加藤まさを

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加藤まさを
1949年(昭和24年)
誕生 本名・加藤正男
1897年4月10日
日本の旗 日本静岡県藤枝市
死没 (1977-11-01) 1977年11月1日(80歳没)
日本の旗 日本千葉県夷隅郡御宿町
墓地 御宿町最明寺 (千葉県御宿町)
職業 詩人画家作詞家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
活動期間 1920年頃 - 1977年
ジャンル 抒情詩
代表作月の沙漠
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加藤 まさを(かとう まさを、1897年4月10日 - 1977年11月1日)は、日本の画家詩人。本名は正男静岡県藤枝市出身。立教大学英文科中退。

経歴[編集]

学業の傍ら川端画学校洋画を学ぶ。大正時代の代表的な抒情画家の一人で、少女に圧倒的な人気を得た。ファンとの交流をよくし、髪型や衣服など、女学生風俗を熟知していた。さらに、バラの栽培、ヴァイオリン演奏、テニスなど、少女好みの趣味を持っていた。1923年大正12年)に、童謡月の沙漠』を発表。詩画集に『カナリヤの墓』、『合歓の揺籃』、少女小説に『遠い薔薇』(1926年、短編集)、『消えゆく虹』(1929年、長編小説)、『二つの虹』などがある。1929年から1930年にかけて平凡社から出版された『令女文学全集』全15巻の巻11が加藤まさを集だった。墓所は御宿町最明寺。 

備考[編集]

青年時代にしばしば結核の療養のため千葉県御宿海岸夷隅郡御宿町)を訪れており、「月の沙漠」のモデルは御宿海岸だと推察する書籍等もある。加藤自身も晩年には「月の沙漠は御宿の砂丘」という揮毫を書き残したりもしている[1]。その縁で、1976年に御宿町に移住し、同町で死去した。1974年(昭和49年)には御宿町立岩和田小学校(2007年3月廃校、御宿町立御宿小学校に統合)の校歌を作詞・作曲している[2]

出生地である藤枝市の藤枝市郷土博物館・文学館では藤枝ゆかりの文化人を紹介・顕彰しており、加藤の業績を展示している[3]

加藤まさを自身は、生前に同作品を歌唱した松島トモ子や、幼少期の三代目海沼実などに「月の沙漠というのは月面の沙漠という意味なんだよ」と語っている。[4]但し、温和な性格の加藤は、ゆかりの地を自称する市町村に対して意見をすることはなかった。[要出典]

著書[編集]

  • 『カナリヤの墓』岩瀬書店、1920
  • 『童謡画集 合歓の搖籃』内田老鶴圃、1921、のち大空社叢書日本の童謡
  • 『涙壷 抒情小詩集』内田老鶴圃、1922
  • 『人形の墓 童謡画集』内田老鶴圃、1923
  • 『遠い薔薇』春陽堂、1926、のち国書刊行会
  • 『まさを抒情詩集』春陽堂、1926
  • 『愛の哀しみ』春陽堂、1927
  • 『消えゆく虹』大日本雄弁会講談社、1929、のち国書刊行会
  • 『月見草 外12篇』平凡社、1930、令女文学全集
  • 『かわいい動物』文・絵、ゆりかご社、1951
  • 『月の沙漠 抒情詩集』今野書房、1969
  • 『加藤まさを抒情画集』講談社、1977
  • 『加藤まさをのロマンティック・ファンタジー』国書刊行会、2013

脚注[編集]

  1. ^ 齊藤弥四郎『童謡「月の沙漠」と御宿町』本の泉社、2012年8月17日、22頁。ISBN 978-4-7807-0669-7 
  2. ^ 御宿町史編さん委員会 編『御宿町史』御宿町、1993年3月30日、607頁。 
  3. ^ 「月の沙漠」の詩人 加藤まさを-藤枝市
  4. ^ 2018年9月8日東京新聞

関連項目[編集]