河村正彦
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河村 正彦 | |
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生誕 |
1868年6月25日 山口県 |
死没 | 1924年3月18日(55歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1889 - 1923 |
最終階級 | 陸軍中将 |
指揮 |
第13師団長 歩兵第2旅団長 近衛歩兵第2連隊長 |
戦闘 |
日清戦争 日露戦争 シベリア出兵 |
河村 正彦(かわむら まさひこ、1868年6月25日(慶応4年5月6日) - 1924年3月18日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]山口県出身。富田桑助の二男として生れ、陸軍一等軍吏・河村五一の養子となる。陸軍幼年学校を経て、1889年(明治22年)7月、陸軍士官学校(旧11期)を卒業、歩兵少尉に任官し近衛歩兵第2連隊付となる。1897年(明治30年)12月、陸軍大学校(11期)を卒業した。日清戦争出征のため、陸大を一時中退し戦後に復校している。1900年(明治33年)5月、ドイツ駐在となり、陸軍戸山学校教官を経て、日露戦争では、第2軍兵站部高級副官として出征した。
1906年(明治39年)1月、教育総監部参謀となり、戸山学校教導大隊長、近衛歩兵第2連隊長、教育総監部第1課長、ドイツ大使館付武官、参謀本部付(オランダ駐在)などを歴任し、1914年(大正3年)9月、陸軍少将に進級。陸軍歩兵学校長(未赴任)、参謀本部付(オランダ駐在)、歩兵第2旅団長を経て、1918年(大正7年)7月、陸軍中将となり歩兵学校長に就任。1921年(大正10年)1月、第13師団長に親補されシベリア出兵に出征した。1923年(大正12年)8月、待命となり、翌月、予備役に編入された。
栄典・授章・授賞
[編集]- 位階
- 勲章等
- 1906年(明治39年)4月1日 - 勲四等旭日小綬章・功三級金鵄勲章・明治三十七八年従軍記章[3]
- 1915年(大正4年)11月7日 - 勲二等旭日重光章・大正三四年従軍記章[4]
- 1919年(大正8年)12月15日 - 戦捷記章[5]
- 1920年(大正9年)11月1日 - 大正三年乃至九年戦役従軍記章[6]
- 1921年(大正10年)3月1日 - 勲一等瑞宝章[7]