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敷紡前駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
敷紡前駅
しきぼうまえ
Shikibōmae
(1.2 km) 地鉄笹津
地図
所在地 富山県上新川郡大沢野町
(現・富山市)西大沢
北緯36度34分20.7秒 東経137度12分41.2秒 / 北緯36.572417度 東経137.211444度 / 36.572417; 137.211444座標: 北緯36度34分20.7秒 東経137度12分41.2秒 / 北緯36.572417度 東経137.211444度 / 36.572417; 137.211444
所属事業者 富山地方鉄道
所属路線 笹津線
キロ程 11.2 km(南富山起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1953年昭和28年)2月1日
廃止年月日 1975年(昭和50年)4月1日
備考 笹津線廃線に伴い廃駅
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敷紡前駅(しきぼうまええき)は、富山県上新川郡大沢野町(現・富山市)西大沢にあった富山地方鉄道笹津線廃駅)である。笹津線の廃線に伴い1975年昭和50年)4月1日に廃駅となった。

1969年(昭和44年)8月30日から廃止時まで、朝夕1往復ずつ運行されていた急行列車の停車駅であった[1]

歴史

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1952年(昭和27年)8月に笹津線の大久保町駅 - 地鉄笹津駅間が開業すると同時に開設を予定していた。しかし立ち退きが必要な土地や家屋の所有者と交渉がまとまらず、路線開業直後は隣接駅の駅名標に示されているものの駅はなく、一方で当駅の駅名標は敷島紡信号場近くの草原に打ち捨てられている、という異様な状況となっていた[2]

年表

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駅構造

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廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった[1]。ホームは線路の西側(地鉄笹津方面に向かって右手側)に存在した[1]転轍機を持たない棒線駅となっていた[1]

無人駅となっていた[1]。駅舎は無いがホーム中央部分に片流れ屋根の待合所を有していた[7]

駅周辺

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敷島紡績の工場の前に位置した[1]

駅跡

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1998年(平成10年)時点では、ホーム擁壁の一部が残存し、駅にあったの老木も残っていた[8]。2007年(平成19年)9月時点[9]、2008年(平成20年)時点[10]、2009年(平成21年)11月時点でも同様であった[4]

また、当駅跡附近の線路跡は、1998年(平成10年)時点では大沢野町八木山駅跡から当駅跡を含む部分がサイクリングロードに転用されていた[8]。サイクリングロードは国道41号を横断する部分まで続いていた[8]。2008年(平成20年)時点でも同様であった[10]。このサイクリングロードは道床をそのまま転用したような感じの[9]、鉄道の雰囲気が感じられるものであった[4]

隣の駅

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富山地方鉄道
笹津線
大沢野町八木山駅 - 敷紡前駅 - (敷島紡信号場) - 地鉄笹津駅

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 書籍『RM LIBRARY 107 富山地鉄笹津・射水線』(著:服部重敬、ネコ・パブリッシング2008年7月発行)25,28-29ページより。
  2. ^ 「驛名板を草原に放置 地鉄線の誘致合戰の余波」『北日本新聞』昭和27年9月16日付6面。
  3. ^ a b 書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 6 北信越』(監修:今尾恵介新潮社2008年10月発行)38ページより。
  4. ^ a b c d e 書籍『新 消えた轍 7 北陸』(著:寺田裕一、ネコ・パブリッシング2010年12月発行)43-45,47ページより。
  5. ^ a b c 書籍『私鉄の廃線跡を歩くIII 北陸・上越・近畿編』(著:寺田裕一、JTBパブリッシング、2008年5月発行)165ページより。
  6. ^ a b 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く3 北陸・信州・東海編』(JTBパブリッシング2010年4月発行)211ページより。
  7. ^ 書籍『鉄道の記憶』(編著:草卓人、桂書房2006年2月発行)301ページより。
  8. ^ a b c 書籍『鉄道廃線跡を歩くV』(JTBパブリッシング1998年6月発行)81ページより。
  9. ^ a b 書籍『私鉄の廃線跡を歩くIII 北陸・上越・近畿編』(著:寺田裕一、JTBパブリッシング、2008年5月発行)80-83ページより。
  10. ^ a b 書籍『富山廃線紀行』(著:草卓人、桂書房2008年7月発行)83ページより。

関連項目

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