大阪市立大江小学校

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大阪市立大江小学校
大阪市立大江小学校(2008年10月)
過去の名称 第五大区一小区一番小学校
東成郡天王寺尋常小学校
大阪市天王寺尋常小学校
大阪市天王寺第二尋常高等小学校
大阪市大江尋常高等小学校
大阪市大江国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 大阪市
併合学校 東成郡谷町尋常小学校
大阪市上本町国民学校
設立年月日 1874年6月2日
共学・別学 男女共学
所在地 543-0051
外部リンク 公式サイト
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大阪市立大江小学校(おおさかしりつ おおえ しょうがっこう)は、大阪市天王寺区にある公立小学校

1874年に当時の東成郡天王寺村に開設された学校を起源としている。天王寺区ではもっとも歴史の古い学校の一つである。現在の大阪市立天王寺小学校とは起源を同じくし、1903年に天王寺・大江の2校に分離した。

沿革[編集]

明治時代初期の学制発布により、当時の東成郡天王寺村烏橋に1874年6月2日、第五大区一小区一番小学校が開校した。この時に開校した一番小学校が、大江小学校の起源となる。学校の場所は四天王寺庚申堂の西側付近と推定されているが、正確な位置は明らかではない。

1890年には四天王寺より学校用地700坪の寄付を受け、1891年7月には現在地に移転している。

1897年4月1日の大阪市第一次市域拡張により、天王寺村のうち大阪鉄道より北部・西部については大阪市に編入合併されることになった。これに伴い大阪市天王寺尋常高等小学校へと改称した。

天王寺尋常高等小学校は1903年9月2日、同一敷地内で大阪市天王寺第一尋常高等小学校(現在の大阪市立天王寺小学校)と大阪市天王寺第二尋常小学校(現在の大阪市立大江小学校)の2校へ分離した。敷地の共用は20年近く続き、天王寺第一小学校は1920年4月に現在地に移転している。

1909年には大阪市天王寺第四尋常小学校(現在の大阪市立聖和小学校)が開校したことに伴い、校区の一部を天王寺第四小学校校区へと変更した。また1920年には天王寺第六尋常小学校(のちの桃丘国民学校[1])の開校に伴い校区の一部を天王寺第六小学校校区へ変更している。

天王寺地域では1939年、従来の「天王寺+創立順の番号」での学校名をやめ、所在地の地名などに基づく学校名へと一斉に改称することにした。これに伴い大阪市大江尋常高等小学校へと改称している。

1941年には国民学校令により、大阪市大江国民学校へと改称した。太平洋戦争の影響で大阪市の国民学校では学童集団疎開を実施することになり、大江国民学校でも1944年以降大阪府中河内郡縄手村英田村(現在の東大阪市東部)へと疎開を実施した。さらに1945年には、島根県飯石郡三刀屋町(現在の雲南市)への再疎開を実施している。

太平洋戦争の戦災により、終戦直後の1946年には、現在の上本町9丁目付近にあった上本町国民学校(東平野第三尋常小学校)を統合した。上本町国民学校は1925年、大阪市東平野第三尋常小学校として創立[2]し、1941年に大阪市上本町国民学校に改称している。1945年3月13日の第一次大阪大空襲で校舎を全焼した。

学制改革により、1947年に大阪市立大江小学校へと改称している。

年表[編集]

通学区域[編集]

  • 大阪市天王寺区 夕陽丘町、伶人町、六万体町、四天王寺1丁目、四天王寺2丁目(一部)、勝山1丁目(一部)、上汐5丁目(一部)、上汐6丁目、逢坂1丁目、下寺町1丁目(一部)、下寺町2丁目、上本町8丁目(一部)、上本町9丁目(一部)、生玉前町(一部)、生玉寺町
卒業生は基本的に大阪市立天王寺中学校へ進学する。

出身者[編集]

(大江小学校)

(旧・東平野第三/上本町小学校)

交通[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 太平洋戦争の戦災被害により、1946年五条国民学校に統合し廃校。
  2. ^ 大阪市東平野第一尋常高等小学校(現在の大阪市立生魂小学校)より分離。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]