波佐見町立東小学校
表示
波佐見町立東小学校 | |
---|---|
北緯33度8分29.4秒 東経129度54分47.5秒 / 北緯33.141500度 東経129.913194度座標: 北緯33度8分29.4秒 東経129度54分47.5秒 / 北緯33.141500度 東経129.913194度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 波佐見町 |
併合学校 | 波佐見町立東小学校永尾分校 |
校訓 | 思いやり・やる気 |
設立年月日 | 1976年(昭和51年)4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B142210002721 |
所在地 | 〒859-3702 |
長崎県東彼杵郡波佐見町湯無田郷808番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
波佐見町立東小学校(はさみちょうりつ ひがししょうがっこう、Hasami Town Higashi Elementary School)は、長崎県東彼杵郡波佐見町湯無田(ゆむた)郷にある公立小学校。
概要
[編集]- 校訓
- 「思いやり、やる気」
- 学校教育目標
- 「豊かな心とたくましい体を自らよく考えて学ぶ子どもの育成」
- 校章
- 波佐見(Hasami)と東(Higashi)をローマ字で表記した時の頭文字「H」と「小」の文字を組み合わせたものとなっている。
- 校歌
- 作詞は福田清人、作曲は廣瀬量平による。歌詞は2番まであり、両番に校名の「波佐見東小学校」が登場する。
- 分校
- 「永尾分校」 - 〒859-3705 長崎県東彼杵郡波佐見町永尾郷63番地(北緯33度7分58.3秒 東経129度56分20.6秒 / 北緯33.132861度 東経129.939056度)- 永尾郷と三股郷の1・2年生が通学していたが、2015年(平成27年)3月末で閉校した。
- 校区
- 「長崎県東彼杵郡波佐見町」の後に「中尾郷(一部)、三股郷、永尾郷、小樽郷、野々川郷、湯無田郷(一部)、井石郷(一部)、折敷瀬郷(一部)」が続く地域。中学校区は波佐見町立波佐見中学校。
沿革
[編集]旧・東小学校
[編集]- 1871年(明治4年)- 「上波佐見小学校」が創立。
- 1872年(明治5年)- 学制が頒布される。
- 1873年(明治6年)10月7日 - 上波佐見村宿郷に「鹿山小学校」が創立。
- 1874年(明治7年)6月 - 上波佐見村に「中尾小学校」と三又分校が創立。同時期に隣村の下波佐見村に「平瀬小学校」が創立。
- 1886年(明治19年)9月 - 小学校令が施行される。
- 1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により、上波佐見村立の小学校となる。
- 1892年(明治25年)
- 1901年(明治34年)
- 3月 - 上波佐見村と下波佐見村の学校組合を解消。
- 5月25日 - 「上波佐見村立 波佐見尋常高等小学校」となる。井石郷に新校舎が完成。内海小学校を統合。
- 1902年(明治35年)4月 - 永尾郷に永尾分教場(永尾分校)、村木郷に村木分教場が設置される。
- 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正により、義務教育年限(尋常科の修業年限)が4年から6年に延長される。校舎を一棟新築。
- 旧高等科1年が尋常科5年に、旧高等科2年が尋常科6年に、旧高等科3年が高等科1年に、旧高等科4年が高等科2年に振り替えられる。
- 1913年(大正2年)4月28日 - 農業補習学校を併設。
- 1923年(大正12年)2月2日 - 校舎が一棟完成。
- 1927年(昭和2年)9月30日 - 波佐見高等家政女学校が創立され、高等科の女子が編入。
- 1934年(昭和9年)11月3日 - 町制施行で上波佐見町が発足。これにより「上波佐見町立 波佐見尋常高等小学校」になる。
- 1935年(昭和10年)- 青年学校令の施行により、併設の農業補習学校が青年学校に改称。
- 1937年(昭和12年)- 木造平屋一部2階建ての講堂が完成[1][2]。2010年(平成22年)に「旧・波佐見町立中央小学校講堂兼公会堂」として登録有形文化財に登録された。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「上波佐見国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年・高等科2年)。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 国民学校の初等科が改組され、「上波佐見町立上波佐見小学校」に改称。永尾と村木の分教場をそれぞれ分校に改める。
- 国民学校の高等科と青年学校の普通科が改組され、「上波佐見町立上波佐見中学校」(新制中学校)が発足。
- 1951年(昭和26年)5月25日 - 創立50周年を記念して校歌(旧校歌)と校章(旧校章)を制定。
- 1954年(昭和29年)8月28日 - 北校舎を改築し、木造2階建て校舎10教室が完成。
- 1956年(昭和31年)6月1日 - 上波佐見町と下波佐見村の合併で波佐見町が発足。これにより「波佐見町立東小学校」と改称[3]。
- 1963年(昭和38年)11月1日 - 脱脂粉乳給食を開始。
- 1964年(昭和39年)4月1日 - 校区の変更により、村木分校を波佐見町立南小学校に移管[4]。
- 1966年(昭和41年)1月20日 - 鉄筋コンクリート造2階建て校舎が完成。
- 1970年(昭和45年)4月 - 完全給食を開始。
- 1976年(昭和51年)3月31日 - 2校分離のため、旧・波佐見町立東小学校が閉校。
- 最終所在地 - 長崎県東彼杵郡波佐見町井石郷2191番地(北緯33度8分31.3秒 東経129度54分27.6秒 / 北緯33.142028度 東経129.907667度)
新・東小学校
[編集]- 1976年(昭和51年)4月1日 - 旧・波佐見町立東小学校が「(新)波佐見町立東小学校」と「波佐見町立中央小学校」との2校に分離される。
- 旧・波佐見町立東小学校の校地および校舎は中央小学校が継承する。
- 新・波佐見町立東小学校は旧・波佐見町立東中学校の校地に設置される[5]。永尾分校が(新)東小学校に移管される。
- 1978年(昭和53年)- 前身の波佐見尋常高等小学校出身(尋常科2年まで在学)であり、児童文学作家の福田清人が新校歌作詞のため来校。
- 1979年(昭和54年)- 新校歌・新校章・新校旗を制定。
- 1980年(昭和55年)- 鉄筋コンクリート造の新校舎が完成。
- 1986年(昭和61年)- 永尾分校の新校舎が完成。
- 1992年(平成4年)- 陶芸室が完成。
- 1999年(平成11年)- 視聴覚室が完成。パソコンを設置。
- 2004年(平成16年)- 新体育館が完成。
- 2009年(平成21年)- 電子黒板を導入。
- 2013年(平成25年)- 校舎の改修を実施。
- 2015年(平成27年)3月31日 - 永尾分校を廃止し、本校に統合。
著名な出身者
[編集]- 福田清人 - 児童文学作家、前身の波佐見尋常高等小学校尋常科2年まで在学。その後土井首尋常高等小学校へ転出。
- 旧・波佐見町立東小学校および現・波佐見町立東小学校の校歌作詞をてがけた。
アクセス
[編集]- 本校
-
- 最寄りのバス停
- 西肥自動車(西肥バス) 「大日」バス停
- 最寄りの国道・県道
- 永尾分校
-
- 最寄りのバス停
- 西肥自動車(西肥バス) 「三股入口」バス停
- 最寄りの国道・県道
- 長崎県道・佐賀県道1号佐世保嬉野線
周辺
[編集]- 本校
-
- 波佐見町陶芸の館
- 波佐見町勤労福祉会館
- 波佐見東幼稚園
- 十八親和銀行波佐見中央支店
- 永尾分校
-
- 白山神社
脚注
[編集]- ^ 旧波佐見町立中央小学校講堂兼公会堂 - 文化遺産オンライン
- ^ 旧波佐見町立中央小学校講堂兼公会堂 - 波佐見町観光協会
- ^ この時下波佐見村立下波佐見小学校は「波佐見町立南小学校」に改称した。
- ^ 村木分校は1981年(昭和56年)3月31日に閉校した。
- ^ 波佐見町立東中学校は1976年(昭和51年)3月31日に波佐見町立南中学校と統合され、波佐見町立波佐見中学校となり、閉校となった。
参考文献
[編集]- 「波佐見史 第三巻」(1993年(平成5年)3月16日、波佐見町)p.220 -