宮崎輝

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宮崎輝(みやざき かがやき、1909年(明治42年)4月19日 - 1992年(平成4年)4月17日)は、昭和平成期の企業経営者。旭化成中興の祖と言われた。

来歴・人物[編集]

長崎県南高来郡山田村(現・雲仙市吾妻町)出身。長崎県立島原中学校第五高等学校を経て東京帝国大学法学部英法科卒業。旭ベンベルグ絹糸(後の旭化成工業、現・旭化成)に入社。

同社で総務課長、東京事務所長、常務取締役、専務取締役を経て1961年(昭和36年)7月に片岡武修の病気により旭化成工業代表取締役社長に就任。その間、日米繊維交渉では日本化学繊維協会会長として業界側代表として楠岡豪通産省の現場らと連携。1985年(昭和60年)6月、死去まで同社代表取締役会長。この間、1981年(昭和56年)から1983年(昭和58年)まで第二次臨時行政調査会委員を務めた。1992年(平成4年)4月17日、国内出張中に急逝。享年82。従三位勲一等瑞宝章。吾妻町名誉町民及び延岡市名誉市民。

宮崎の死去後、会長職は山口信夫が引き継いだ。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 「宮﨑輝追想録」(1994年、旭化成工業株式会社刊)ISBNなし