斎藤寿雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

斎藤 寿雄(さいとう としお、1846年3月7日弘化3年2月10日[1] - 1938年昭和13年)2月17日[2])は、日本政治家衆議院議員(3期)。

経歴[編集]

群馬県出身[2]。医師となる。小幡村(現・甘楽町)議、北甘楽郡議、群馬県議、北甘楽郡立病院副院長、郡衛生会頭、同教育会長、群馬県医師会長、医師購買組合理事長、信用販売生産購買組合長となる[2]

1898年第6回衆議院議員総選挙において群馬5区から憲政党公認で立候補して当選する[3]1904年第7回衆議院議員総選挙は不出馬。時をおいて1912年第11回衆議院議員総選挙では群馬県郡部から立憲政友会公認で立候補したが落選[4]1915年第12回衆議院議員総選挙でも落選[5]1917年第13回衆議院議員総選挙で復帰した[6]1920年第14回衆議院議員総選挙では群馬5区から立候補して3回目の当選を果たした[7]1924年第15回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。1938年死去。

脚注[編集]

  1. ^ 衆議院『第三十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1917年、8頁。
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』285頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』30頁。
  4. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』52頁。
  5. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』56頁
  6. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』60頁。
  7. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』85頁。

参考文献[編集]

  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。