}}ゴク

言葉は時代につれて変化するのが常であること、東京式アクセントのようなアクセントの規範・基準がないこと、そして高齢層以外では共通語の東京式アクセントの影響を受けていることにより、京阪式アクセントは世代や地域、個人によって異なることが多い。(例)「地下鉄」チ{{高線|カ}}テツとチカテ{{高線|ツ}}、「食べました」タベ{{高線|マ}}シタ(大阪・神戸など)とタ{{高線|ベ}}マシタ(京都)、「東京」{{高線|トーキョー}}(大阪・神戸など)とトーキョ{{高線|ー}}(京都)、「仰山」{{高線|ギョ}}ーサンとギョー{{高線|サ}}ン


== 分布 ==
== 分布 ==
京阪式およびその変種アクセントは、概ね北陸地方・近畿地方・四国地方を結ぶやや傾いた南北の帯状に分布し、東京式によってその東西を挟まれている。
京阪式およびその変種アクセントは、概ね北陸地方・近畿地方・四国地方を結ぶやや傾いた南北の帯状に分布し、東京式によってその東西を挟まれている。


近畿地方[[三重県]]含む)では、[[京都府]][[丹後国|丹後]]西部、[[兵庫県]][[但馬国|但馬]]、[[奈良県]][[吉野郡]]南部どが京式であるほかは広く京阪式が分布している(変種については後述)。近畿地方周辺では、[[福井県]][[若狭国|若狭地方]]、[[岐阜県]][[揖斐川町]]でも京阪式が用いられる。四国地方では、[[徳島県]]東部から[[高知県]]東部・中部(山間部除く)にかけてまとまって京阪式が分布するほか、[[愛媛県]][[中予地方]]・[[東予地方]]の一部でも用いられる。
近畿地方では、[[三重県]][[伊勢国|伊勢]][[志摩国|志摩]]・[[伊賀国|伊賀]]、[[滋賀県]][[滋賀県#地域|湖北]]除く)、[[奈良県]]北部、[[京都府]]南部、[[大阪府]]全域、[[和歌山県]]のほとん、[[兵庫県]]南部が京アクセントである。近畿地方周辺では、[[福井県]][[若狭国|若狭地方]]、[[岐阜県]][[揖斐川町]]でも京阪式が用いられる。四国地方では、[[徳島県]]東部から[[高知県]]東部・中部(山間部除く)にかけてまとまって京阪式が分布するほか、[[愛媛県]][[中予地方]]・[[東予地方]]の一部でも用いられる。


京阪式使用地域のさらに周辺部には、京阪式の様々な変種アクセントが分布している。変種アクセントのうち、東京式分布地域との緩衝地域([[滋賀県]][[長浜市]]から岐阜県[[垂井町]]付近、京都府[[中丹]]、兵庫県播磨北部・西部、[[岡山県]][[倉敷市]][[下津井]]から[[玉野市]]周辺)や福井県[[嶺北]]地方の一部、[[富山県]]などに分布する京阪式と東京式中間的なアクセントを'''[[垂井式アクセント]]'''という。また四国の[[香川県]]周辺では、早い時期(中世以前?)に京阪式から分岐して独自発展した'''[[讃岐式アクセント]]'''が用られる
京阪式使用地域のさらに周辺部には、京阪式の様々な変種アクセントが分布している。変種アクセントのうち、四国の[[香川県]]周辺で用いられるアクセントを'''[[讃岐式アクセント]]'''と言い、これは早い時期(中世以前?)に京阪式から分岐して独自に発展したものと考えられている。また、[[石川県]]の[[能登半島]]や[[三重県]]南部の[[熊野市]]・[[尾鷲市]]などでも、京阪式に近いアクセントが用いられる。東京式分布地域との緩衝地域([[滋賀県]][[長浜市]]から岐阜県[[垂井町]]付近、京都府[[中丹]]、兵庫県播磨北部・西部、[[岡山県]]の一部)や[[四国山地]]福井県[[嶺北]]地方の一部、[[富山県]]などのアクセントは、下がり目の位置は京阪式に近いものの、高起式と低起式と区別がなく、これを'''[[垂井式アクセント]]'''


== アクセントの内容 ==
== 用例 ==
先述の通り、京阪式アクセントは、語頭が高い(高起式)か低い(低起式)かを区別し、さらに何拍目で下がるかを区別するアクセントである。下がり目の直前の拍をアクセント核と言う。アクセント核を{{下げ核|○}}で表し、高起式をHで、低起式をLで表すと、「」はH○○(下がり目なし)、「」はH{{下げ核|○}}○で、「」はL○{{下げ核|○}}である。高起式と低起式というのは、単語の前にアクセント核の無い語(例えば「Hその」)が来たときに、語頭が高くなる({{高線|'''そのはな'''}})か低くなる({{高線|'''その'''}}あ{{下げ核|'''め'''}}ぇ)かの違いである。高起式の語はアクセント核まで高拍が続き、核がなければ最終拍まで高いままである。低起式の語は、アクセント核があってもなくてもどこかで上昇し、核があれば核の直後で下がる。下の表の「木・手」類、「何時・中」類のように、上がる位置は地域によって変わる。京都などで「き{{高線|'''い'''}}」と「きい{{高線|'''が'''}}」のように助詞が付くかどうかで上がり目が移動するのは、この方言の場合[[文節]]末のみが上がるという規則があるからである
先述の通り、京阪式アクセントは、語頭が高い(高起式)か低い(低起式)かを区別し、さらに何拍目で下がるかを区別するアクセントである。下がり目の直前の拍をアクセント核と言う。アクセント核を{{下げ核|○}}で表し、高起式をHで、低起式をLで表すと、「{{高線|'''はな'''}}(鼻)はH○○(下がり目なし)、「{{高線|'''お'''}}と(音)はH{{下げ核|○}}○で、「あ{{高線|'''め'''}}ぇ(雨)はL○{{下げ核|○}}である(「め」は拍内で下降する)。高起式と低起式というのは、単語の前にアクセント核の無い語(例えば「Hその」)が来たときに、語頭が高くなる({{高線|'''そのはな'''}})か低くなる({{高線|'''その'''}}あ{{高線|'''め'''}}ぇ)かの違いである。高起式の語はアクセント核まで高く平らな拍が続き、核がなければ最終拍まで高いままである。低起式の語は、アクセント核があってもなくても上昇する性質がある。下の表の「木・手」類、「何時・中」類のように、上がる位置は地域によって変わる(後述)


京阪式アクセントでは一拍語は長音化する傾向がある。そのため、H{{高線|'''かあ'''}}(蚊)、H{{下げ核|'''な'''}}あ(名)、Lき{{高線|'''い'''}}(木)のように、助詞を付けなくても3つのアクセントの型(パターン)を区別できる。助詞が付いた場合も長音化することが多いが、長音化しない場合はH{{高線|'''かが'''}}、H{{下げ核|'''な'''}}が、Lき{{高線|'''が'''}}、のようになる。また、二拍名詞でも、低起式でアクセント核のない型(Lい{{高線|'''つ'''}})と最後の拍に核のある型(Lあ{{高線|'''め'''}}ぇ)では、後者に拍内の下降があることで、助詞を付けずに区別することができる。
京阪式アクセントの地域では一拍語は長音化する傾向がある。そのため、{{高線|'''かあ'''}}(蚊)、{{高線|'''な'''}}あ(名)、き{{高線|'''い'''}}(木)のように、助詞を付けなくても3つのアクセントの型(パターン)を区別できる。助詞が付いた場合も長音化することが多いが、長音化しない場合は{{高線|'''かが'''}}、{{高線|'''な'''}}が、き{{高線|'''が'''}}、のようになる。また、二拍名詞でも、低起式でアクセント核のない型(Lい{{高線|'''つ'''}})と最後の拍に核のある型(Lあ{{高線|'''め'''}}ぇ)では、後者に拍内の下降があることで、助詞を付けずに区別することができる。


[[語]]ごとに、京都市と高知市<ref>飯豊毅一・日野資純・佐藤亮一編『講座方言学 8 中国・四国地方の方言』 国書刊行会、1982年、433頁-436頁。</ref>のアクセントを示す
下の表は、各類ごとの[[京都市]][[高知市]]のアクセント(高齢層)をまとめたものである<ref name="講座方言学高知">飯豊毅一・日野資純・佐藤亮一編『講座方言学 8 中国・四国地方の方言』 国書刊行会、1982年、433頁-436頁。</ref><ref>秋永一枝『日本語音韻史・アクセント史論』笠間書院、2009年、91頁、表3・表4。</ref>。'''[[類 (アクセント)|類]]'''とは、平安時代末の京都でのアクセントの区別に従って単語分類したもので、現在ではいくつかの類が統合している。例えば二拍名詞の二類(音・川など)は平安時代には「高低」型だったのに対し、三類(時・物など)は平安時代には「低低」型で、両者は異なるアクセントだったが、現代ではどちらも「高低」型になっている
{| class="wikitable" style="text-align:center"
{| class="wikitable" style="text-align:center"
! 品詞・拍数!!類!!語例
! colspan="3"|&nbsp;
!抽象型
!抽象型
! 京都市
! 京都市
47行目: 45行目:
!五類!!雨・声・前
!五類!!雨・声・前
| L○{{下げ核|○}}||colspan=2| あ{{高線|'''め'''}}が※
| L○{{下げ核|○}}||colspan=2| あ{{高線|'''め'''}}が※
|-
! rowspan="5"|三拍名詞!!一類!!形・氷・魚
| H○○○||colspan=2|{{高線|'''かたちが'''}}
|-
!二・四類!!頭・男・女
|||H{{下げ核|○}}○○{{高線|'''あ'''}}たまが||H○{{下げ核|○}}○{{高線|'''あた'''}}まが
|-
!三・五類!!力・命・心
| H{{下げ核|○}}○○||colspan="2"|{{高線|'''ち'''}}からが
|-
!六類!!兎・狐・雀
|L○○○||うさ{{高線|'''ぎ'''}}・うさぎ{{高線|'''が'''}}||う{{高線|'''さぎ'''}}・う{{高線|'''さぎが'''}}
|-
!七類!!苺・兜・薬
|L○{{下げ核|○}}○||colspan="2"|い{{高線|'''ち'''}}ごが
|-
|-
!rowspan=2|二拍動詞!!一類!!置く・買う
!rowspan=2|二拍動詞!!一類!!置く・買う
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|}
|}
※京都などでは二拍目に拍内下降がある。
※京都などでは二拍目に拍内下降がある。

京阪式アクセント内でも地域による違いがあり、高知県中・東部(山間部除く)や和歌山県中部([[田辺市]]付近)、徳島県東部では室町時代から江戸時代の京都アクセントに近いものが残っている。

低起式の語は、京阪神など近畿大部分では「かま{{高線|'''き'''}}り」のようにアクセント核のみ一拍が高く、アクセント核がない場合「うさ{{高線|'''ぎ'''}}・うさぎ{{高線|'''が'''}}」のように文節末のみが上がる。これに対し、徳島県東南部や和歌山県旧[[龍神村]]などでは「うさ{{高線|'''ぎが'''}}」のように3拍目から高くなる。また、高知県中・東部(山間部除く)や和歌山県田辺市付近、兵庫県[[播磨国|播磨]]中部では「う{{高線|'''さぎが'''}}」のように二拍目から高くなる。このような二拍目から上がるアクセントは、室町時代の京都アクセントに一致する。

動詞や形容詞のアクセントは、京都と同様のものが京阪神など近畿大部分に分布している。これに対し、高知市や徳島県東南部<ref name="講座方言学徳島">森重幸「徳島県の方言」飯豊毅一・日野資純・佐藤亮一編『講座方言学 8 中国・四国地方の方言』国書刊行会、1982年。</ref><ref>[[平山輝男]]ほか『日本のことばシリーズ 36 徳島県のことば』明治書院、1997年、34頁。</ref>、和歌山県旧龍神村などでは、三拍形容詞の一類が「{{高線|'''あか'''}}い」型、三拍動詞の二類が「{{高線|'''う'''}}ごく」「{{高線|'''お'''}}きる」型である。これは古い時代の京都アクセントが残ったものである。三拍動詞では一段活用よりも五段活用の方が古いものが広く分布しており、五段活用での「{{高線|'''う'''}}ごく」型は[[松山市]]や[[徳島市]]<ref>金田一春彦『金田一春彦著作集第五巻』玉川大学出版部、2005年、79-80頁。</ref>、[[淡路島]]、和歌山県田辺市・[[串本町]]などにも残っている。また[[和歌山市]]では「{{高線|'''うごく'''}}」「{{高線|'''う'''}}ごく」型の両方を用いている<ref name="金田一近畿中央部">金田一春彦「近畿中央部のアクセント覚え書き」</ref>。三拍形容詞二類は、徳島市で「{{高線|'''あ'''}}かい」型で<ref name="講座方言学徳島"/>、和歌山市では「{{高線|'''あ'''}}かい」「{{高線|'''あか'''}}い」型の両方を用いている。また、三重県伊勢・志摩では三拍一段動詞二類を「お{{高線|'''き'''}}る」型に言う<ref name="金田一近畿中央部"/>。

名詞では、京都府南部・滋賀県大部・奈良県北部・三重県北部・福井県若狭ではH○{{下げ核|○}}○型がほとんどなく、三拍名詞の二・四類は「{{高線|'''あ'''}}たま」型になっているが、大阪市などその他の地域では「{{高線|'''あた'''}}ま」型である。また、福井県若狭ではL○○○型がなく、三拍名詞六類は「{{高線|'''うさぎ'''}}」型である。


== 歴史 ==
== 歴史 ==
=== 京都アクセントの変遷 ===
[[平安時代]]後期の『[[類聚名義抄]]』、[[室町時代]]の『[[補忘記]]』などによって、長く都であった京都のアクセントは平安時代からその変遷をたどることができる。現代の京阪式アクセントは、高起式か低起式かと、ピッチの下がり目を弁別するアクセントであるが、平安時代はこれらに加えて上がり目も弁別していて、今よりも型の種類の多い複雑なアクセントだった。たとえば二拍名詞の二類と三類は平安時代には別のアクセントを持っていたが、その後簡略化が起こり、室町時代には二類と三類は統合していた。さらに、幕末から明治にかけての社会変動でアクセントが大きく変容し、その後も簡略化が進んでいる。特に京阪神のアクセントが京阪式のなかで最も簡略である(最も先進的であるとも言える)。近世や中世の京阪式は、「赤い」{{高線|アカ}}イと「白い」{{高線|シ}}ロイ、「上がる」{{高線|アガル}}と「動く」{{高線|ウ}}ゴクのアクセントを区別するもので、高知県東部・中部や徳島県南部や和歌山県[[田辺市]]周辺に残されている。また、香川県[[伊吹島]]では最も古い形(『類聚名義抄』に書き残されたアクセントに近いとされる)が保たれている。
{| style class="wikitable" style="float:right"
|+ 京都アクセントの変遷<ref>秋永一枝『日本語音韻史・アクセント史論』笠間書院、2009年、91頁、表3・表4および亀井孝・大藤時彦・山田俊雄編『日本語の歴史 5 近代語の流れ』152-153頁、金田一春彦「国語のアクセントの時代的変遷」。カッコ内は助詞。平安末・鎌倉の動詞・形容詞は連体形のアクセント。現代での一拍名詞は長音化する場合のみ示した。</ref>
|-
!colspan=2|&nbsp;!!平安末・鎌倉時代!!室町時代!!江戸時代!!現代
|-
!rowspan=3|一拍名詞!!一類
|colspan=4|高高(高)
|-
!二類
|高低(高)、高低(低)||colspan=3|高低(低)
|-
!三類
|colspan=4|低低(高)
|-
!rowspan=5|二拍名詞!!一類
|colspan=4|高高(高)
|-
!二類
|高低(高)、高低(低)||colspan=3|高低(低)
|-
!三類
|低低(高)||colspan=3|高低(低)
|-
!四類
|colspan=2|低高(高)||colspan=3|低低(高)
|-
!五類
|低降(高)、低降(低)||colspan=2|低降(低)||低降(低)、<br/>低高(低)
|-
! rowspan=7|三拍名詞 !! 一類
| colspan=4|高高高(高)
|-
! 二類
| 高高低(高)、高高低(低)||colspan=2|高高低(低)||高低低(低)
|-
! 三類
| 高低低(高)、高低低(低)||colspan=3|高低低(低)
|-
! 四類
| 低低低(高)||colspan=2|高高低(低)||高低低(低)
|-
! 五類
| 低低高(高)||colspan=3|高低低(低)
|-
! 六類
| colspan=2|低高高(高)||低低高(高)||低低低(高)
|-
! 七類
| 低高低(高)、低高低(低)||colspan=3|低高低(低)
|-
!rowspan=2|二拍動詞!!一類
|colspan=4|高高
|-
!二類
|colspan=4|低高
|-
!rowspan=2|三拍動詞!!一類
|colspan=4|高高高
|-
!二類
|低低高||colspan=2|高低低||五段高高高<br/>一段低低高
|-
!rowspan="2"|三拍形容詞!!|一類
|高高降||colspan=2|高高低||高低低
|-
!二類
|低低降||colspan=3|高低低
|}
[[平安時代]]後期の『[[類聚名義抄]]』や、[[室町時代]]のアクセントを記した『[[補忘記]]』などによって、長く都であった京都のアクセントは平安時代からその変遷をたどることができる(右表。「降」は拍内の下降)。平安時代の京都アクセントは、今よりも型の種類の多い複雑な体系を持っていた。例えば二拍名詞は、一類が「高高」型、二類が「高低」型、三類が「低低」型、四類が「低高」型、五類が「低降」型であったほか、ごく少数の語彙が所属する型として、「昇高」型や「昇低」型などもあった(「昇」は拍内の上昇)。三拍名詞は一類(形など)が「高高高」型、二類(小豆など)が「高高低」型、三類(力など)が「高低低」型、四類(頭など)が「低低低」型、五類(命など)が「低低高」型、六類(兎など)が「低高高」型、七類(苺など)が「低高低」型であったほか、ごく少数の語彙が「低低降」型や「昇低低」型だった。

このようなアクセント体系は、時代を下るごとに変化し、単純化していった。まず平安時代から[[鎌倉時代]]に入る間には、拍内上昇を持つ型がなくなり、「昇高」型は「高高」型に、「昇低」型は「高低」型になった。この後、鎌倉時代から室町時代に入る間には、アクセント体系の大きな変化があった。「低低」型(二拍名詞三類)が「高低」型になり、「低低低」型(三拍名詞四類)が「高高低」型に、「低低高」型(三拍名詞五類・三拍動詞二類)が「高低低」型に、「低低降」型(三拍形容詞二類)が「高低低」型になった。この変化は、低い拍が語頭から二拍以上続くものに起こり、室町時代のアクセントでは一拍目が低ければ二拍目が必ず高くならなければならなくなった。現代でも高知市や田辺市ではこのような室町時代のアクセント体系を残している。

[[江戸時代]]の京都アクセントは、室町時代とあまり変わらないが、室町時代に「低高高」型だったものが「低低高」型になり、「低高高高」型は「低低高高」型になっていた。このようなアクセント体系は、現代でも徳島県東南部や和歌山県旧龍神村に残っている。さらに、幕末から明治にかけて、京阪を中心とする近畿中央部では<!--社会変動の影響で-->アクセントが大きく変容し、三拍形容詞一類が「高高低」型から「高低低」型になり、三拍動詞二類が、五段活用のものは「高低低」型から「高高高」型に、一段活用のものは「高低低」型から「低低高」型に変化した。同じ時期に京都では三拍名詞の二・四類も「高高低」型から「高低低」型になったが、大阪などでは「高高低」型を維持した。また、近畿大部分で「低低高高」型は「低低低高」型になった。

=== 日本各地のアクセント ===
このような京都アクセントの変遷や、現代の日本各地のアクセントの比較から、古代の京都アクセントが全ての日本語アクセントの祖であり、各地のアクセントはこれが変化して生まれたものとする説が有力である。[[金田一春彦]]は、類聚名義抄に記録されたようなアクセントが、発話時の負担の軽減と発音の明瞭化のために、日本各地で同じような変化を起こして東京式を生じたと考えた<ref>金田一春彦「東西両アクセントの違いができるまで」『金田一春彦著作集第七巻』玉川大学出版部、2005年</ref>。また[[奥村三雄]]は、漢語にも東京式と京阪式の間で和語と同じような対応関係があることから、両者の分岐時期を平安時代以降と推定した<ref>奥村三雄「第二章 古代の音韻」中田祝夫編『講座国語史2音韻史・文字史』大修館書店、1972年</ref>。一方[[山口幸洋]]は、もともと無アクセントだった地方が中央の京阪式に近づこうとして、変換作用によって東京式を生じたとする説を唱えている<ref>山口幸洋「日本語東京アクセントの成立」『日本語東京アクセントの成立』港の人、2003年</ref>。

平安時代の京都アクセントでは二拍名詞の二類と三類にアクセントの区別があったが、現代では区別を失っている。ところが、現代の東北北部や香川県、九州などではこの二類と三類の区別を保っており、例えば東北北部や大分県などの外輪東京式では二類は「お{{高線|'''とが'''}}」型、三類は「も{{高線|'''の'''}}が」型である。このことが、古い京都アクセントのようなアクセント体系が変化して全国のアクセントができたとする根拠の一つになっている。古い京都アクセントでは二拍名詞に一類から五類までの区別があったが、各地でいくつかの類が統合してアクセントの区別がなくなった。現代の京阪式では二類と三類が統合して一類/二三類/四類/五類という区別体系になっており、外輪東京式では一二類/三類/四五類というように統合し、関東西部・名古屋市・中国大部分などの内輪・中輪東京式では一類/二三類/四五類となっている。

=== 現在 ===
現在ではいずれの地域でもアクセントの簡略化と共通語化が進んでいる。

特に大きな変化は、二拍名詞での四類と五類の統合である。四類・五類の区別をしない東京式の影響によるもので、使用頻度の高い「何」「いつ」や特殊拍のある「缶」などを除き、五類では二拍目の拍内下降が消滅して四類化し、四類では助詞が付く際のアクセント型が五類化しつつある<ref name="中井p47-51">中井 (2002)、47-51頁。</ref><ref name="NHKp149-150">NHK放送文化研究所 (1998)、149-150頁。</ref>。(例)「あ{{高線|'''め'''}}ぇ、あ{{高線|'''め'''}}が」「う{{高線|'''み'''}}、うみ{{高線|'''が'''}}」→「あ{{高線|'''め'''}}、あ{{高線|'''め'''}}が」「う{{高線|'''み'''}}、う{{高線|'''み'''}}が」(雨、海)

アクセント核を東京式アクセントと合わせようとする傾向もあり、例えば「人が」「あれが」は京阪式では本来「{{高線|'''ひ'''}}とが」「{{高線|'''あ'''}}れが」と発音するが、東京式の「ひ{{高線|'''とが'''}}」「あ{{高線|'''れが'''}}」に影響されて、「{{高線|'''ひとが'''}}」「{{高線|'''あれが'''}}」と発音する人が増えている<ref name="NHKp149-150"/>。「{{高線|'''まあのふみきり'''}}」→「{{高線|'''ま'''}}の{{高線|'''ふみきり'''}}」(魔の踏切)など、日常での使用頻度が低い漢語で特に顕著である<ref name="中井p47-51"/>。

簡略化では、「{{高線|'''あし'''}}た」→「{{高線|'''あ'''}}した」「あ{{高線|'''し'''}}た」「{{高線|'''あした'''}}」(明日)のような高起式三拍語における二拍目でのアクセント核の消滅(京都周辺では幕末から既に頭高型に移行)、「ぎっ{{高線|'''ちょ'''}}ぉが」→「ぎっちょ{{高線|'''が'''}}」のような低起式三拍語における三拍目でのアクセント核の消滅、「な{{高線|'''い'''}}」「{{高線|'''な'''}}かった」→「な{{高線|'''い'''}}」「な{{高線|'''かっ'''}}た」(無い、無かった)のような動詞・形容詞の活用形アクセントの統一などが挙げられる<ref name="中井p47-51"/>。

京阪神のアクセントには「テ{{高線|'''レ'''}}ビ」のように「三拍語(の省略語)は低高低に発音する」という傾向があるが、現在その傾向がますます強まっている。若年層においては、従来平板型に発音されてきた三拍および四拍(語末が撥音・長音・連母音のものに限る<ref name="真田2001">真田信治『関西・ことばの動態』大阪大学出版会、2001年、80-84頁</ref>)の省略語でも二拍目にアクセント核を置く傾向があり<ref name="中井p47-51"/>、例えば「卒論」は「そつろ{{高線|'''ん'''}}」だと「オヤジ風」、「そ{{高線|'''つ'''}}ろん」だと「若者っぽい」と認識されている<ref name="真田2001"/>。「マ{{高線|'''ク'''}}ド」(マクドナルド)や「パ{{高線|'''シ'''}}リ」、「チャ{{高線|'''イ'''}}ゴ」(中国語)、「ゼ{{高線|'''ミ'''}}コン」(ゼミコンパ)など、若年層で新しく生まれた三拍・四拍の省略語はほとんど二拍目にアクセント核が置かれる<ref name="真田2001"/>。


以上は京阪神を中心とする近畿中央部での変化であり、その他の地域ではまた異なる変化が見られる。例えば石川県[[珠洲市]]の若年層では、二拍名詞において、四類と五類ではなく二・三類と五類の統合が起こっている<ref name="NHKp149-150"/>。
京阪式のアクセントパターンが日本語の諸アクセントで最も複雑であることから、古代の京阪式が全ての日本語のアクセントの祖であり、各地のアクセントは京阪式が変化して生まれたものとする説がある。[[金田一春彦]]は、類聚名義抄に記録されたようなアクセントが、発話時の負担の軽減と発音の明瞭化のために、相互に交流のない離れた地域において次々と変化を起こして東京式アクセントを生じたと考えた<ref>金田一春彦「東西両アクセントの違いができるまで」『金田一春彦著作集第七巻』玉川大学出版部、2005年</ref>。一方、[[山口幸洋]]は、もともと無アクセントだった地方が中央の京阪式アクセントに近づこうとして、変換作用によって東京式アクセントを生じたとする説を唱えている<ref>山口幸洋「日本語東京アクセントの成立」『日本語東京アクセントの成立』港の人、2003年</ref>。


比較的古い時代の京阪式アクセントを残していた地域でも、近年は京阪神のアクセントに近づく傾向がある。徳島市での三拍動詞二類のアクセントは、高年層では「{{高線|'''お'''}}きる」「{{高線|'''あ'''}}まる」型が優勢であるが、若年層のほとんどが京阪神と同じ「おき{{高線|'''る'''}}」「{{高線|'''あまる'''}}」型になっている<ref>平山輝男ほか『日本のことばシリーズ 36 徳島県のことば』明治書院、1997年、12-13頁。1993年発表のデータによる。</ref>。高知市の若年層(1978年時点)でも、二拍名詞四類で「う{{高線|'''みが'''}}」型だけでなく「うみ{{高線|'''が'''}}」型、三拍形容詞一類で「{{高線|'''あか'''}}い」型だけでなく「{{高線|'''あ'''}}かい」型が現れている<ref name="講座方言学高知"/>。
=== 現在の変化 ===
現在ではいずれの地域もアクセントの簡略化と共通語化が進んでおり、京阪神では以下のようなアクセント変化が起こっている。また人の出入りが激しい新興住宅地や都市部、元来東京式アクセントに隣接している地域(松山市など)では、垂井式アクセントや共通語のアクセントとほとんど変わりないアクセントを用いる者が増加しつつある。<ref>中井『京阪系アクセント辞典』47-51頁</ref>


新興住宅地や都市部などでは、高起式と低起式の区別を失って垂井式アクセントに近くなっている者や、共通語のアクセントとほとんど変わりないアクセントを用いる者も現われている<ref name="中井p47-51"/>。また、元来東京式アクセント使用地域に隣接していた松山市では、若年層のほとんどが垂井式に移行している<ref name="NHKp149-150"/>。
* 二拍名詞での四類と五類の合流。四類と五類の区別をしない東京式アクセントの影響による。
** 単体でのアクセント型は四類に(すなわち、五類の拍内下降の消滅)、助詞が続く形でのアクセント型は五類に統合されつつある。
** 使用頻度が高い疑問詞(「何」「いつ」など)や特殊拍のある「缶」などは四類のアクセント型が比較的保たれやすい。
* 使用頻度の低い一拍漢語の頭高型化。(例)「魔の踏切」{{高線|マノフミキリ}}→{{高線|マ}}ノ{{高線|フミキリ}}
* 高起式三拍語での二拍目での下がり核の消滅。(例)「庭師」{{高線|ニワ}}シ→ニ{{高線|ワ}}シ、「明日」{{高線|アシ}}タ→{{高線|ア}}シタ・ア{{高線|シ}}タ・{{高線|アシタ}}
** 京都では幕末から既に多くが頭高型に移行しており、京都とその周辺(奈良・滋賀など)では高齢層も「明日」を{{高線|ア}}シタと発音する。
* 低起式三拍語での三拍目での下がり核の消滅。(例)「ぎっちょが」ギッ{{高線|チョ}}ォガ→ギッチョ{{高線|ガ}}
* 三拍・四拍の省略語のアクセントは低起式平板型が主流であったが、若年層では二拍目に下げ核を置く傾向がある。(例)「卒論」ソツロ{{高線|ン}}→ソ{{高線|ツ}}ロン、「[[立命館大学|立命]]」リツメ{{高線|ー}}→リ{{高線|ツ}}メー、「土日」ドニ{{高線|チ}}→ド{{高線|ニ}}チ
** 京阪神のアクセントには元より「三拍語(の略語)は○{{高線|○}}○に発音する」というフィルターがあり、それはその語をスラング的でなじみのあるものに位置づける装置である、との指摘がある。例えば「テレビ」の場合、{{高線|テ}}レビにはどこか改まりの気持ちがあり、テ{{高線|レ}}ビでは寝そべって見ている気持ちになる、といった内省が関西出身者から聞かれることがある。<ref>真田信治『関西・ことばの動態』大阪大学出版会、2001年、80-84頁</ref>
* 動詞・形容詞の活用形アクセントの統一。(例)「見る・見られる」ミ{{高線|ル}}・{{高線|ミラレル}}→ミ{{高線|ル}}・ミラレ{{高線|ル}}、「無い・無かった」ナ{{高線|イ}}・{{高線|ナ}}カッタ→ナ{{高線|イ}}・ナ{{高線|カッ}}タ
* 一部の低起式動詞(特に平板型)の高起式化。(例)「桃が生る」{{高線|モモガ}}ナ{{高線|ル}}→{{高線|モモガナル}}


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
* 中井幸比古編著『京阪系アクセント辞典』[[勉誠出版]]ISBN 4-585-08009-0
* [[中井幸比古]]編著『京阪系アクセント辞典』[[勉誠出版]]、2002年、ISBN 4-585-08009-0
* 金田一春彦『金田一春彦著作集第七巻』玉川大学出版部、2005年、70-81頁
* [[金田一春彦]]『金田一春彦著作集第七巻』玉川大学出版部、2005年、70-81頁、148-157頁。
* 金田一春彦「近畿中央部のアクセント覚え書き」(1955年)『金田一春彦著作集第八巻』玉川大学出版部、2005年。
* 杉藤美代子監修、佐藤亮一ほか編『日本語音声1諸方言のアクセントとイントネーション』三省堂、1997年、63頁-95頁
* 金田一春彦「国語のアクセントの時代的変遷」(1960年)『金田一春彦著作集第九巻』玉川大学出版部、2005年。
* [[杉藤美代子]]監修、[[佐藤亮一 (言語学者)|佐藤亮一]]ほか編『日本語音声1諸方言のアクセントとイントネーション』三省堂、1997年、63頁-95頁。
* [[NHK放送文化研究所]]『NHK 日本語発音アクセント辞典 新版』[[日本放送出版協会]]、1998年。
* 亀井孝・大藤時彦・山田俊雄編『日本語の歴史 5 近代語の流れ』平凡社、2007年、143-163頁。


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
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* [[北陸方言]]
* [[北陸方言]]
* [[垂井式アクセント]]
* [[垂井式アクセント]]
* [[アクセント語類]](東京式アクセントとの比較についても詳述)
* [[類 (アクセント)]](東京式アクセントとの比較についても詳述)


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [http://www.akenotsuki.com/kyookotoba/accent/bumpu.html 京阪式アクセント](「京言葉」)
* [http://www.akenotsuki.com/kyookotoba/accent/bumpu.html 京阪式アクセント](個人サイト「京言葉」)
* [http://www.geocities.jp/immanuel_wa/hoby/osakaben/osakaben.htm わたさんの大阪弁アクセント講座](個人サイト「わたさんの部屋」)
* [http://www.osakaben.jp/osakaben/accent.html 発音とアクセント](個人サイト「全国大阪弁普及協会」)


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2010年11月21日 (日) 13:24時点における版

京阪式アクセント(けいはんしきアクセント)または甲種アクセント(こうしゅアクセント)、第一種アクセント(だいいっしゅアクセント)とは、京都市大阪市を中心に近畿地方四国地方などに分布する日本語アクセントである。

概要

東京式アクセントではピッチの下がり目のみが弁別されるのに対し、京阪式では語頭のピッチが高い(高起式)か低い(低起式)かも区別する。そのためアクセントの型(パターン)は東京式より京阪式のほうが多い。たとえば「はし」と言う場合、京阪式は「橋」(し)と「箸」(は)と「端」(はし)の3種類の区別があるが、東京式では「橋」「端」(は)と「箸」(し)の2種類の区別しかない。また東京式と違って京阪式では「ちゅごく」(中国)や「こにち」のように長音や撥音にもアクセントが来る。アクセントのパターンの多さから、他のアクセント話者が京阪式を習得するのは難しいとされる。

なお、一口に京阪式といっても、個々の単語・表現によって、世代・地域・個人ごとに細かな違いがある。例として「ちてつ」と「ちかて」(地下鉄)、「ぎょおさん」と「ぎょおん」(仰山)、「に」と「おおに」、大阪・神戸の「たべした」「とおきょお」に対して京都の「たました」「とおきょ」(食べました、東京)などがある。

分布

京阪式およびその変種アクセントは、概ね北陸地方・近畿地方・四国地方を結ぶやや傾いた南北の帯状に分布し、東京式によってその東西を挟まれている。

近畿地方では、三重県伊勢志摩伊賀滋賀県湖北除く)、奈良県北部、京都府南部、大阪府全域、和歌山県のほとんど、兵庫県南部が京阪式アクセントである。近畿地方周辺では、福井県若狭地方岐阜県揖斐川町でも京阪式が用いられる。四国地方では、徳島県東部から高知県東部・中部(山間部除く)にかけてまとまって京阪式が分布するほか、愛媛県中予地方東予地方の一部でも用いられる。

京阪式使用地域のさらに周辺部には、京阪式の様々な変種アクセントが分布している。変種アクセントのうち、四国の香川県周辺で用いられるアクセントを讃岐式アクセントと言い、これは早い時期(中世以前?)に京阪式から分岐して独自に発展したものと考えられている。また、石川県能登半島三重県南部の熊野市尾鷲市などでも、京阪式に近いアクセントが用いられる。東京式分布地域との緩衝地域(滋賀県長浜市から岐阜県垂井町付近、京都府中丹、兵庫県播磨北部・西部、岡山県の一部)や四国山地、福井県嶺北地方の一部、富山県などのアクセントは、下がり目の位置は京阪式に近いものの、高起式と低起式と区別がなく、これを垂井式アクセントという。

アクセントの内容

先述の通り、京阪式アクセントは、語頭が高い(高起式)か低い(低起式)かを区別し、さらに何拍目で下がるかを区別するアクセントである。下がり目の直前の拍をアクセント核と言う。アクセント核をで表し、高起式をHで、低起式をLで表すと、「はな」(鼻)はH○○(下がり目なし)、「と」(音)はH○で、「あぇ」(雨)はL○である(「め」は拍内で下降する)。高起式と低起式というのは、単語の前にアクセント核の無い語(例えば「Hその」)が来たときに、語頭が高くなる(そのはな)か低くなる(そのぇ)かの違いである。高起式の語は、アクセント核まで高く平らな拍が続き、核がなければ最終拍まで高いままである。低起式の語は、アクセント核があってもなくても上昇する性質がある。下の表の「木・手」類、「何時・中」類のように、上がる位置は地域によって変わる(後述)。

京阪式アクセントの地域では一拍語は長音化する傾向がある。そのため、かあ(蚊)、あ(名)、き(木)のように、助詞を付けなくても3つのアクセントの型(パターン)を区別できる。助詞が付いた場合も長音化することが多いが、長音化しない場合はかがが、き、のようになる。また、二拍名詞でも、低起式でアクセント核のない型(Lい)と最後の拍に核のある型(Lあぇ)では、後者に拍内の下降があることで、助詞を付けずに区別することができる。

下の表は、各類ごとの京都市高知市のアクセント(高齢層)をまとめたものである[1][2]とは、平安時代末の京都でのアクセントの区別に従って単語を分類したもので、現在ではいくつかの類が統合している。例えば二拍名詞の二類(音・川など)は平安時代には「高低」型だったのに対し、三類(時・物など)は平安時代には「低低」型で、両者は異なるアクセントだったが、現代ではどちらも「高低」型になっている。

品詞・拍数 語例 抽象型 京都市 高知市
一拍名詞 一類 蚊・戸・子 H○ かあがかが かが
二類 名・日・葉 H あが、
三類 木・手・目 L○ 、きい、き
二拍名詞 一類 枝・鳥・鼻 H○○ えだが
二・三類 音・時・物 H とが
四類 何時・今日・中 L○○ ・いつ ・いつが
五類 雨・声・前 L○ が※
三拍名詞 一類 形・氷・魚 H○○○ かたちが
二・四類 頭・男・女 H○○たまが H○あたまが
三・五類 力・命・心 H○○ からが
六類 兎・狐・雀 L○○○ うさ・うさぎ さぎ・うさぎが
七類 苺・兜・薬 L○ ごが
二拍動詞 一類 置く・買う H○○ おく
二類 有る・取る L○○
三拍五段動詞 一類 上がる・変わる H○○○ あがる
二類 動く・思う H○○○うごく H○○ごく
三拍一段動詞 一類 上げる・燃える H○○○ あげる
二類 起きる・見える L○○○おき H○○きる
三拍形容詞 一類 赤い・重い H○○かい H○あか
二類 白い・近い H○○ ろい

※京都などでは二拍目に拍内下降がある。

京阪式アクセント内でも地域による違いがあり、高知県中・東部(山間部除く)や和歌山県中部(田辺市付近)、徳島県東部では室町時代から江戸時代の京都アクセントに近いものが残っている。

低起式の語は、京阪神など近畿大部分では「かまり」のようにアクセント核のみ一拍が高く、アクセント核がない場合「うさ・うさぎ」のように文節末のみが上がる。これに対し、徳島県東南部や和歌山県旧龍神村などでは「うさぎが」のように3拍目から高くなる。また、高知県中・東部(山間部除く)や和歌山県田辺市付近、兵庫県播磨中部では「うさぎが」のように二拍目から高くなる。このような二拍目から上がるアクセントは、室町時代の京都アクセントに一致する。

動詞や形容詞のアクセントは、京都と同様のものが京阪神など近畿大部分に分布している。これに対し、高知市や徳島県東南部[3][4]、和歌山県旧龍神村などでは、三拍形容詞の一類が「あかい」型、三拍動詞の二類が「ごく」「きる」型である。これは古い時代の京都アクセントが残ったものである。三拍動詞では一段活用よりも五段活用の方が古いものが広く分布しており、五段活用での「ごく」型は松山市徳島市[5]淡路島、和歌山県田辺市・串本町などにも残っている。また和歌山市では「うごく」「ごく」型の両方を用いている[6]。三拍形容詞二類は、徳島市で「かい」型で[3]、和歌山市では「かい」「あかい」型の両方を用いている。また、三重県伊勢・志摩では三拍一段動詞二類を「おる」型に言う[6]

名詞では、京都府南部・滋賀県大部・奈良県北部・三重県北部・福井県若狭ではH○○型がほとんどなく、三拍名詞の二・四類は「たま」型になっているが、大阪市などその他の地域では「あたま」型である。また、福井県若狭ではL○○○型がなく、三拍名詞六類は「うさぎ」型である。

歴史

京都アクセントの変遷

京都アクセントの変遷[7]
  平安末・鎌倉時代 室町時代 江戸時代 現代
一拍名詞 一類 高高(高)
二類 高低(高)、高低(低) 高低(低)
三類 低低(高)
二拍名詞 一類 高高(高)
二類 高低(高)、高低(低) 高低(低)
三類 低低(高) 高低(低)
四類 低高(高) 低低(高)
五類 低降(高)、低降(低) 低降(低) 低降(低)、
低高(低)
三拍名詞 一類 高高高(高)
二類 高高低(高)、高高低(低) 高高低(低) 高低低(低)
三類 高低低(高)、高低低(低) 高低低(低)
四類 低低低(高) 高高低(低) 高低低(低)
五類 低低高(高) 高低低(低)
六類 低高高(高) 低低高(高) 低低低(高)
七類 低高低(高)、低高低(低) 低高低(低)
二拍動詞 一類 高高
二類 低高
三拍動詞 一類 高高高
二類 低低高 高低低 五段高高高
一段低低高
三拍形容詞 一類 高高降 高高低 高低低
二類 低低降 高低低

平安時代後期の『類聚名義抄』や、室町時代のアクセントを記した『補忘記』などによって、長く都であった京都のアクセントは平安時代からその変遷をたどることができる(右表。「降」は拍内の下降)。平安時代の京都アクセントは、今よりも型の種類の多い複雑な体系を持っていた。例えば二拍名詞は、一類が「高高」型、二類が「高低」型、三類が「低低」型、四類が「低高」型、五類が「低降」型であったほか、ごく少数の語彙が所属する型として、「昇高」型や「昇低」型などもあった(「昇」は拍内の上昇)。三拍名詞は一類(形など)が「高高高」型、二類(小豆など)が「高高低」型、三類(力など)が「高低低」型、四類(頭など)が「低低低」型、五類(命など)が「低低高」型、六類(兎など)が「低高高」型、七類(苺など)が「低高低」型であったほか、ごく少数の語彙が「低低降」型や「昇低低」型だった。

このようなアクセント体系は、時代を下るごとに変化し、単純化していった。まず平安時代から鎌倉時代に入る間には、拍内上昇を持つ型がなくなり、「昇高」型は「高高」型に、「昇低」型は「高低」型になった。この後、鎌倉時代から室町時代に入る間には、アクセント体系の大きな変化があった。「低低」型(二拍名詞三類)が「高低」型になり、「低低低」型(三拍名詞四類)が「高高低」型に、「低低高」型(三拍名詞五類・三拍動詞二類)が「高低低」型に、「低低降」型(三拍形容詞二類)が「高低低」型になった。この変化は、低い拍が語頭から二拍以上続くものに起こり、室町時代のアクセントでは一拍目が低ければ二拍目が必ず高くならなければならなくなった。現代でも高知市や田辺市ではこのような室町時代のアクセント体系を残している。

江戸時代の京都アクセントは、室町時代とあまり変わらないが、室町時代に「低高高」型だったものが「低低高」型になり、「低高高高」型は「低低高高」型になっていた。このようなアクセント体系は、現代でも徳島県東南部や和歌山県旧龍神村に残っている。さらに、幕末から明治にかけて、京阪を中心とする近畿中央部ではアクセントが大きく変容し、三拍形容詞一類が「高高低」型から「高低低」型になり、三拍動詞二類が、五段活用のものは「高低低」型から「高高高」型に、一段活用のものは「高低低」型から「低低高」型に変化した。同じ時期に京都では三拍名詞の二・四類も「高高低」型から「高低低」型になったが、大阪などでは「高高低」型を維持した。また、近畿大部分で「低低高高」型は「低低低高」型になった。

日本各地のアクセント

このような京都アクセントの変遷や、現代の日本各地のアクセントの比較から、古代の京都アクセントが全ての日本語アクセントの祖であり、各地のアクセントはこれが変化して生まれたものとする説が有力である。金田一春彦は、類聚名義抄に記録されたようなアクセントが、発話時の負担の軽減と発音の明瞭化のために、日本各地で同じような変化を起こして東京式を生じたと考えた[8]。また奥村三雄は、漢語にも東京式と京阪式の間で和語と同じような対応関係があることから、両者の分岐時期を平安時代以降と推定した[9]。一方山口幸洋は、もともと無アクセントだった地方が中央の京阪式に近づこうとして、変換作用によって東京式を生じたとする説を唱えている[10]

平安時代の京都アクセントでは二拍名詞の二類と三類にアクセントの区別があったが、現代では区別を失っている。ところが、現代の東北北部や香川県、九州などではこの二類と三類の区別を保っており、例えば東北北部や大分県などの外輪東京式では二類は「おとが」型、三類は「もが」型である。このことが、古い京都アクセントのようなアクセント体系が変化して全国のアクセントができたとする根拠の一つになっている。古い京都アクセントでは二拍名詞に一類から五類までの区別があったが、各地でいくつかの類が統合してアクセントの区別がなくなった。現代の京阪式では二類と三類が統合して一類/二三類/四類/五類という区別体系になっており、外輪東京式では一二類/三類/四五類というように統合し、関東西部・名古屋市・中国大部分などの内輪・中輪東京式では一類/二三類/四五類となっている。

現在

現在ではいずれの地域でもアクセントの簡略化と共通語化が進んでいる。

特に大きな変化は、二拍名詞での四類と五類の統合である。四類・五類の区別をしない東京式の影響によるもので、使用頻度の高い「何」「いつ」や特殊拍のある「缶」などを除き、五類では二拍目の拍内下降が消滅して四類化し、四類では助詞が付く際のアクセント型が五類化しつつある[11][12]。(例)「あぇ、あが」「う、うみ」→「あ、あが」「う、うが」(雨、海)

アクセント核を東京式アクセントと合わせようとする傾向もあり、例えば「人が」「あれが」は京阪式では本来「とが」「れが」と発音するが、東京式の「ひとが」「あれが」に影響されて、「ひとが」「あれが」と発音する人が増えている[12]。「まあのふみきり」→「ふみきり」(魔の踏切)など、日常での使用頻度が低い漢語で特に顕著である[11]

簡略化では、「あした」→「した」「あた」「あした」(明日)のような高起式三拍語における二拍目でのアクセント核の消滅(京都周辺では幕末から既に頭高型に移行)、「ぎっちょぉが」→「ぎっちょ」のような低起式三拍語における三拍目でのアクセント核の消滅、「な」「かった」→「な」「なかった」(無い、無かった)のような動詞・形容詞の活用形アクセントの統一などが挙げられる[11]

京阪神のアクセントには「テビ」のように「三拍語(の省略語)は低高低に発音する」という傾向があるが、現在その傾向がますます強まっている。若年層においては、従来平板型に発音されてきた三拍および四拍(語末が撥音・長音・連母音のものに限る[13])の省略語でも二拍目にアクセント核を置く傾向があり[11]、例えば「卒論」は「そつろ」だと「オヤジ風」、「そろん」だと「若者っぽい」と認識されている[13]。「マド」(マクドナルド)や「パリ」、「チャゴ」(中国語)、「ゼコン」(ゼミコンパ)など、若年層で新しく生まれた三拍・四拍の省略語はほとんど二拍目にアクセント核が置かれる[13]

以上は京阪神を中心とする近畿中央部での変化であり、その他の地域ではまた異なる変化が見られる。例えば石川県珠洲市の若年層では、二拍名詞において、四類と五類ではなく二・三類と五類の統合が起こっている[12]

比較的古い時代の京阪式アクセントを残していた地域でも、近年は京阪神のアクセントに近づく傾向がある。徳島市での三拍動詞二類のアクセントは、高年層では「きる」「まる」型が優勢であるが、若年層のほとんどが京阪神と同じ「おき」「あまる」型になっている[14]。高知市の若年層(1978年時点)でも、二拍名詞四類で「うみが」型だけでなく「うみ」型、三拍形容詞一類で「あかい」型だけでなく「かい」型が現れている[1]

新興住宅地や都市部などでは、高起式と低起式の区別を失って垂井式アクセントに近くなっている者や、共通語のアクセントとほとんど変わりないアクセントを用いる者も現われている[11]。また、元来東京式アクセント使用地域に隣接していた松山市では、若年層のほとんどが垂井式に移行している[12]

脚注

  1. ^ a b 飯豊毅一・日野資純・佐藤亮一編『講座方言学 8 中国・四国地方の方言』 国書刊行会、1982年、433頁-436頁。
  2. ^ 秋永一枝『日本語音韻史・アクセント史論』笠間書院、2009年、91頁、表3・表4。
  3. ^ a b 森重幸「徳島県の方言」飯豊毅一・日野資純・佐藤亮一編『講座方言学 8 中国・四国地方の方言』国書刊行会、1982年。
  4. ^ 平山輝男ほか『日本のことばシリーズ 36 徳島県のことば』明治書院、1997年、34頁。
  5. ^ 金田一春彦『金田一春彦著作集第五巻』玉川大学出版部、2005年、79-80頁。
  6. ^ a b 金田一春彦「近畿中央部のアクセント覚え書き」
  7. ^ 秋永一枝『日本語音韻史・アクセント史論』笠間書院、2009年、91頁、表3・表4および亀井孝・大藤時彦・山田俊雄編『日本語の歴史 5 近代語の流れ』152-153頁、金田一春彦「国語のアクセントの時代的変遷」。カッコ内は助詞。平安末・鎌倉の動詞・形容詞は連体形のアクセント。現代での一拍名詞は長音化する場合のみ示した。
  8. ^ 金田一春彦「東西両アクセントの違いができるまで」『金田一春彦著作集第七巻』玉川大学出版部、2005年
  9. ^ 奥村三雄「第二章 古代の音韻」中田祝夫編『講座国語史2音韻史・文字史』大修館書店、1972年
  10. ^ 山口幸洋「日本語東京アクセントの成立」『日本語東京アクセントの成立』港の人、2003年
  11. ^ a b c d e 中井 (2002)、47-51頁。
  12. ^ a b c d NHK放送文化研究所 (1998)、149-150頁。
  13. ^ a b c 真田信治『関西・ことばの動態』大阪大学出版会、2001年、80-84頁
  14. ^ 平山輝男ほか『日本のことばシリーズ 36 徳島県のことば』明治書院、1997年、12-13頁。1993年発表のデータによる。

参考文献

  • 中井幸比古編著『京阪系アクセント辞典』勉誠出版、2002年、ISBN 4-585-08009-0
  • 金田一春彦『金田一春彦著作集第七巻』玉川大学出版部、2005年、70-81頁、148-157頁。
  • 金田一春彦「近畿中央部のアクセント覚え書き」(1955年)『金田一春彦著作集第八巻』玉川大学出版部、2005年。
  • 金田一春彦「国語のアクセントの時代的変遷」(1960年)『金田一春彦著作集第九巻』玉川大学出版部、2005年。
  • 杉藤美代子監修、佐藤亮一ほか編『日本語音声1諸方言のアクセントとイントネーション』三省堂、1997年、63頁-95頁。
  • NHK放送文化研究所『NHK 日本語発音アクセント辞典 新版』日本放送出版協会、1998年。
  • 亀井孝・大藤時彦・山田俊雄編『日本語の歴史 5 近代語の流れ』平凡社、2007年、143-163頁。

関連項目

外部リンク