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波佐見町立中央小学校

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波佐見町立中央小学校
Hasami hasami-chuo ES2Hasami hasami-chuo ES1
地図北緯33度8分31.3秒 東経129度53分46.3秒 / 北緯33.142028度 東経129.896194度 / 33.142028; 129.896194座標: 北緯33度8分31.3秒 東経129度53分46.3秒 / 北緯33.142028度 東経129.896194度 / 33.142028; 129.896194
国公私立の別 公立学校
設置者 波佐見町
校訓 心やさしく たくましく
設立年月日 1976年(昭和51年)4月1日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B142210001571 ウィキデータを編集
所在地 859-3701
長崎県東彼杵郡波佐見町折敷瀬郷1986番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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波佐見町立中央小学校(はさみちょうりつ ちゅうおうしょうがっこう、Hasami Town Chuo Elementary School)は、長崎県東彼杵郡波佐見町折敷瀬(おりしきせ)郷にある公立小学校

概要

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歴史
1976年昭和51年)に旧・波佐見町立東小学校が分離されて開校した2校のうちの1校。2016年(平成28年)には創立(分離)40周年を迎える。
校訓
「心やさしく たくましく」
校章
中央に「中央小」の文字(縦書き)を置いている。
校歌
作詞は中島英治、作曲は紙恭輔による。歌詞は4番まであったが、4番に「甲辰園の空青く」という歌詞があり、折敷瀬郷へ学校が移転された際に4番が無くなり、3番までとなった。校名は歌詞中に登場しない。
校区
「長崎県東彼杵郡波佐見町」の後に「中尾郷(一部)、湯無田郷(一部)、井石郷(一部)、鬼木郷、金屋郷(一部)、折敷瀬郷(一部)、宿郷(一部)」が続く地域。中学校区は波佐見町立波佐見中学校

沿革

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旧・東小学校

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  • 1871年(明治4年)- 「上波佐見小学校」が創立。
  • 1872年(明治5年)- 学制が頒布される。
  • 1873年(明治6年)10月7日 - 上波佐見村宿郷に「鹿山小学校」が創立。
  • 1874年(明治7年)6月 - 上波佐見村に「中尾小学校」と三又分校が創立。同時期に隣村の下波佐見村に「平瀬小学校」が創立。
  • 1886年(明治19年)9月 - 小学校令が施行される。
    • 尋常科(修業年限4年)を設置の上「尋常鹿山小学校」に改称。
    • 東彼杵郡早岐村(現・佐世保市早岐地域)に「長崎県第十二高等小学校」が設置される。
  • 1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により、上波佐見村立の小学校となる。
  • 1892年(明治25年)
    • 長崎県第十二高等小学校が廃止される。
    • 11月25日 - 「上波佐見村 下波佐見村 組合立 波佐見尋常高等小学校」に改称(尋常科4年・高等科4年)。
      • 上波佐見村と下波佐見村が学校組合を組織し、両村の尋常小学校が統合された上で、高等科が併置された。
  • 1901年(明治34年)
    • 3月 - 上波佐見村と下波佐見村の学校組合を解消。
    • 5月25日 - 「上波佐見村立 波佐見尋常高等小学校」となる。井石郷に新校舎が完成。内海小学校を統合。
  • 1902年(明治35年)4月 - 永尾郷に永尾分教場(後の波佐見町立東小学校永尾分校[1])、村木郷に村木分教場が設置される。
  • 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正により、義務教育年限(尋常科の修業年限)が4年から6年に延長される。校舎を一棟新築。
    • 旧高等科1年が尋常科5年に、旧高等科2年が尋常科6年に、旧高等科3年が高等科1年に、旧高等科4年が高等科2年に振り替えられる。
  • 1913年大正2年)4月28日 - 農業補習学校を併設。
  • 1923年(大正12年)2月2日 - 校舎が一棟完成。
  • 1927年昭和2年)9月30日 - 波佐見高等家政女学校[2]が創立され、高等科の女子が編入。
  • 1934年(昭和9年)11月3日 - 町制施行で上波佐見町が発足。これにより「上波佐見町立 波佐見尋常高等小学校」になる。
  • 1935年(昭和10年)- 青年学校令の施行により、併設の農業補習学校が青年学校に改称。
  • 1937年(昭和12年)- 木造平屋一部2階建ての講堂が完成[3][4]
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「上波佐見国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年・高等科2年)。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
    • 国民学校の初等科が改組され、「上波佐見町立上波佐見小学校」に改称。永尾と村木の分教場をそれぞれ分校に改める。
    • 国民学校の高等科と青年学校の普通科が改組され、「上波佐見町立上波佐見中学校」(新制中学校)が発足。
  • 1951年(昭和26年)5月25日 - 創立50周年を記念して校歌(旧校歌)と校章(旧校章)を制定。
  • 1954年(昭和29年)8月28日 - 北校舎を改築し、木造2階建て校舎10教室が完成。
  • 1956年(昭和31年)6月1日 - 上波佐見町と下波佐見村の合併で波佐見町が発足。これにより「波佐見町立東小学校」と改称[5]
  • 1963年(昭和38年)11月1日 - 脱脂粉乳給食を開始。
  • 1964年(昭和39年)4月1日 - 校区の変更により、村木分校を波佐見町立南小学校に移管[6]
  • 1966年(昭和41年)1月20日 - 鉄筋コンクリート造2階建て校舎が完成。
  • 1970年(昭和45年)4月 - 完全給食を開始。
  • 1976年(昭和51年)3月31日 - 2校分離のため、旧・波佐見町立東小学校が閉校。

中央小学校

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旧波佐見町立中央小学校講堂兼公会堂

著名な出身者

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アクセス

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最寄りのバス停
最寄りの国道・県道

周辺

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脚注

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  1. ^ a b 2015年(平成27年)3月末に閉校。
  2. ^ 1941年(昭和16年)4月に甲種に認定され4年制となり、翌1942年(昭和17年)4月に「波佐見女子実業学校」に改称した後、1949年(昭和24年)3月末、学制改革により廃止された。現在の波佐見役場庁舎のそばに、波佐見高等家政女学校の碑が建立されている。
  3. ^ a b 旧波佐見町立中央小学校講堂兼公会堂 - 文化遺産オンライン
  4. ^ a b 旧波佐見町立中央小学校講堂兼公会堂 - 波佐見町観光協会
  5. ^ この時下波佐見村立下波佐見小学校は「波佐見町立南小学校」に改称した。
  6. ^ 村木分校は1981年(昭和56年)3月31日に閉校した。
  7. ^ 波佐見町立東中学校は1976年(昭和51年)3月31日に波佐見町立南中学校と統合され、波佐見町立波佐見中学校となり、閉校となった。

参考文献

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  • 「波佐見史 第三巻」(1993年(平成5年)3月16日、波佐見町)p.205 -

関連項目

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外部リンク

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