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村上一治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
村上 一治
1956年
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県
生年月日 (1917-03-22) 1917年3月22日
没年月日 (1965-09-16) 1965年9月16日(48歳没)
身長
体重
170 cm
69 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 一塁手
プロ入り 1941年
初出場 1941年
最終出場 1954年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
  • 南海ホークス (1956 - 1958)

村上 一治(むらかみ かずはる、1917年3月22日 - 1965年9月16日[1])は、愛知県出身のプロ野球選手一塁手)。 南海軍に在籍した。

来歴・人物

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東邦商では4番バッターとして活躍。1934年第11回選抜中等学校野球大会では決勝の浪華商戦で延長10回裏に相手投手納家米吉からサヨナラ二塁打を打ち優勝。東邦商は甲子園初出場で初優勝を飾った。 東邦商を卒業後は法政大学野球部へと進んだ。大学でも主軸として活躍。プロ通算最多勝利監督の鶴岡一人は1学年先輩に当たる。

1941年南海軍に入団。ルーキーながら5番一塁手として開幕レギュラーの座を掴むも、その後大きな実績を残すことは出来ずレギュラー定着にはいたらなかった。1942年シーズン初頭に応召され、一時はプロを離れるも1949年に復帰。1955年に引退後、1956年から1958年までコーチを務めた[2]

1965年9月16日に、48歳で死去。

詳細情報

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年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1941 南海
グレートリング
南海
843713182461110072289--1--50--223--.192.305.226.531
1942 6252227201123101--2--01--.318.375.545.920
1949 1313130510062000--0--02--.385.385.462.987
1950 4558563143032617000--2--042.250.276.464.720
1951 2844412600066100--2--131.146.205.146.351
1952 2223190200024000--3--112.105.261.105.366
1953 1515150500055000--0--051.333.333.333.666
1954 121210020002200011--010.200.250.200.450
通算:9年 225561494311021704131671102160--4406.206.297.265.562
  • 南海(南海軍)は、1944年途中に近畿日本(近畿日本軍)に、1946年にグレートリングに、1947年途中に南海(南海ホークス)に球団名を変更

背番号

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  • 5 (1941年 - 1942年)
  • 26 (1949年 - 1955年)
  • 61 (1956年 - 1958年)

脚注

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  1. 日本野球機構『日本プロ野球記録大百科 2004』(ベースボールマガジン社、2004年)1450頁。
  2. 別冊週刊ベースボール冬季号『さらば!南海ホークス』(ベースボールマガジン社、1988年)133 - 134頁。

関連項目

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