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栄光郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
栄光郡
位置
各種表記
チョソングル: 영광군
漢字: 榮光郡
片仮名転写: ヨングァン=グン
ローマ字転写 (MR): Yŏnggwang kun
統計
行政
国: 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国
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栄光郡(ヨングァンぐん)は、朝鮮民主主義人民共和国咸鏡南道中部に位置する郡。旧名は五老郡(オロぐん/오로군)。

地理

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郡の北西部には、赴戦嶺から連なる山々が聳える。新興郡に発する城川江(ソンチョンガン/성천강)が郡内を流れ、平野を形作っている。

隣接行政区

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行政区画

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1邑・1労働者区・24里を管轄する。

  • 栄光邑(ヨングァンウプ)
  • 水電労働者区(スジョンノドンジャグ)
  • 観水里(クァンスリ)
  • 岐上里(キサンニ)
  • 東陽里(トンヤンニ)
  • 東中里(トンジュンニ)
  • 龍洞里(リョンドンニ)
  • 鳳興里(ポンフンニ)
  • 山蒼里(サンチャンニ)
  • 三興里(サムンニ)
  • 上中里(サンジュンニ)
  • 上通里(サントンニ)
  • 新徳里(シンドンニ)
  • 新上里(シンサンニ)
  • 双松里(サンソンニ)
  • 仁多里(インダリ)
  • 柘洞里(チャドンニ)
  • 長興里(チャンフンニ)
  • 典洞里(チョンドンニ)
  • 中上里(チュンサンニ)
  • 千仏山里(チョンブルサンニ)
  • 豊上里(プンサンニ)
  • 豊湖里(プンホリ)
  • 花蔵里(ファジャンニ)
  • 後州里(フジュリ)
  • 興峯里(フンボンニ)

歴史

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郡内の黄草嶺(ファンチョリョン/황초령)には、新羅真興王の巡狩碑が建てられた。

1952年12月、北朝鮮の行政区画改編により、咸州郡の下岐川・上岐川・下朝陽・岐谷面などからなる五老郡が新設された(1面19里)。1954年には咸州郡・新興郡の一部を併合した。1981年、五老郡を栄光郡に改称した。2006年末現在、1邑24里労働者区からなる。

年表

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この節の出典[1]

  • 1952年12月 - 郡面里統廃合により、咸鏡南道咸州郡下岐川面・上岐川面・下朝陽面・州北面・岐谷面をもって、五老郡を設置。五老郡に以下の邑・里が成立。(1邑19里)
    • 五老邑・上中里・東陽里・新上里・山蒼里・水電里・仁多里・鳳興里・龍洞里・鳳徳里・岐上里・東中里・新徳里・三興里・後州里・富民里・上通里・興峯里・長興里・松興里
  • 1953年12月 (1邑1労働者区19里)
    • 鳳徳里が鳳興里に編入。
    • 鳳興里の一部が龍洞里に編入。
    • 五老邑の一部が仁多里に編入。
    • 東陽里の一部が分立し、双松里が発足。
    • 山蒼里の一部が分立し、隠中里が発足。
    • 水電里が水電労働者区に昇格。
  • 1954年10月 (1邑1労働者区29里)
    • 新興郡豊上里・陵里・柘洞里・観水里・典洞里・千仏山里・花蔵里・中上里・中里・元平里を編入。
    • 隠中里が山蒼里に編入。
    • 鳳興里、咸州郡川原里の各一部が仁多里に編入。
    • 仁多里の一部が分立し、豊湖里が発足。
    • 仁多里の一部が咸州郡興保里に編入。
  • 1956年9月 (1邑1労働者区26里)
    • 陵里が豊上里に編入。
    • 中里が中上里に編入。
    • 元平里が千仏山里に編入。
  • 1960年10月 - 富民里・松興里が新設の咸興直轄市盤龍区域に編入。(1邑1労働者区24里)
  • 1981年10月 - 五老郡が栄光郡に改称。(1邑1労働者区24里)
    • 五老邑が栄光邑に改称。

交通

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鉄道

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脚注

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外部リンク

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