上井草球場

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上井草球場
施設データ
所在地 東京都杉並区上井草
開場 1936年昭和11年)8月29日
所有者 西武鉄道(旧社)東京市(現・東京都
グラウンド 天然芝(外野)、土(内野)
建設費 60,000円(当時)[1]
設計者 小林政一
使用チーム • 開催試合
  • 翼軍(開場 - 1940年)
収容能力
29,500名(1936年当時)
グラウンドデータ
球場規模 グラウンド面積:13,531 m²
両翼 - 100.6 m (約330 ft)
中堅 - 118.9 m (約390 ft)
フェンス 1.3m(コンクリート製)

上井草球場(かみいぐさきゅうじょう)は、かつて東京都杉並区上井草にあった野球場

1936年昭和11年)の東京セネタース(但し、戦後のセネタースとは別組織)結成に合わせ、職業野球団所有球場として開設されたが、1959年(昭和34年)をもって廃止、撤去された。

歴史[編集]

当時の東京府東京市杉並区に西武鉄道(旧社)[2]が建設し、1936年8月に完成。

当時は東京球場という名称であり、戸塚球場大東京軍の本拠地・洲崎球場と共に東京でのプロ野球開催球場の一つとなった。西武鉄道の沿線にあるため都心からも比較的行きやすいという売り込みだったが、翌1937年9月後楽園球場が都心の小石川区春日町(現在の文京区後楽水道橋駅前)に開設されると開催試合数は次第に減っていった。綺麗だが、小じんまりした箱庭のような球場だったらしい。正面入口にはセネタースの正式名称「東京野球協会」の略称「T.B.B.A」のロゴが付けられていた。

1940年、西武鉄道は上井草に総合運動場を計画していた東京市にこの球場を寄付。戦後は1945年にいち早く復興。1946年から1952年まで神宮球場が米軍に接収された間、この球場でも東京六大学の試合が行われ、主に学生野球などアマチュアの試合が中心となっていった。

上井草球場でのプロ野球公式戦は1950年(昭和25年)8月4日の太平洋野球連盟(パシフィック・リーグ)の東急フライヤーズ vs 毎日オリオンズ阪急ブレーブス vs 大映スターズの変則ダブルヘッダーが最後の開催であった(ちなみに両試合の結果は東急7-5毎日、阪急11-5大映となっている)。

1959年、東京都は水道の貯水池を建設するため上井草球場を廃止。都は貯水池の上に野球場(軟式野球ソフトボール専用)や体育館テニスコートなどを整備して1967年に上井草総合運動場が完成。現在は杉並区に移管され、区営上井草スポーツセンターとなっている。

施設[編集]

  • 内野:土、外野:天然芝
  • 両翼:100.6m、中堅:118.9m、本塁後方(バックストップ):18.3m
  • 収容人員:29,500人
(昭和24年に改装され45,500人となったとされるが、現行の消防法等の関連法規を充足するものではない)

脚註[編集]

  1. ^ 日本初のプロ野球専用球場 上井草球場に記載あり。
  2. ^ 当時の西武鉄道は、現在の西武新宿線系統を運行していた鉄道会社で、現在の西武鉄道とは別会社。1945年西武池袋線系統を運行する武蔵野鉄道に吸収合併された。現在の西武鉄道は、その武蔵野鉄道が1946年に商号変更をしたもの。詳細については西武鉄道#歴史の項を参照。

関連項目[編集]

参考資料[編集]

  • 「上井草球場の軌跡」(東京都杉並区立郷土博物館刊行/平成16年)
前本拠地:
n/a
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翼軍の本拠地
1936 - 1940
次本拠地:
n/a
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