池田定得

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
 
池田定得
時代 江戸時代中期
生誕 宝暦4年8月19日1754年10月5日
死没 安永2年7月9日1773年8月26日
改名 和三郎、定得
戒名 瑞泰院殿善倫為宝大居士
墓所 鳥取県鳥取市国府町奥谷の鳥取藩主池田家墓所
官位 従五位下大隅守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家治
因幡若桜藩
氏族 池田氏(清定流)
父母 池田定就、山瀬氏
定常
テンプレートを表示

池田 定得(いけだ さだのり)は、江戸時代中期の大名因幡国鳥取西館新田藩(若桜藩)4代藩主。官位従五位下大隅守

略歴[編集]

3代藩主・池田定就の長男として誕生。幼名は和三郎。

明和5年(1768年)4月13日、父・定就の隠居により跡を継いだが、安永2年(1773年)7月9日に実子のないまま病死した。遺言によって旗本池田政勝の次男・池田定常(冠山)が跡を継いだ。法号は瑞泰院殿善倫為宝大居士。墓所は鳥取県岩美郡国府町奥谷(現・鳥取市)の池田家墓所

系譜[編集]