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関根浩史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
関根 浩史
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県千葉市中央区
生年月日 (1961-09-14) 1961年9月14日(63歳)
身長
体重
181 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1982年 ドラフト2位
初出場 1983年4月10日
最終出場 1988年9月12日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

関根 浩史(せきね ひろふみ、1961年9月14日 - )は、千葉県千葉市[1]出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

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千葉工業高では、エースとして1978年秋季県大会で完全試合を達成し、関東大会に進むが、1回戦で巨摩高にコールド負け、春の選抜出場を逸する。

高校卒業後、社会人野球日産自動車に進む。1982年都市対抗野球では池田親興森岡真一との投の三本柱で準決勝に進むが、優勝した住友金属石井毅投手に抑えられ敗退。同年の第27回アマチュア野球世界選手権大会の日本代表に選出される。

1982年のプロ野球ドラフト会議横浜大洋ホエールズから2位指名を受け入団[1]。日産自動車側からは指名見送りの要望があったが、大洋が強行指名した。関根本人の希望もありプロ入りするが、以降の日産自動車と大洋球団の関係は一時険悪なものとなった[2]

プロ1年目の1983年からリリーフとして一軍登板を果たし、2年目の1984年から先発投手陣の一角を占め、10月10日のダブルヘッダーでは規定投球回到達のために2試合とも先発し、第1試合は完投、第2試合は2回を投げるがいずれも敗戦投手で結果は17位、防御率4.29になった。翌1985年5月13日対巨人戦に先発して初完封する等6勝をあげるが、以降は肩の故障もあって低迷し、1988年限りで現役を引退[1]

現在は、横浜市の緑東シニアのコーチをしている。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1983 大洋 10 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 90 19.0 29 5 8 0 0 8 0 0 18 18 8.53 1.95
1984 39 14 2 0 0 3 11 0 -- .214 554 130.0 130 16 43 6 1 63 2 0 67 62 4.29 1.33
1985 38 22 5 1 0 6 13 1 -- .316 694 160.1 170 29 49 3 5 66 0 0 93 78 4.38 1.37
1986 19 3 0 0 0 0 2 0 -- .000 180 40.0 51 5 11 1 0 24 1 0 26 21 4.73 1.55
1988 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 2 0.0 1 0 1 0 0 0 0 0 0 0 ---- ----
通算:5年 107 39 7 1 0 9 26 1 -- .257 1520 349.1 381 55 112 10 6 161 3 0 204 179 4.61 1.44

記録

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背番号

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  • 12 (1983年 - 1985年)
  • 21 (1986年 - 1987年)
  • 49 (1988年)

脚注

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  1. ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、305ページ
  2. ^ その後段階的に関係を修復し、TBSの経営だった時代には、日産自動車野球部の関係者が球団フロントやスカウトに採用され、成績では結果を残せなかった一方、大洋の後身である横浜球団をはじめとしたプロ球界と大学・社会人を中心としたアマチュア球界との関係の円滑化に貢献した。2012年以降の球団の親会社であるDeNAと日産自動車は野球だけでなく本業でも、無人運転を活用した交通サービス『Easy Ride』の実証実験を行うなど、密接な関係を結んでいる。

関連項目

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外部リンク

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