納家米吉

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納家 米吉
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府
生年月日 (1914-07-15) 1914年7月15日
没年月日 (1941-04-03) 1941年4月3日(26歳没)
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手外野手
プロ入り 1938年
初出場 1938年8月27日[1]
最終出場 1938年11月1日[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

納家 米吉(なや よねきち、1914年7月15日 - 1941年4月3日)は、大阪府出身のプロ野球選手投手外野手)。

来歴・人物[編集]

1914年に大阪府で生まれた。浪華商時代は甲子園に合計4度出場(第9回選抜中等学校野球大会第10回選抜中等学校野球大会第19回全国中等学校優勝野球大会第11回選抜中等学校野球大会)。昭和9年春の選抜では準決勝で享栄商近藤金光と二日間にわたる投げ合いの末4対2で下し、同校初の決勝進出。決勝戦では東邦商(現・東邦高校)の立谷投手との投手戦となり、0対0のまま延長戦に突入。延長10回自らのランニング本塁打で先制するも、走塁の疲れで裏に2点を奪われサヨナラ負けを喫した。この大会で納家は本塁打賞・優秀選手賞・ファインプレー賞を受賞した。

浪華商を卒業後は法政大学野球部へ進学。1938年秋季シーズンに南海軍へ入団するも9試合に出場したのみで、間もなく兵役で戦地に赴くことになった。1941年インドネシアバターンで戦死。享年26。

東京ドーム敷地内にある鎮魂の碑にその名が刻まれている[2]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1938 南海 9 23 21 1 2 0 0 0 2 0 0 -- 0 -- 2 -- 0 7 -- .095 .--- .095 .---
通算:1年 9 23 21 1 2 0 0 0 2 0 0 -- 0 -- 2 -- 0 7 -- .095 .--- .095 .---

背番号[編集]

  • 8 (1938年)

脚注[編集]

関連項目[編集]