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中町公祐

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中町 公祐
名前
愛称 マチ
カタカナ ナカマチ コウスケ
ラテン文字 NAKAMACHI Kosuke
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1985-09-01) 1985年9月1日(39歳)
出身地 埼玉県与野市(現さいたま市[1]
身長 174cm
体重 74kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
2001-2003 日本の旗 高崎高校
2008-2009 日本の旗 慶應義塾大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2004-2007 日本の旗 湘南ベルマーレ 66 (2)
2010-2011 日本の旗 アビスパ福岡 59 (12)
2012-2018 日本の旗 横浜F・マリノス 159 (13)
2019-2020 ザンビアの旗 ZESCOユナイテッドFC
2021-202x ザンビアの旗 ムトンド・スターズFC
通算 284 (27)
監督歴
2024- 日本の旗 慶應義塾大学
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

中町 公祐(なかまち こうすけ、1985年9月1日 - )は埼玉県与野市(現さいたま市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF

経歴

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Jリーグ時代

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2004年に湘南ベルマーレに入団。3年目の2006年シーズン途中より出場機会を失う。続く2007年も出場機会に恵まれず、翌年早々に湘南を退団。2008年からは、当時在学していた慶應義塾大学サッカー部に入部。7年ぶりの1部リーグ昇格に貢献し、自身は関東大学サッカーリーグ戦2部リーグのベスト11に選ばれた。

2009年12月4日、アビスパ福岡への加入内定が発表され、2010年より再びJリーガーになった。この年のリーグ戦では同じく新加入の末吉隼也とともにボランチとしてプレー。10得点を挙げてチームのJ1昇格に貢献した。2011年は、背番号を7へ変更しチーム主将に就任したが、クラブはJ2に降格した。2012年、横浜F・マリノスへ移籍した[2]

また、2013年より大学時代の友人と共にアフリカへボールを送る活動を行っており、2018年に自身の活動の発展と併せてアフリカの医療環境の改善を目的にNPO法人「Pass on」を設立し、代表理事に就任。

ザンビアリーグ

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2019年1月2日、自身のInstagramにて7年間在籍したマリノスを退団し、アフリカザンビア共和国のサッカーチームへ移籍予定であることを発表。その際、マリノスから2年契約延長オファーがあったことに感謝の気持ちを、自身の移籍で日本とアフリカを繋ぎたいという想いを明かしている[3]。同日、マリノスの公式ホームページにて、両者合意のもとで契約更新をしないことが発表された[4]。2月4日にザンビアン・プレミアリーグZESCOユナイテッドFCへの移籍を発表した[5]。年俸は横浜FMの時の10分の1になったと報じられている[6]

2019年3月7日、日本サッカー協会(JFA)の国際委員会委員に現役選手として初めて選任された[7]。同年9月1日、NHK総合テレビ「サンデースポーツ2020」の番組内にて中町の特集が組まれ、ザンビアでのプレーの環境や現地で女性や子供のためにボランティアをしている姿が放映された[8]

2021年4月2日、自身のInstagramにてザンビア3部のムトンド・スターズFC英語版との契約を発表した。背番号は8番。2022年にはザンビア2部のシティ・オブ・ルサカFC英語版に移籍。その後はザンビア1部のヌクワジFC英語版の練習に参加した[9]

2023年11月28日、現役引退を発表[10]

監督

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2024年1月、慶應義塾体育会ソッカー部の監督に就任した[11]。                                                 就任1年目に関東大学サッカーリーグ2部優勝し、4年ぶりとなる関東大学サッカーリーグ1部復帰に導いた。

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2004 湘南 28 J2 11 0 - 3 0 14 0
2005 12 1 - 0 0 12 1
2006 34 1 - 0 0 34 1
2007 9 0 - 0 0 9 0
2010 福岡 15 35 10 - 3 1 38 11
2011 7 J1 24 2 1 0 2 1 27 3
2012 横浜FM 8 20 1 3 0 4 1 27 2
2013 33 1 10 1 5 0 48 2
2014 23 0 1 1 0 0 24 1
2015 14 2 2 0 1 0 17 2
2016 31 6 4 0 3 2 38 8
2017 22 2 3 0 2 0 27 2
2018 16 1 8 1 2 0 26 2
ザンビア リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2019 ZESCO 9 プレミア
通算 日本 J1 183 15 32 3 19 4 234 22
日本 J2 101 12 - 6 1 107 13
ザンビア プレミア
総通算 284 27 32 3 25 5 341 35
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2014 横浜FM 8 6 1
通算 AFC 6 1

代表・選抜歴

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タイトル

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クラブ

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個人

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  • Jリーグ・優秀選手賞:1回(2013年)

プライベート

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元妻は空手家のウォーターハウス美希[12]。元妻との間には娘2人がいる。また、2015年12月に長男を新生児低酸素性虚血性脳症で生後43時間で亡くしているが、そのことがザンビアへの移籍に至ったきっかけの一つと報じられている[13][6]

脚注

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  1. ^ a b Pre-match Words ~横浜F・マリノス・中町公祐編~(2016年4月22日掲載)”. J SPORTS. 2024年11月3日閲覧。
  2. ^ 中町公祐選手 移籍加入のお知らせ (横浜F・マリノス) - ウェイバックマシン(2017年1月18日アーカイブ分)
  3. ^ 横浜FMのMF中町公祐、自身のSNSで退団表明…アフリカ移籍へ SOCCER KING 2019年1月2日
  4. ^ 中町公祐選手との契約に関するお知らせ 横浜F・マリノス 2019年1月2日
  5. ^ 「自分の大義を胸に」 横浜を退団した中町公祐がザンビアリーグ移籍を発表! サッカーダイジェストweb 2019年02月04日
  6. ^ a b 苦闘の挑戦、アフリカとの懸け橋に 亡き息子が縁、ザンビア移籍の中町選手”. 共同通信 (2019年7月2日). 2024年11月3日閲覧。
  7. ^ 中町公祐がJFA初の「現役選手の国際委員」に選任”. 日刊スポーツ (2019年3月7日). 2019年3月7日閲覧。
  8. ^ 【サッカー】元Jリーガーがアフリカへ?”. JCC. 2019年9月2日閲覧。
  9. ^ 元横浜F・マリノス中町公祐が体感したアフリカ社会とザンビアサッカーの現実 「大きな音がしたと思ったら銃弾が...」”. Sportiva (2023年7月7日). 2024年11月3日閲覧。
  10. ^ 元横浜FM中町公祐が現役引退を表明…19年からアフリカ拠点「自己表現は常にサッカーと共に示してきた」ゲキサカ 2023年11月28日
  11. ^ 中町公祐新監督 就任のお知らせ』(プレスリリース)慶應義塾体育会ソッカー部、2024年1月8日https://keio-soccer.com/posts/28052024年11月3日閲覧 
  12. ^ 結婚式パート1 Peach(亜耶バネッサオフィシャルブログ) 2011.1.12付
  13. ^ 横浜M・中町に第3子が誕生!妻レベッカさんがブログで報告”. サンケイスポーツ (2017年5月2日). 2024年11月3日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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