原田義人
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原田 義人(はらだ よしと、1918年〈大正7年〉8月5日 - 1960年〈昭和35年〉8月1日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。元東京大学教養学部教授。
略歴
[編集]東京生れ。1942年、東京帝国大学独文科卒業。在学中から新演劇研究会に参加、『亭主学校』では自らも舞台に立った。卒業後、応召。
戦後、俳優としてNHKに出演したこともある[1]。復員して東大独文科助手ののち、1950年、東大教養学部助教授。1954年、ハンブルク大学日本語講師として渡独、ヨーロッパ各地を回り1956年帰国。同人雑誌「方舟」の編集長を務め、評論家・ドイツ文学者として翻訳にも健筆を振るい、将来を嘱望されたが1960年7月、教授昇任の後の8月、42歳の誕生日直前に死去。その最期の様子は友人であった加藤周一の回想『続羊の歌』に詳しい。今も「原田ギジン」として話題に上ることがある。墓所は多磨霊園。
著書
[編集]- 『現代ドイツ文学論』(福村書店) 1949
- 『ドイツ文学入門』(河出書房) 1952
- 『ドイツの戦後文学 1951-3年の報告』(早川書房、現代芸術選書) 1954
- 『文学に親しむために』(筑摩書房) 1960
- 『反神話の季節』(カフカ, ブロッホその他、白水社) 1961
翻訳
[編集]- 『ゲーテの言葉』(創元社) 1949
- 『若き人々への言葉』(ニイチェ、月曜書房) 1950、のち創元文庫、角川文庫・改版
- 『ドイツ文学史』(J.F.アンジェロス、白水社・ 文庫クセジュ) 1951 改版1982
- 『昨日の世界 一ヨーロッパ人の回想』Ⅰ・Ⅱ(ツヴァイク、慶友社) 1952 - 下記は弟子等による改訳
- 『さかさまの世界 もしドイツが勝つていたら』(ランドルフ・ロバン、筑摩書房) 1952
- 『ニイチエ』(ハインリヒ・マン編、創元社、永遠の言葉叢書) 1953
- 『リルケの最後の友情』(ジャルウ、渡辺一夫共訳、人文書院) 1953
- 『ベートーヴェンの言葉』(創元社) 1953
- 『孤独と友情の書 往復書簡』(ライナー・マリア・リルケ / アンドレ・ジッド、富士川英郎共訳、みすず書房) 1953
- 『審判』(新潮社、カフカ全集2) 1953、のち新潮文庫・旧版、河出書房新社「文学全集」ほか
- 『流れの背後の市』(ヘルマン・カザック、新潮社) 1954
- 『幼年時代』(創元社、カロッサ作品集2) 1954
- 『小説の理論』(ルカーチ、佐々木基一共訳、未來社) 1954 / ちくま学芸文庫 1994
- 『シュヴァイツァー伝』(ハーマン・ハーゲドーン、白水社) 1957
- 『アンネのおもかげ』(E・シュナーベル、みすず書房) 1958
- 『二重生活』(ゴットフリート・ベン、紀伊国屋書店) 1958
- 『文学的回想』(ウィリー・ハース、紀伊国屋書店) 1959
- 『西洋音楽史』1・2(ハンス・メルスマン、野村良雄共訳、みすず書房) 1959 - 1960
- 『城 / 変身 ほか全8編』(カフカ、筑摩書房、世界文学大系58) 1960
- 『灰墟の光 甦えるヒロシマ』(ロベルト・ユンク、文藝春秋新社) 1961
脚注
[編集]- ^ 中村真一郎の回想による。『戦後文学の回想』、筑摩叢書、p.27