松平重吉

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松平 重吉(まつだいら しげよし、明応7年(1498年 - 天正8年8月27日1580年10月5日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将能見松平家当主。通称は二郎右衛門。松平重親の次男。松平玄鉄(重玄)は兄。室は松平親長女。子に松平重利松平重勝、娘(石川康正室、後に松平康親室)、娘(倉橋政範室)。

永禄元年(1558年)、主君・今川氏に背いた鈴木日向守の居城・寺部城攻めの際は松平元信(後の徳川家康)に従って功績を立てた。三河一向一揆が起きると酒井忠尚の居城・上野城を攻め、戦功を挙げる。家康の嫡男・信康が武節・足助城攻めで初陣を飾った時は、鎧を身に付けさせる具足親となった。天正8年(1580年)死去、享年82。