寺部城

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寺部城
愛知県
寺部城址(2011年4月)
寺部城址(2011年4月)
城郭構造 平城
天守構造 なし
築城主 鈴木重時
築城年 文明年間
主な城主 鈴木重教鈴木重政など寺部鈴木氏
本多氏田中吉政渡辺氏
廃城年 不明
遺構 曲輪、土塁、堀、碑、移築城門
指定文化財 市指定史跡[1]
位置 北緯35度5分45秒
東経137度10分16秒

寺部城(てらべじょう)は、現在の愛知県豊田市寺部町にあった日本の城平城)。

歴史[編集]

寺部城は、文明年間(1469-1487年)に鈴木重時(下野守)によって築かれた。寺部鈴木氏は、寺部城を本拠に高橋庄東部を支配して、同地域に勢力を拡大しようとする松平氏と対立した。

天文2年(1533年)には岩津城愛知県岡崎市岩津町)外で、鈴木重教松平清康と戦うなどしていたが、三河に進出した今川義元に服属。しかし織田信長が台頭すると織田氏側に付いて離反したため、今川勢に攻められ、永禄元年(1558年)には鈴木重辰松平重吉元信と戦うなど、松平氏との攻防を繰り返した。重教の子重政は、今川氏に服属するが、桶狭間の戦い以後の今川氏の退潮に伴って没落。

城は、永禄9年(1566年)、織田氏の重臣佐久間信盛によって攻められ落城した。寺部鈴木氏は松平氏の臣下となった。

その後、慶長15年(1618年)に尾張徳川家家老渡辺守綱が寺部に入封し、一万四千石を領した。守綱は、寺部城址に陣屋を構えて、以後渡辺氏が代々相続して明治時代まで至った。河内国伯太藩の大名渡辺家は分家にあたる。

現在[編集]

現在の城址は、寺部城址の森公園となっている。陣屋門が移築現存している。また、書院・又日亭は、豊田市内の七州城(挙母城)敷地内に移設復元されている。

脚注[編集]

  1. ^ 指定・登録文化財一覧 史跡”. 豊田市. 2013年3月21日閲覧。

関連項目[編集]