堺市通り魔事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

堺市通り魔事件(さかいしとおりまじけん)とは、1998年平成10年)1月8日大阪府堺市で起こった殺人事件である。

概要[編集]

1998年平成10年)1月8日8時50分ごろ、大阪府堺市宮下町および堺市津久野町3丁の路上で上半身裸になった19歳の無職の男が、登校中だった女子高校1年生(15歳)の服をつかみ、背中など4か所を所持していた包丁で刺した。男は逃げようとする女子高生を追いかけ、現場から約100m離れた路上で幼稚園の送迎バスを待っていた女児(5歳)と母親の背中を刺した。女児は死亡、女子高生と母親は重傷を負った。大阪府西堺警察署は、現場近くの空き地にいた男を、殺人未遂容疑で緊急逮捕した[1]

男はシンナー中毒であり、事件当日も吸引して幻覚状態に陥っていた。1997年(平成9年)11月には、家の中で暴れて、家族の申し出で西堺署が保護したことがあった[1]

裁判[編集]

男はシンナーによる幻覚状態であったとして、刑事裁判では心神喪失を理由に無罪を主張したが、2000年平成12年)2月24日大阪地方裁判所堺支部は、犯行当時の精神状態を心神耗弱と判断し、懲役18年(求刑無期懲役)を言い渡した[2]。加害少年は心神喪失を主張し、控訴上告したが、いずれも棄却された。2002年平成14年)2月14日、加害少年に懲役18年の判決が確定した。

民事訴訟[編集]

2000年(平成12年)4月、殺害された女児の両親が、加害少年とその養父母に損害賠償を求めて大阪地方裁判所へ提訴した。2001年(平成13年)1月12日、被告側が約5,100万円を支払うことで和解が成立した[3]

新潮社による実名報道[編集]

1998年(平成10年)2月18日発売の、新潮社月刊誌新潮45』3月号は、ノンフィクション作家の高山文彦による全16頁に及ぶ「『幼稚園児』虐待犯人の起臥」のルポルタージュを掲載した。その中で、少年の生い立ちから犯行に至る経緯、家族関係に加え、中学校卒業時の顔写真並びに実名を掲載した。さらに記事の後には、実名報道と顔写真を掲載した、新潮45編集部の見解も記した[4]

少年の弁護団は「重大な人権侵害行為」であり、販売中止と回収を求める抗議声明を出した[4]東日本キヨスク西日本キヨスク、一部書店では少年法に違反する、として販売を中止した[5][6][7]

2月20日の参院本会議の代表質問に対する答弁で、内閣総理大臣橋本龍太郎は「関係者の人権に好ましからざる影響を及ぼし、心の痛みを与える危険性がある。関係当局が必要な措置をとっている」と述べた。法務大臣下稲葉耕吉も「商業主義的な報道は憂うべきことだ。厳正に対処する」と述べた[8]

3月3日、東京法務局は発行元の新潮社に対し、佐藤隆信新潮社社長宛で「再び独自の見解に基づき同種の人権侵害行為をしたもので、人権尊重の精神の欠如、法無視の態度には甚だしいものがある」と指摘し、「少年法で保障されている人権を著しく侵害した」として、再発防止策の策定や少年に対する謝罪などの被害回復措置を行うよう勧告した。これに対し、同社は勧告に応じない方針を表明した[9]

4月30日、少年と弁護団は、少年法61条に抵触した記事で名誉を傷つけられたとして、新潮45の編集長と記事を書いた高山文彦を、名誉毀損の疑いで告訴状を大阪地方検察庁に提出した。また同日、2名と新潮社を相手取り、2,200万円の侵害賠償などを求めて大阪地方裁判所に提訴した。少年法61条違反をめぐる告訴・提訴は、日本で初めてとなった[10]

1999年(平成11年)6月9日、損害賠償訴訟について大阪地方裁判所は、実名を報道した新潮45の記事が少年法に違反し、記事に公益性がないと指摘。さらに新潮社の写真週刊誌FOCUS』が神戸連続児童殺傷事件犯人である少年の顔写真を掲載するなど、過去に法務局から再発防止の勧告を受けていたケースを挙げて実名報道したのは悪質であると判断。慰謝料に200万円、弁護士費用に50万円を算定し、計250万円の支払いを命じた。謝罪広告掲載の請求は棄却した[11]

2000年(平成12年)2月29日大阪高等裁判所は少年法61条について、罰則を規定していないことなどから、表現の自由に優先するものではなく、社会の自主規制に委ねたものであり、表現が社会の正当な関心事で不当でなければ、プライバシーの侵害に当たらない、と条件付きながら実名報道を容認する判断を示した。そして今回の記事について違法性はなく、少年の権利侵害には当たらない、そして男性の更生の妨げになることを男性側は立証していないとして、賠償を命じた一審・大阪地裁判決を破棄し、男側の訴えを棄却した。加害者未成年であっても、場合によっては実名報道出来る初めての判決となった[12]

少年側は、最高裁判所に上告するも「間違った行為を許す気になった」として、男性が12月に上告を取り下げ、新潮社側の勝訴確定判決となった[13]

2001年(平成13年)1月9日、少年は新潮社編集長らへの刑事告訴を取り下げた。12日、大阪地方検察庁は2人を不起訴処分とした[14]

脚注[編集]

  1. ^ a b 「堺の路上で通り魔 女児刺され死亡 母と女子高生も重傷 容疑の少年逮捕/大阪」読売新聞大阪夕刊、1998年1月8日、1頁。
  2. ^ 「大阪・堺の通り魔事件 当時19歳の男に懲役18年/大阪地裁堺支部」読売新聞東京夕刊、2000年2月4日、19頁。
  3. ^ 「堺の通り魔事件 遺族と和解成立 被告側、5100万円支払い/大阪地裁」読売新聞大阪夕刊、2001年1月12日、1頁。
  4. ^ a b 「19歳少年、実名で記事 「新潮45」、顔写真付きで掲載--大阪・堺の通り魔事件」毎日新聞東京朝刊、1998年2月18日、26頁。
  5. ^ 「東日本キヨスクが「新潮45」販売を自粛--少年容疑者の実名掲載で」毎日新聞東京夕刊、1998年2月18日、10頁。
  6. ^ 「大阪・堺市の通り魔殺傷事件 少年の顔写真掲載誌のキヨスクなど販売を中止」読売新聞大阪夕刊、1998年2月18日、14頁。
  7. ^ 「書店の対応分かれる 通り魔少年の実名掲載「新潮45」」朝日新聞西部朝刊、1998年2月19日、26頁。
  8. ^ 「少年事件調書掲載で首相、参院答弁 関係者に心の痛み与える」毎日新聞大阪朝刊、1998年2月21日、3頁。
  9. ^ 「少年実名報道で被害回復措置を 東京法務局が勧告」産経新聞東京朝刊、1998年3月4日、24頁。
  10. ^ 「堺・通り魔事件 「新潮45」編集長ら告訴 実名掲載は「名誉棄損」」毎日新聞大阪朝刊、1998年5月1日、23頁。
  11. ^ 「堺・通り魔事件の被告実名掲載 新潮社などに賠償命令 初の司法判断」産経新聞東京朝刊、1999年6月10日、28頁。
  12. ^ 「「堺の通り魔」 少年の実名報道を容認 凶悪、社会の関心事/大阪高裁」読売新聞東京朝刊、2000年3月1日、1頁。
  13. ^ 「大阪・堺通り魔事件 「新潮45」の勝訴確定--実名報道訴訟、上告取り下げ」毎日新聞東京朝刊、2000年12月7日、28頁。
  14. ^ 「大阪「堺通り魔事件」・実名報道訴訟 新潮社の実名掲載、不起訴に--告訴取り下げ」毎日新聞東京夕刊、2001年1月12日、12頁。

関連項目[編集]