渋谷米太郎
表示
渋谷 米太郎(しぶや よねたろう、1877年(明治10年)12月20日[1] - 1971年(昭和46年)9月28日)は、日本の実業家。三菱ふそう自動車(株)初代会長、元太平興業(株)相談役、元第一貨物(株)顧問、栄典・称号は、レジオンドヌール勲章・藤島町名誉町民(現・鶴岡市名誉市民)。妻・ミサは山口鋭之助の長女。長女・光子は井上薫の妻[1]。
略歴
[編集]- 1877年(明治10年) - 山形県東田川郡藤島町下町(現・鶴岡市)に生れる。
- 1896年(明治29年) - 荘内中学校(現・山形県立鶴岡南高等学校)卒業
- 第二高等学校(現・東北大学)卒業
- 1903年(明治36年) - 東京帝国大学英法科卒業
- 三菱合資会社入社
- 門司副支店長
- 1911年(明治44年) - 香港支店長
- 1919年(大正8年) - 三菱商事(株)常務取締役
- 1920年(大正9年) - 三菱内燃機(株)常務取締役
- 1928年(昭和3年) - 三菱航空(株)常務取締役
- 三菱重工業・監査役
- 理研金属(株)監査役
- 1949年(昭和24年) - 国際電気通信(株)取締役
- 三菱ふそう自動車(株)初代会長就任
- 同相談役
- (財)荘内館・理事
- 1971年(昭和46年) - 死去。享年94、東京都台東区上野の谷中霊園に墓がある。
受賞歴
[編集]- 1931年(昭和6年) - レジオンドヌール勲章
- 1969年(昭和44年) - 藤島町名誉町民顕彰