宮崎東映劇場

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宮崎東映劇場
Miyazaki Toei Theater
宮崎東映劇場(1955年頃)[1]
地図
情報
正式名称 宮崎東映劇場
開館 1951年7月
閉館 1999年1月17日
客席数 180席
用途 映画上映
運営 九州東映事業
所在地 880-0002
宮崎県宮崎市中央通3-47 東洋ビル4階・5階
位置 北緯31度54分56.6秒 東経131度25分17.9秒 / 北緯31.915722度 東経131.421639度 / 31.915722; 131.421639 (宮崎東映劇場)座標: 北緯31度54分56.6秒 東経131度25分17.9秒 / 北緯31.915722度 東経131.421639度 / 31.915722; 131.421639 (宮崎東映劇場)
最寄駅 宮崎駅
最寄バス停 宮崎交通バス「橘通3丁目」停留所
国道220号沿い)
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宮崎東映劇場(みやざきとうえいげきじょう)は、かつて宮崎県宮崎市中央通3丁目にあった東映系列の映画館。東映の子会社である九州東映事業が運営していた[2]1951年昭和26年)7月に開館し、1993年平成5年)に移転。1999年(平成11年)1月17日に閉館した。

閉館後の2代目施設跡地に入居していた「宮崎マジソン・シアター」(みやざきマジソン・シアター、「マジソン劇場」とも)についても本項で述べる。

データ[編集]

所在地
(宮崎県宮崎市)
現況 備考
初代 中央通6丁目2番地 ウエストビルⅠ
(商業施設ビル)
開館当時の住所は黒迫町1丁目55。
2代目 中央通3丁目47
中めがね東洋ビル4階
観客定員数:180人。

沿革[編集]

宮崎東映劇場[編集]

1951年昭和26年)7月、宮崎市黒迫町1丁目55番地に「宮崎劇場」として設立・開業したのが最初で[注 1]、1954年頃に東映の直営館となり、宮崎東映劇場と改称する[2]。全国の映画館数がピークに達した1960年(昭和35年)当時、宮崎県内には104の映画館が存在しており、そのうち東映の名を冠した劇場は当館の他、延岡市の桜園東映、日向市の日向東映、都城市の都城東映[注 2]小林市の小林東映、日南市の日南東映、串間市の串間東映、西都市の西都東映の計8館であった[注 3]

だが15年後の1975年(昭和50年)になると、宮崎県の映画館は九州7県で最も少ない30館に減少[注 4]。その後1978年(昭和53年)に改装を行い、別館として中央通6丁目10番地に宮崎ロマン東映を新設。ロマン東映はその後東映パラスを経て宮崎ロマンとなり、成人映画の上映館へと移行する。

1993年平成5年)、宮崎東映劇場は約42年間所在していた場所での営業を終え(跡地には商業施設ビル「ウエストビルⅠ」が立地している)、中央通3丁目の東洋ビル4階に移り、180席の映画館として再出発した。同市に本店を置く「中めがね店」が所有する東洋ビルには当館の他、松竹洋画系の宮崎ピカデリーとミニシアターの宮崎シネサロンも入居していた[5]

しかし観客数の低迷による経営難を理由に、移転から6年後の1999年(平成11年)1月17日付で東映直営館としては閉館[2]。当時の支配人は異例の若さで抜擢されていた青松俊哉で、2001年(平成13年)にオープンした宮崎キネマ館の3代目支配人を務めていた[6]

宮崎マジソン・シアター[編集]

1999年(平成11年)1月23日、マジソン・エンターテイメントが経営を引き継ぎ、「宮崎マジソン・シアター」として再オープン。観客定員数も159席に減り、松竹系・東宝系を問わず新作を上映していたが、2005年(平成17年)にシネマコンプレックスセントラルシネマ宮崎がオープンすると観客数が徐々に減少し[5]、翌2006年(平成18年)にマジソン・シアターは閉館。残ったピカデリーとシネサロンも2007年(平成19年)12月21日をもって営業を終えた[5]

ピカデリーとシネサロンがあった東洋ビル5階の跡地はライブハウス「宮崎Floor/floor R」となり残存しているが、移転後の宮崎東映→マジソン・シアターがあった同ビル4階は令和改元後の2022年(令和4年)時点においても空きテナントの状況が続いている。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 宮崎市の映画館「消えた映画館の記憶」を参照した[2]
  2. ^ 現在のCINEPORT
  3. ^ 1960年の映画館(九州地方)「消えた映画館の記憶」を参照した[3]
  4. ^ 1975年の映画館(九州地方)「消えた映画館の記憶」を参照した[4]

出典[編集]

  1. ^ 『写真集 映画黄金期 小屋と名作の風景 下巻』国書刊行会、1989年。
  2. ^ a b c d 「また1つ映画館が消える 17日、宮崎東映劇場が閉館」『毎日新聞』1999年1月9日
  3. ^ 『映画年鑑 1960年版 別冊 映画便覧 1960』時事通信社、1960年。
  4. ^ 日本映画製作者連盟配給部会『映画年鑑 1975年版別冊 映画館名簿』時事映画通信社、1974年。
  5. ^ a b c 「ありがとう、宮崎シネマ・パラダイス ピカデリーとシネサロン、12月閉館」『朝日新聞』2007年10月12日
  6. ^ “宮崎キネマ館の3代目支配人に就任した 青松俊哉さん”. 宮崎日日新聞. (2016年4月2日). https://www.the-miyanichi.co.jp/hito/_18182.html 2019年10月5日閲覧。 

外部リンク[編集]