大黒島 (厚岸町)

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大黒島
大黒島の空中写真。画像上方が東側。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成(1978年)
所在地 北海道厚岸郡厚岸町
所在海域 太平洋
座標 北緯42度57分20秒 東経144度52分20秒 / 北緯42.95556度 東経144.87222度 / 42.95556; 144.87222 (大黒島)
面積 1.08 km²
最高標高 105 m
大黒島 (厚岸町)の位置(北海道内)
大黒島 (厚岸町)
大黒島 (厚岸町)の位置(日本内)
大黒島 (厚岸町)
     
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尻羽岬から撮影した大黒島。

大黒島(だいこくじま)は、日本北海道厚岸郡厚岸町に属する。以前は厚岸道立自然公園であったが2021年3月30日より「厚岸霧多布昆布森国定公園」に指定された。

概要[編集]

島の面積は1.08km2、標高は105mである。島名は、 寛政2年1790年の最上徳内の「蝦夷草紙」の付図「蝦夷・加頼多・骨奈誌利・月多六福・猟虎島写図」(蝦夷地図)に「大黒島」の名前が載っている[1]。おそらくこれが和名の「大黒島」の初出だろう。その目的は1792年に、漂流民・大黒屋光太夫を帰国させるため、ロシア使節のアダム・ラクスマンが根室に来航するのに合わせたものだと思われる。

ラクスマンは根室で松前藩の藩医・加藤肩吾の地図(1791年頃の作製で大黒島が載っている[2])を筆写したといわれているのだが[3]、その時加藤肩吾が地名を教えたと言われる。そのラクスマンの測量図(1793年)には「大黒島」の名前が載っている[4]

1791年と言えば最上徳内が蝦夷地に渡ってクナシリ、エトロフ、ウルップまで達し、帰りに厚岸に「神明宮」を建立し、「東蝦夷道中記」を著した年である。ここで加藤肩吾に地図に大黒島の名前を記入するように指示した可能性がある。最上徳内は、ロシアが千島の南下策を取って次々とロシア人が蝦夷地に現れていたことに対抗して1785年と1786年にかけ国後島、択捉島、得撫島まで出向きロシア人等に日本領土であると主張して来た。1798年には近藤重蔵と共に択捉島に「大日本恵登呂府」の標柱を建てた。

ロシアがアイヌと交易を行いこれを取り込んで植民地化してしまえば、アイヌの居住地はロシア領だ、と主張する重要な根拠になるだろう。そこで厚岸湾入り口の島にはアイヌ語名(モシリカまたはホロモシリ)を避けようという判断があって和名の「大黒島」に改名したと思われる。

最上徳内は老中・田沼意次が蝦夷調査団を派遣する際に、本田利明が弟子の最上徳内を推薦したことにより選ばれた。田沼意次の失脚によりそれに係る文書類は全て焼却されたと言われており[5]、最上徳内がその地図に大黒島の名前を書き入れた経緯は分からない。

大黒島のアイヌ語名はモシリカ、ホロモシリなどだった。モシリカ(mosir/島。  i/その。 ka/上。→「島の上」)。アイヌは漁民でもあったから、この島の上に古代からコタン(居住地)を作っていたのは間違いないだろう。それでモシリカ・コタン(島の上の居住地)を指して「モシリカ」と呼ばれていたのかもしれない。また、カ・kaには「岸」という意味もある。大黒島にある砂の崎を指してモシリカ「島の岸」と呼んでいたのかもしれない。

ホロモシリ(ポロモシリ)は「親島」という意味で、ポンモシリ「子島」(隣にある現在「小島」と呼ばれている島)に対応した名前である。

大黒島には湾月町の昆布漁師一軒が昆布漁期の間だけ滞在していたが、十数年前から行っていない。したがって無人島である。もちろん郵便が配達されることはない。自然保護の観点から勝手に上陸することも許されていない。小島の方には現在も昆布漁期だけ数件が滞在している(2022年、地元情報 )。

1960年には人口47名を数えたが、その後減少が続き1970年代前半に無人化。往時は小学校もあったが、大黒島が完全無人化する前に閉校している。校舎は1950年、厚岸町立小島中学校(1975年閉校)に移転された[6]

日本郵便から交通困難地に指定されていたが、2022年現在は非掲載[7]

大黒島と厚岸湾の自然[編集]

本島が所在する厚岸湾周辺では、暖流寒流の交流が行われるため、大量のプランクトンの発生を促し、豊かな生態系を生み出す環境が確立されている。また、暖流の影響からか水温は比較的暖かく、ダケカンバサルオガセなども見られる。近隣の仙鳳趾にある仙鳳寺には、道東では稀なが植栽されている。

オオセグロカモメアホウドリ科など北方系の海鳥の大繁殖地および回遊域であり、国内で現存する数少ないウミウウトウの繁殖地の一つでもある。とりわけ百万羽以上が棲息するコシジロウミツバメにいたっては日本唯一の繁殖地であることから、1951年昭和26年)6月9日に「大黒島海鳥繁殖地」として国の天然記念物に指定され、1972年(昭和47年)11月1日に国指定大黒島鳥獣保護区(集団繁殖地)に指定されている(面積107ヘクタール、全域が特別保護地区)。また、現在では稀だがエトピリカケイマフリなどの貴重な鳥類もかつては少数繁殖していた[8]。島で確認された鳥類は59種を数え、チシマウガラスオジロワシオオタカハヤブサウミガラスなどの国内希少野生動植物種も棲息が確認され、オジロワシの繁殖も行われている。東梅には厚岸水鳥観察館が設立されている。

哺乳類ではエゾヤチネズミが棲息する。海岸は100頭を超えるゼニガタアザラシの繁殖地としても知られ、ゴマフアザラシトドも現れるほか、厚岸湾ではラッコの確認例もある[9]。ラッコもかつてこの地に豊富に存在していた事は歴史的に示唆されている[10]。 その他の鰭脚類ではクラカケアザラシワモンアザラシキタオットセイなどの棲息の可能性もある[11]ニホンアシカニホンカワウソもかつては棲息していたと思われ、平成9年には別寒牛川にてカワウソらしき動物を見たとの報告もある。[12]

鯨類では本島から霧多布岬などにかけてミンククジラシャチカマイルカイシイルカネズミイルカなどが沿岸域を通過し[13]、シャチも時には湾内部の尻羽岬などでも見られる事がある。その他、ツチクジラなども現れる可能性があり[11]マッコウクジラなどが漂着する事もある。また、セミクジラが1960年代までは見られており[14]、他にもナガスクジラザトウクジラなど、かつては大型の鯨類もよく見られたと思われる。[15]

厚岸湾東部にはアイニンカップ岬があり、北方では貴重なアマモ場が数ヘクタール広がっている。オオアマモが湾内に広く分布し、厚岸湖中にもアマモ、 コアマモカワツルモが棲息する。湾岸の子野日公園近辺にはラムサール条約指定の東梅海岸があり、アッケシソウもここで発見された。

歴史[編集]

大黒島は、周囲がタラコンブの好漁場であることから、文化年間(1804年 - 1818年)には、番屋が置かれ季節移住があったという。1890年(明治23年)に南部の高台に厚岸灯台が設置され11月25日より点灯している[16][17]第二次世界大戦の時には、日本軍の基地が置かれたため、全島民が立ち退いたこともあり、現在でも高射砲陣地跡や旧海軍の特攻艇を格納した横穴などの戦争遺跡が残る。

参照[編集]

  1. ^ 『「北海道古地図集成」高倉新一郎編著 「蝦夷・加頼多・骨奈誌利・月多六福・猟虎島写図」最上徳内 寛政2年1790年 北海道大学附属図書館北方資料室蔵』。 
  2. ^ 北海道大学北方資料データベースの加藤肩吾の自筆と思われる地図”. 2022年7月17日閲覧。
  3. ^ 『「大黒屋光太夫 資料集第3巻」ラクスマンの「日本来航日誌」 山下恒夫著』日本評論社。 
  4. ^ 根室市歴史と自然の資料館、ラクスマンの測量図・厚岸、にて確認。
  5. ^ 『田沼意次 百年早い開国計画』文藝春秋、2022年1月26日。 
  6. ^ 日本の過疎地 厚岸町小島”. knaruse.blog94.fc2.com. 2019年6月4日閲覧。
  7. ^ 別冊(内国郵便約款第79条及び第97条関係) 交通困難地・速達取扱地域外一覧”. 日本郵便 (2022年2月21日). 2022年5月1日閲覧。
  8. ^ 『国指定大黒島鳥獣保護区 指定計画書 (案)』 環境省 2014年6月18日閲覧
  9. ^ 2010年度 沿岸域(アマモ場) モニタリングサイト1000 - 生物多様性センター 2014年6月18日
  10. ^ 厚岸町の歴史 厚岸町 ホームページ 2014年6月18日閲覧
  11. ^ a b H22年度霧多布海上調査. 14頁. NPO法人エトピリカ基金. 2024年1月18日閲覧
  12. ^ 北海道ニホンカワウソを探す会
  13. ^ H23年度霧多布岬沖合調査. 20-22頁. NPO法人エトピリカ基金. 2024年1月18日閲覧
  14. ^ Robert L. Brownell Junior, Phillip J. Clapham, 宮下富夫, 粕谷俊雄 2001. Conservation status of North Pacific right whales. J. Cetacean Res. Manage. (special issue 2): 269–286. James E. Scarff. Selective Bibliography of Scientific Literature on the North Pacific Right Whale (Eubalaena japonica). 2014年6月18日閲覧
  15. ^ 宇仁義和 1999 『捕鯨遺跡』. 北海道新聞朝刊コラム「朝の食卓」平成23年12月23日掲載. 宇仁自然歴史研究所. 2014年6月19日閲覧
  16. ^ 灯台周辺案内”. 釧路海上保安部. 2019年7月6日閲覧。
  17. ^ 北海道釧路国厚岸港大黒島ニ建設シタル灯台ニ於テ第五等不動白色ノ灯明ヲ設ク - 国立公文書館デジタルアーカイブ

外部リンク[編集]

座標: 北緯42度57分20秒 東経144度52分20秒 / 北緯42.95556度 東経144.87222度 / 42.95556; 144.87222