利原郡

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利原郡
位置
DPRK2006 Hamnam-Riwon.PNG
各種表記
ハングル 리원군
漢字 利原郡
発音 リウォン=グン
ローマ字転写 Riwŏn kun
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利原郡(リウォンぐん)は、朝鮮民主主義人民共和国の東北部、咸鏡南道に属する郡。

大韓民国における朝鮮語の発音・表記法では이원(イウォン)となる。

地理[編集]

東は日本海に面し、北は磨雲嶺を越えて端川市、西は徳城郡、南に北青郡と接する。三方は山に囲まれており、日本海に注ぐ南大川が小さな平野を形成する。

最高峰は北青郡との境界の大徳山(1442m)。

行政区画[編集]

1邑・3労働者区・21里を管轄する。

  • 利原邑(リウォヌプ)
  • 羅興労働者区(ラフンロドンジャグ)
  • 遮湖労働者区(チャホロドンジャグ)
  • 滑石労働者区(ファルソンロドンジャグ)
  • 谷口里(コックリ)
  • 穀倉里(コクチャンリ)
  • 旧邑里(クウムリ)
  • 奇巌里(キアムリ)
  • 多宝里(タボリ)
  • 大徳里(テドンリ)
  • 龍北里(リョンブンリ)
  • 栗枝里(リュルチリ)
  • 文仰里(ムナンリ)
  • 城谷里(ソンゴンリ)
  • 松洞里(ソンドンリ)
  • 松亭里(ソンジョンリ)
  • 塩城里(ヨムソンリ)
  • 院四里(ウォンサリ)
  • 楡城里(ユソンリ)
  • 場築里(チャンチュンリ)
  • 中坪里(チュンピョンリ)
  • 清山里(チョンサンリ)
  • 豊岩里(プンアムリ)
  • 学士台里(ハクサデリ)
  • 荷田里(ハジョンリ)

歴史[編集]

古くは南沃沮高句麗の領域であった。新羅真興王はこの地域までを領域に収め、磨雲嶺碑を立てた。その後は渤海女真に属した。高麗が領域に収めたのち、1258年にの支配下に入り、以後100年近くにわたって双城総管府に属した。時利と呼ばれていたこの地は、1356年に高麗によって端川に編入された。

朝鮮王朝世宗代、磨雲嶺以南が分割されて利城県が設置された。18世紀末の正祖代に、王の姓諱と類似の音となることを避け、利原県と改められた。

1895年には利原郡となり、1914年の行政区画改変によって現在の郡の範囲がほぼ定まった。1945年8月15日時点では、3面78里から構成されていた。

北朝鮮成立後の1952年12月に行われた行政区画の再編が行われ、22里から構成される現在の利原郡となった。

年表[編集]

この節の出典[1]

  • 1914年4月1日 - 郡面併合により、咸鏡南道利原郡に以下の面が成立。(3面)
    • 西面・東面・南面
  • 1930年 - 西面が利原邑に昇格。(1邑2面)
  • 1941年4月1日 - 南面の一部が分立し、遮湖邑が発足。(2邑2面)
  • 1943年 - 南面が遮湖邑に編入。(2邑1面)
  • 1945年 (4面)
    • 利原邑が西面に降格。
    • 東面が利原面に改称。
    • 遮湖邑が分割され、遮湖面・南松面が発足。
  • 1952年12月 - 郡面里統廃合により、咸鏡南道利原郡利原面・西面・南松面・遮湖面をもって、利原郡を設置。利原郡に以下の邑・労働者区・里が成立。(1邑2労働者区20里)
    • 利原邑・場築里・清山里・大徳里・城谷里・豊岩里・学士台里・谷口里・旧邑里・龍北里・荷田里・松洞里・文仰里・院四里・穀倉里・松亭里・塩城里・多宝里・中坪里・五一里・遮湖労働者区・鯨浦労働者区・楡城里
  • 1954年 (1邑2労働者区19里)
    • 五一里の一部が分立し、羅興労働者区が発足。
    • 五一里の残部・遮湖労働者区の一部が中坪里に編入。
    • 鯨浦労働者区が遮湖労働者区に編入。
  • 1974年5月 - 端川郡奇巌里・龍興里・元山里を編入。(1邑2労働者区22里)
  • 1981年2月 - 龍興里・元山里が端川郡に編入。(1邑2労働者区20里)
  • 1991年 (1邑3労働者区21里)
    • 穀倉里の一部が分立し、栗枝里が発足。
    • 羅興労働者区の一部が分立し、滑石労働者区が発足。

産業[編集]

郡南部の遮湖労働者区には、東洋有数の赤鉄鉱鉱山である利原鉱山があり、鉱業・製鉄業が行われている。

交通[編集]

鉄道[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]