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武田康

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
武田 康
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛媛県今治市
生年月日 (1964-04-22) 1964年4月22日(62歳)
身長
体重
180 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1982年 ドラフト5位
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

武田 康(たけだ やすし、1964年4月22日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手(捕手)。

来歴・人物

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今治西高では1981年、2年生の時に、小学校から同期のエース藤本修二投手とバッテリーを組み、夏の甲子園に出場。四番打者として活躍し準々決勝に進出するが、この大会に優勝した報徳学園高の金村義明投手に抑えられ、1-3で敗退。1年上のチームメイトに渡辺弘投手がいた。翌年夏は県予選決勝に進出するが川之江高に敗れ、甲子園出場を逸する。

1982年のプロ野球ドラフト会議で横浜大洋ホエールズから5位指名を受け入団。

1987年3月28日夜、大洋二軍(イースタン・リーグ)の同僚3人(竹田光訓・宮下正彦・長谷川国利)とともに、神奈川県横須賀市内で飲酒してタクシーで球団合宿所(横須賀市長浦)へ帰る途中、タクシーの前をノロノロ運転していた車の運転手(18歳少年)と喧嘩になり、少年ら3人を殴って怪我を負わせたとして、暴行に加わった宮下・竹田の両名とともに横須賀警察署に傷害容疑で取り調べられ、暴行には加担しなかったもののトラブルに居合わせた長谷川を含め、球団から無期限謹慎処分を受けた(同年4月14日付で解除)。

1987年にはMLB・テキサス・レンジャーズ傘下(当時)のルーキー級ビュート・カッパーキングスに、1年間野球留学した。しかし、帰国後も一軍出場は果たせないまま、1990年限りで現役を引退。

引退後は、横浜のスカウトとなり、山口俊などの獲得に携わった。

2006年から読売ジャイアンツのスカウトに就任[1]。2018年のドラフト会議では戸郷翔征の獲得に尽力し、戸郷は2022年からの3年間で二桁勝利を挙げ、2022年と2024年には最多奪三振のタイトルを獲得する選手となった[2]。

詳細情報

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年度別打撃成績

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  • 一軍公式戦出場なし

背番号

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  • 57(1983年 - 1989年)
  • 42(1990年)

脚注

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  1. ↑ 週刊ベースボール 2014年3月24日号 P20
  2. ↑ 上田悠太. “【巨人】戸郷翔征156奪三振で2年ぶりタイトル「普段から三振とりたいタイプなのでうれしい」 - プロ野球 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2026年5月30日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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