宮崎県民歌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
宮崎県民歌(2代目)

県民歌の対象
Flag of Miyazaki Prefecture.svg 宮崎県

作詞 酒井祐春
作曲 飯田信夫
採用時期 1964年6月30日
言語 日本語
テンプレートを表示

宮崎県民歌」(みやざきけんみんか)は日本都道府県の一つ、宮崎県県民歌である。同名の曲が2曲存在する。

  1. 1934年昭和9年)発表。作詞・桑原節次、作曲・古関裕而、編曲・奥山貞吉
  2. 1964年(昭和39年)制定。作詞・酒井祐春、作曲・飯田信夫

現在の県民歌は2.である。1.は2.の制定に伴い廃止された。

宮崎県民歌(現行)[編集]

宮崎県 県民歌
立川澄人 / 大谷冽子シングル
B面 宮崎県 県民歌行進曲
リリース
規格 シングルレコード
ジャンル 都道府県民歌
レーベル ビクターレコード(PRB-5021)
作詞・作曲 作詞:酒井祐春
作曲:飯田信夫
テンプレートを表示

1963年(昭和38年)に宮崎県再置80周年を記念して1934年制定の旧県民歌に代わる新しい県民歌を制定することになり、歌詞の公募を実施した。362点(県内247点、県外115点)の応募があり、日南市在住の酒井祐春(当時35歳)の作品が採用され[1]、飯田信夫が県の依頼により作曲を手掛け、制定された。

翌1964年6月30日宮崎市の宮崎県公会堂で歌手の立川澄人大谷冽子を招いて発表会が行われた[2]ビクターレコードから発売されたシングル盤では「宮崎県 県民歌」との表題が使用されている。B面収録曲はインストゥルメンタル行進曲バージョン「宮崎県 県民歌行進曲」。

現在は県が主催する競技会で演奏される他、県内の公立小中学校の授業で歌唱指導を行っている[1]2014年平成26年)、制定50周年を記念して宮崎駅発車メロディに採用された[3]

作詞者[編集]

現行「宮崎県民歌」作詞者の酒井 祐春(さかい すけはる、1928年 - 1998年10月15日[4])は、日南市出身で小売業を営んでいた。

入選後は作詞分野で目立った業績を残していないが、宮崎日日新聞の「窓」欄では頻繁に投書が採用されていた。1998年(平成10年)10月15日死去。享年71(満70歳没)[4]

宮崎県民歌(初代)[編集]

宮崎県民歌
中野忠晴 / 伊藤久男シングル
B面 行進曲「宮崎県民歌」
リリース
規格 SPレコード
ジャンル 都道府県民歌
レーベル 日本コロムビア(28061)
作詞・作曲 作詞:桑原節次
作曲:古関裕而
編曲:奥山貞吉
テンプレートを表示

初代の宮崎県民歌は神武東遷2600年記念行事の一環として宮崎県と大阪毎日新聞宮崎支局が合同で歌詞を公募し、郷土史家の桑原節次(1872年 - 1954年)が応募した作品が一等入選として採用された[5]。作曲は依頼により古関裕而が行い、中野忠晴の歌唱により日本コロムビアからSPレコードが発売されている[6]。B面収録曲は奥山貞吉の編曲により伊藤久男が歌唱する行進曲バージョンである。

歌詞の内容から1945年(昭和20年)の太平洋戦争終結後は演奏が控えられるようになり、1964年の現行県民歌制定をもって廃止された。

歌詞[編集]

初代宮崎県民歌の歌詞は著作権の保護期間を満了し、2005年(平成17年)1月1日よりパブリックドメインとなっている。曲は日本コロムビアの管理楽曲であり、演奏に際しては専属開放申請が必要である。

一、
亜細亜あじあひがし蜻蜒洲あきつしま
さんたるあさひ 直射たださせる
ここ建国けんこくの 発祥地はっしょうち
悠久二千六百年ゆうきゅうにせんろっぴゃくねん


二、

白雲しろくもなびく やまさち
黒潮くろしおよする うみさち
千里せんり沃野よくや 天恵てんけい
無尽むじん宝庫ほうこ 日向ひゅうが


三、

とり黎明れいめいを げわたり
こま原頭げんとういななけり
いざ更生こうせいの 意気高いきたか
祖国そこくほまれあらはさん

脚注[編集]

  1. ^ a b 中山裕一郎 監修『全国 都道府県の歌・市の歌』(東京堂出版2012年ISBN 978-4-490-20803-0 、410ページ。
  2. ^ 「県民歌」が決まるまで
  3. ^ 九州で初! 県民歌の流れる駅が誕生! 〜宮崎駅構内に県民歌が流れます〜
  4. ^ a b 宮崎日日新聞、1998年10月17日付29面おくやみ欄。
  5. ^ 『宮崎県大百科事典』(宮崎日日新聞社1983年)、879ページ。
  6. ^ 中野忠晴、リズム・ボーイズ、リズム・シスターズ戦前リスト(中野忠晴の功績とその評価 ――主に戦前期から――)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]