伊藤千代子

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伊藤 千代子(いとう ちよこ、1905年(明治38年)7月21日 - 1929年(昭和4年)9月24日)は、昭和初期の社会運動家日本共産党員。

経歴[編集]

長野県諏訪郡湖南村南真志野(現・諏訪市)の農家に生まれる。2歳で母と死別、9歳で亡母の実家・岩波家に移り養育される。諏訪高等女学校(現・長野県諏訪二葉高等学校)に進学、同校教諭(のち校長)で歌人の土屋文明から英語国語修身の授業を受ける。同校卒業後は諏訪郡の高島尋常高等小学校の代用教員となるが、1924年(大正13年)私立尚絅女学校(宮城県仙台市、現・尚絅学院女子高等学校)高等科英文予科を経て、翌年には東京女子大学英語専攻部2年に編入。同大学社会科学研究会で活躍。

1927年(昭和2年)8月30日、長野県岡谷で起こった製糸業最大の争議「山一林組争議」(女工ら労働者による30日ストライキ)の労働者支援を行う。同年秋、労働農民党浅野晃と結婚。翌1928年(昭和3年)、初の普通選挙を戦う労働農民党藤森成吉候補らの支援活動を行う。同年2月日本共産党に入党。党中央事務局で文書連絡や印刷物の整理などの活動を始めて半月後[1]三・一五事件の弾圧により検挙され警視庁滝野川署から市ヶ谷刑務所に収監、拷問により転向を強要されるが拒否し続ける。ところが拘禁精神病を発病し、松沢病院に収容され、急性肺炎により病死。享年24。郷里の龍運寺墓地に葬られる。

関連文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 伊藤千代子を詠んだ歌とはしんぶん赤旗」2004年5月5日

外部リンク[編集]