三遊亭萬次郎
(三遊亭万次郎から転送)
三遊亭萬次郎定紋「高崎扇」 | |
本名 | 貝川 子竜 |
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生年月日 | 2002年1月21日(22歳) |
出身地 | 日本・兵庫県 |
師匠 | 六代目三遊亭円楽 四代目三遊亭萬橘 |
名跡 | 1. 三遊亭楽太 (2020年 - 2024年) 2. 三遊亭萬次郎 (2024年 - ) |
出囃子 | 勧進帳の臆病のいたり |
活動期間 | 2020年 - |
所属 | 五代目圓楽一門会 |
三遊亭 萬次郎(さんゆうてい まんじろう、2002年1月21日 - )は、五代目圓楽一門会に所属する落語家。兵庫県姫路市出身。出囃子は『勧進帳の臆病のいたり』。
来歴[編集]
兵庫県姫路市出身。兵庫県立網干高等学校を卒業。
2020年1月1日に六代目三遊亭円楽に入門、高校卒業直後の同年3月に楽屋入り。前座名「楽太」。円楽にとっては最後の直弟子となった。
2022年9月に師匠の円楽が死去したため、2023年1月、四代目三遊亭萬橘門下に移籍[1]。
2023年2月8日、前座では異例となる企画提案を行った「円楽師匠の誕生日落語会~弟子と仲間に囲まれて一門の再出発~」(深川江戸資料館)が開催され、自らは開口一番として出演した[2]。
芸歴[編集]
- 2020年1月 - 六代目三遊亭円楽に入門、前座名「楽太」。
- 2022年9月 - 師匠の円楽が死去。
- 2023年1月 - 四代目三遊亭萬橘門下に移籍。
- 2024年4月 - 二ツ目に昇進し「萬次郎」と改名。
人物[編集]
- 六代目円楽門下であったタレントの伊集院光と親交があり、前述の落語会にも自ら出演依頼を行った[注 1][2]。
- 六代目円楽が晩年に脳梗塞を発症して以降、兄弟子達と共に車椅子での移動などの身の回りの介助を行っていた[注 2][3]。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ^ “三遊亭円楽さん追善興行が2月、両国寄席で開催 最後の弟子・楽太は萬橘門下へ「感謝の気持ちでいっぱいです」”. スポーツ報知 (2023年1月2日). 2024年4月1日閲覧。
- ^ a b “円楽さん最後の弟子・楽太が誕生日落語会をプロデュース 伊集院光ら弟子が集結し笑いで再出発”. スポーツ報知 (2023年2月10日). 2024年4月1日閲覧。
- ^ “三遊亭円楽さんが車いす立つ時は体を密着…最後の弟子・三遊亭楽太「師匠を愛してます」”. スポーツ報知 (2022年12月30日). 2024年4月1日閲覧。
外部リンク[編集]
- 三遊亭萬次郎 (@3utman2ro) - X(旧Twitter)