富士銀行行員顧客殺人事件

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富士銀行行員顧客殺人事件
場所 日本の旗 日本埼玉県南埼玉郡宮代町
標的 自行の顧客
日付 1998年(平成10年)7月12日
攻撃手段 絞殺
死亡者 2名(民間人夫妻)
犯人 O・T
動機 不正貸付の発覚を防ぐため
対処 逮捕(無期懲役判決)
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富士銀行行員顧客殺人事件(ふじぎんこうこういんこきゃくさつじんじけん)とは、1998年7月2日埼玉県南埼玉郡宮代町で発生した殺人事件。

富士銀行の現役銀行員が自行の顧客を殺害した事件として注目された。

埼玉県春日部市にある富士銀行(現・みずほ銀行)春日部支店[注釈 1]の行員だったO・T(当時32歳。以下「O」と表記)は、老夫婦AとBの担当だった。夫妻はいつも顔を見せてくれるOを懇意にし、定期預金の運用をOに任せていた。Oは夫妻から預かった金を別の運送業者へ融資するという不正な「浮貸し」を行ったが、2,500万円の債務を負ったため、発覚を恐れて夫妻を殺害した[2]

事件の経過[編集]

事件の10年前となる1988年、夫妻は東京都区部の土地を売却して宮代町へ移住。その際に富士銀行との取引を開始した。折からのバブル景気で都内の地価は上昇しており、土地の売却益1億円のうち5,000万円を老後資金として同行へ貯金した。翌1989年にOが同行へ入行[3]。春日部支店へ赴任して夫妻の担当となり、以来10年の付き合いで、夫妻はOを信頼して定期預金の運用を任せていた[4]。夫妻はともに身体障害を持っており、マッサージ師の夫A(当時74歳)は全盲で、妻B(当時67歳)は背骨に障害があった[4]

事件前年の1997年バブル崩壊により銀行の貸し渋りが強まる中、Oは春日部市内の運送業者から融資を求められたが、業者は同行の融資基準を満たしておらず、板挟みとなっていた。そこでOは「半年ものの特別に有利な定期預金が出ました」と言って老夫婦を騙し、預金通帳と印鑑を預かって夫妻の定期預金5,700万円を引き出し、銀行を通さずに運送業者など2社に融資する「浮貸し」を行った[4]

しかしその後、運送業者は倒産して融資は回収不能となり、Oは2,500万円の債務を負うことになる。Oは名刺の裏に、夫妻から預かった金を「1998年7月2日に持参します」と自分の名刺の裏に書いて渡したものの、返済の当てはなかった。そして返済期日前日の1998年7月1日、Oは富士銀行から本店融資部への栄転の内示を受ける。異動により「浮貸し」が発覚することを恐れて、Oは夫妻の殺害を決意するに至った[4]

1998年7月2日の午前11時頃、Oは夫妻宅を訪れて「転勤が決まりました」と挨拶した後、妻Bに「最後の親孝行と思って肩をもませて下さい」と声をかけ、肩をもむふりをして絞殺。そして妻の異変に気付きうろたえる全盲の夫を口封じのため絞殺。夫妻宅にあった返済日を裏書きして渡した自分の名刺を奪って去った[2]。Oは逃走の際に、証拠隠滅のためガスの元栓を開けて放火しようとしたが、ガス栓の安全装置が作動して失敗したため、強盗の犯行に見せかけるため室内を荒らして行った[4]

逮捕と裁判[編集]

同1998年7月4日朝、AとBの遺体が発見された[2]埼玉県警察捜査の結果、同年7月8日にOが犯行を自供したため逮捕された[2]

Oは強盗殺人罪起訴された。Oの起訴を受け、富士銀行は橋本徹会長、山本惠朗頭取ら全代表取締役16名の減俸3ヶ月、支店管掌副頭取の専務への降格、O勤務当時の支店長の降格処分を発表した[5]

公判では、Oは殺人については認めたが強盗は否認し、弁護人も強盗殺人罪ではなく殺人罪の成立を主張した。一審の浦和地方裁判所須田贒裁判長)は1999年9月、検察死刑求刑に対し、強盗殺人罪の成立を認定し、「無抵抗の老夫婦を殺害した残虐非道な犯行」「動機に酌量の余地は全くない」などとOを厳しく非難したものの、「名刺の強取及び、債務を免れる意図について、利欲性はそれほど高いものではなく、一攫千金を狙った強盗殺人の事案と本件とを同列に論じることは相当でない」「犯行は計画的であったが周到ではなく、ためらいも感じていた」「長期間にわたる特殊な経緯からすれば、本件犯行の模倣性・伝播性は大きいとはいえない」「反省悔悟の念を深めており、前科前歴がない」「富士銀行が遺族に相当高額の金品を支払う調停が成立している」[6]などとして、Oに無期懲役判決を言い渡した[7]

検察側は死刑求刑が受け入れられなかったことを不服として控訴したが、二審の東京高等裁判所高橋省吾裁判長)は2000年12月にこれを棄却[8]、検察が上告を行わなかったため、Oの無期懲役が確定した[9]

報道[編集]

この事件が発覚した当時は、一部のマスメディアにおいて、Oの学歴出自に犯行の要因を求めるような報道もなされた。

朝日新聞出版AERA』1998年7月27日号では、「バブル全盛期である1989年から数年間、銀行証券会社など金融機関は大量採用を続け、東大やその他旧帝大早稲田慶應からしか採用していなかった政府系銀行が中堅私立大学からの採用を始め[注釈 2]、驚きをもって迎えられていた時期だった[3]。」と述べた上で、「都市銀行各行はバブル入行組の質の低い余剰行員を『人材の不良債権』と呼び、処遇に頭を抱えていた[3]。」「Oはそうしたバブル採用組の一人として、1989年に五百余名の同期と共に富士銀行に入行した[3]。」として、あたかも地方の中堅私立大学出身で、スポーツ推薦により入行したOの学歴が犯行の要因であったかのような報道を行った。またOの実家がいわゆるエリート家庭ではなく、中卒の父親が運送会社の従業員であったことを、Oの「浮貸し」行為に結びつけるような報道もされた。

事件から約20年後、2017年9月14日放送のフジテレビアンビリバボー』で、この事件について取り上げられた。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 春日部市内のみずほ銀行は、春日部駅西口の春日部支店(店番223)が現存する[1]
  2. ^ ただし富士銀行は民間銀行であり、政府系金融機関ではない。

出典[編集]

  1. ^ 春日部支店 みずほ銀行
  2. ^ a b c d 「宮代町の夫婦殺害で富士銀行員逮捕 預かった千数百万流用/埼玉県警」読売新聞、1998年7月9日、東京朝刊 社会、39頁
  3. ^ a b c d AERA』1998年7月27日号、朝日新聞出版
  4. ^ a b c d e フジテレビアンビリバボー』、2017年9月14日放送
  5. ^ 「富士銀会長ら減俸処分に 元行員、強殺で起訴」『朝日新聞』1998年7月30日
  6. ^ 浦和地方裁判所の判決
  7. ^ 「宮代の強盗殺人 元富士行員に無期判決『卑劣かつ冷酷』法廷で遺族号泣=埼玉」読売新聞、1999年9月30日、東京朝刊 埼玉南、32頁
  8. ^ 「埼玉の老夫婦殺害事件 元行員に無期支持/東京高裁」読売新聞、2000年12月20日、東京夕刊 夕2社、14頁
  9. ^ 「宮代の夫婦殺害 元行員に無期懲役が確定=埼玉」読売新聞、2001年1月6日、東京朝刊 埼玉南 32頁

関連項目[編集]