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徳山昌守

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徳山昌守
基本情報
本名 ホン・チャンス
階級 スーパーフライ級
国籍 北朝鮮
誕生日 1974年9月17日
出身地 日本国東京都大田区
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 36
勝ち 32
KO勝ち 8
敗け 3
引き分け 1
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ホン・チャンス
ローマ字転写 Hong Chang Su
ハングル表記 홍창수
漢字で表記する場合 洪昌守
片仮名転写 ホン・チャンス

徳山昌守(とくやま まさもり、1974年9月17日 - )は、日本のジムに所属するプロボクシング選手、元WBC世界スーパーフライ級チャンピオン。国籍朝鮮籍称号朝鮮民主主義人民共和国労力英雄・人民体育人、勲章は国旗勲章第1級。東京都大田区出身。本名は洪昌守(ホン・チャンス)。在日コリアン3世で、東京朝鮮高級学校出身。ヴァーテックス所属。

少年の時、空手を習っており、ボクシングでの間合いは空手で身に付けた。 長いリーチを生かしたワンツーと左ジャブを駆使し、右ストレートのカウンターを武器とする右ボクサータイプの選手。

入場曲は主に「海岸砲兵の歌」(北朝鮮の軍歌)だが、時々B'zの曲(「juice」等)を使う。

亀田興毅との対戦を熱望していたが、当時徳山が保持していたスーパーフライ級王座の挑戦者に指名したこともあったが、亀田は「(徳山が)フライ級に下げてきたら何時でも戦う」と発言。

しかし、徳山の体格的にフライ級まで減量するのは事実上不可能であるため、両者の試合が実現することは無かった。

来歴

  • 1994年9月グリーンツダジムからプロデビュー。
  • 1996年2月、全日本フライ級新人王獲得。その後、金沢ジムに移籍。移籍後、日本フライ級王座に2度挑戦するも、いずれも失敗に終わる。
  • 1998年12月、グリーンツダジム時代の先輩に当たる元世界2階級王者井岡弘樹を5回TKOに降し、世界ランク入り(なお、井岡はこの試合を最後に現役を引退)。
  • 1999年9月東洋太平洋スーパー・フライ級王座獲得。その後、2度の防衛に成功する。
  • 2000年8月27日、世界初挑戦。WBC世界スーパーフライ級王者曹仁柱韓国)に挑み、12回判定勝ち。王座奪取に成功する。その後、8度の防衛に成功。
  • 2004年6月28日、9度目の防衛戦で川嶋勝重によもやの1回1分47秒TKO負けを喫し、遂に王座から陥落。
  • 2005年7月18日、1年以上のブランクを経て、再起第1戦でいきなりの世界再挑戦。川嶋と3度目の対決となったこの試合は最終回にダウンこそ奪われるものの、文句なしの判定勝ち。前年の雪辱に成功し、王座奪還。
  • 2006年2月27日ホセ・ナバーロ米国)を12回判定に降し、初防衛に成功。試合後、王座返上を表明。試合前当初はこの試合を最後に引退することを表明していたものの、直前になり階級を上げての現役続行の可能性を示唆。今後は階級を上げての現役続行か引退のどちらかを選択する予定であると言われていたが、記者会見にてWBCバンタム級王者の長谷川穂積として限定した上で、王座は返上し現役続行を表明。
  • 2007年3月14日日本ボクシングコミッションに引退届けを提出。長谷川との対戦が実現しなかったことと、2005年の川嶋戦以降消失したモチベーションの喪失が現役引退の理由だと語っている。
引退届けを提出した徳山は「考え続けた引退届。自分の中ではずっと前から答えは出ていたが、自分の考えだけでは(進退を)決めることができなかった。(引退した)今はスッキリしている。将来はジムを開いて選手を育てていきたい」とコメントしている。

プロ生涯戦績36戦32勝(8KO)3敗1分

在日3世洪昌守としての徳山

一世代前までの在日コリアンは、「通名を通し、在日コリアンであることをひた隠しにする人」と「本名を名乗り、コリアンだと明言する人」に二極化する傾向にあった。しかし、徳山は通名(徳山昌守)を通しつつ、出自と本名(在日朝鮮人・洪昌守)を隠さない。

また、リング上で統一旗を振ったり、トランクスに「ワン・コリア」と刺繍するなどの徳山の政治パフォーマンスが、コリアンにおける旧来の対立構図、すなわち「北朝鮮 vs 大韓民国」、あるいは「コリアン vs 日本人」を越えているなどという主張がある。これらをもって、徳山を新世代の在日コリアンにおける象徴的存在として支持するファンもいる一方で、「スポーツに政治を持ち込んでいる」と批判的に見る人もいる。

2001年に北朝鮮を訪問した際『自分を世界のプロボクシング界の王者に育ててくれた敬愛する金正日将軍に、勝利と忠誠の報告をするために祖国を訪問した。祖国は自分の人生のすべてであり、祖国を愛する自分の拳は、敬愛する金正日将軍が鉄拳にまで育ててくれた祖国の拳である』などの発言をした。[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。

前述したことに加え、2002年9月17日小泉純一郎首相の北朝鮮訪問をきっかけに、北朝鮮による拉致事件に関する話題が日本の各メディアによって過熱報道された。この際、徳山も自身のホームページの掲示板に「犯罪者」あるいは「金正日を崇拝するならさっさと北へ帰れ」などと嫌がらせの書き込みが頻発し、一時閉鎖に追い込まれた経緯がある。「徳山がテレビ番組で、拉致被害者について『北朝鮮で結構ハッピーに暮らしてるかも知れない』と発言した」という怪情報も原因となった。

雑学

獲得タイトル

  • 西日本ライト・フライ級新人王
  • 全日本ライト・フライ級新人王
  • OPBF東洋太平洋スーパー・フライ級王座(防衛2=返上)
  • WBC世界スーパー・フライ級王座(防衛8)
  • WBC世界スーパー・フライ級王座(防衛1=返上)

関連記事

外部リンク

前王者
曹仁柱
第16代WBC世界スーパーフライ級王者

2000年8月27日 - 2004年6月28日

次王者
川嶋勝重
前王者
川嶋勝重
第18代WBC世界スーパーフライ級王者

2005年6月27日 - 2006年返上

次王者
クリスチャン・ミハレス