松平重吉
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| 時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
|---|---|
| 生誕 | 明応7年(1498年) |
| 死没 | 天正8年8月27日(1580年10月5日) |
| 別名 | 通称:二郎右衛門 |
| 戒名 | 覚了院殿華室浄久大居士[1] |
| 主君 | 徳川家康 |
| 氏族 | 能見松平家 |
| 父母 | 父:松平重親 |
| 兄弟 | 松平玄鉄(重玄)、重吉 |
| 妻 | 松平親長娘 |
| 子 | 重利、重勝、松平氏、倉橋政範室 |
松平 重吉(まつだいら しげよし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。能見松平家3代当主。
生涯
[編集]永禄元年(1558年)、主君・今川氏に背いた鈴木重辰(日向守)の居城・寺部城攻めの際は松平元信(後の徳川家康)に従って功績を立てた。
三河一向一揆が起きると酒井忠尚の居城・上野城を攻め、戦功を挙げる。家康の嫡男・信康が武節・足助城攻めで初陣を飾った時は、鎧を身に付けさせる具足親となった。
系譜
[編集]脚注
[編集]- ^ 『万年記 : 豊後国国東郡竹田津村庄屋記録 自文化三年至明治二十一年』国見町、1989年、p.19。