三州ツバ吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
三州 ツバ吉
プロフィール
リングネーム 三州 ツバ吉
本名 岡田 孝
ニックネーム 銀座の鉄人
身長 177cm
体重 81kg
誕生日 (1971-01-26) 1971年1月26日(46歳)
出身地 東京都中央区
スポーツ歴 柔道極真空手総合格闘技
デビュー 2007年11月18日
(プロレスデビュー)
テンプレートを表示

三州 ツバ吉(さんしゅう つばきち、1971年(昭和46年)1月26日 - )は、日本格闘家、ボディーガード、スポーツインストラクター。本名は岡田 孝(おかだ たかし)。東京都中央区銀座出身。帝京大学経済学部卒業。身長177cm、体重81kg。

ニックネームは、「銀座の鉄人」「世界3大砂漠マラソンを覆面仮装で完走した唯一の男」。スポーツインストラクター、アマチュア格闘家として活動する傍ら、36歳でプロレスデビューした。40歳を超えても、リアルジャパンプロレスバトラーツ地下プロレスEXITなど、様々なプロレス団体に出場し、また、間寛平を目標に、東京マラソンなどの各種マラソン大会にエントリーし続け、さらに、「銀座から富士山頂へ」を掲げて毎年数度富士山を登っている。富士山頂では2010年から2年連続してプロレスの試合を行っている。

来歴[編集]

幼少より、柔道極真空手キックボクシング柔術など、様々な武道格闘技を国内外で修行。高校時代から柔道などのアマチュアの試合に出場。

1997年(平成9年)以降、本名の岡田孝で、松浦次郎とともに首都圏各地のスポーツクラブや体育館などで数多くのスポーツレッスンを担当。同時期より、藤原敏男門下で打撃技術を体得、また、佐山聡小川直也と交流を持ち、技術指導を受ける。また、極真会館の市村直樹らから指導を受け、松浦らと稽古に励んだ。退館した後の1997年(平成9年)9月21日には新空手の大会(K-3)に出場、ワンマッチで勝利した。

1997年(平成9年)10月村上和成と出会う。1998年8月には、村上、佐藤耕平とともに、ゴールドジム行徳千葉において、格闘技道場を設立した(現在は解散)。同年、村上のUFO参戦のために佐山と交渉にあたり、その後も半年ほどであったが、プロレスラーとなった村上の裏方としてスタッフ的役割を果たした。この時期、村上からのアドバイスもあって、自らは柔術の大会に積極的に参加する。1998年12月15日、「TOKYO B.J.J. JAM 4」に出場、ワンマッチで敷根啓一郎(正道会館)と対戦してレフェリー判定で勝利。1999年2月13日の「TOKYO B.J.J. JAM 5」において、ワンマッチで菊地恵介(パラエストラ)と対戦してポイント差で敗れるも、1999年5月10日、「COPA PARAESTRA EAST」に出場、アダルトレーヴィ級で3位に入賞した。

2007年11月18日、プロ格闘家として36歳にして三州ツバ吉リングネームプロレスのマットに立ち、デビュー戦でRIKIYAと対戦、腕ひしぎ十字固めで勝利した(キャプチャーインターナショナル地下室マッチ川崎大会)。2008年2月9日には頑固プロレスに参戦、野村聡と対戦した(15分時間切れ引き分け)。

2008年2月17日、東京マラソンにエントリーし、スパイダーマンに仮装(三州本人は「ツパイダーマン」と言っている)して3時間49分9秒で完走、同日夜には、フルマラソンでヒザと足首を痛めていたにもかかわらず、地下室マッチで北原光騎と対戦した(キャプチャーインターナショナル地下室マッチ川崎大会)。フルマラソン完走直後でもリングに上がるスタミナを持つことから、この頃より「銀座の鉄人」とのニックネームがつけられるようになった。2008年5月4日には頑固プロレスで野村と再び対戦し、13分55秒ハイキックでKO勝ちした。

2010年4月18日には地下プロレスEXITにおいて日龍とタッグを組み、ナイトキング・ジュリー・入道組に勝利し、地下日本阿吽選手権王座を獲得した。2010年6月19日から20日に開催された「第9回24時間グリーンチャリティーリレーマラソンin東京ゆめのしま」の「24時間個人男子の部」に出場し、途中棄権することなく約141キロを走り、第16位に入った。2010年11月7日の「ニューヨークシティマラソン2010」には全身スパイダーマンの衣装で完走した。

2011年5月1日の「2011万里の長城マラソン」に参加し、前年のニューヨークでのマラソン同様、全身スパイダーマンの衣装で完走。2011年8月14日には地下プロレスEXITの「第1回天国地獄トーナメント」に参戦し、決勝戦で小笠原和彦と対戦、11分31秒、後ろ回し蹴りでTKO負けしたが、同トーナメントで準優勝した。同年9月30日-10月9日にエジプトのサハラ砂漠で開催された6ステージ250㎞の「サハラレース2011」では54時間26分55秒、第63位で完走した。

長距離・長時間マラソンへの参加はエスカレートし、2012年6月10日-同月16日には「ゴビ砂漠マラソン2012」で250キロを60時間26分15秒で完走し、145人中137位となり、MVPを受賞した。さらに、同年10月28日-11月3日にはサハラ砂漠レース250キロを67時間35分57秒で2年連続完走し、134人中109位だった。

2013年3月3日-同月9日には「アタカマ砂漠レース2013」で69時間37分56秒で132人中126位で完走した。同年6月15日-翌16日には「第12回グリーンチャリティーリレーマラソンin東京ゆめのしま」で20ポンドを背負いながら112人中44位で122.5キロを走破した。また、同年5月4日~同月5日には「長崎橘湾スーパーマラニック」で175キロを20ポンドを背負って30時間24分39秒、第59位で完走した。同年8月11日-翌12日には銀座から富士山頂までの約115キロのマラソンを自身で企画した。同年9月21日-同月23日には「佐渡島一周」で208キロを自らの変身スタイルである「ツバイダーマンマスク」姿で46時間09分58秒で完走した。さらに、11月9日-10日には「神宮外苑24時間マラソン」に出場し、途中、10日の13時からの頑固プロレス新木場大会に出場するために、21時間30分、神宮100週を経過した132.456キロで途中棄権するも、第58位となった。

2014年1月24日-27日には「沖縄一周クレイジーラン」(制限時間60時間)で330キロをツバイダーマンマスク姿で59時間38分20秒、第22位で完走した。同年4月4日には「パリマラソン」で完走、同年5月3日~同月6日には福島から東京までの約300キロのマラソンを自身で企画した。同年9月13日-翌14日には「24時間ゆめリレーin湘南ひらつか」の24時間個人の部を覆面姿で164.35キロ(第8位。この大会で24時間マラソンには通算7度目の出場)走り、同年10月12日には「メルボルンマラソン」で完走、同年11月1日~同月11日には「南極マラソン(250キロ)」に出場して第61位(69名出場)で走りきり、覆面姿で世界3大砂漠及び世界7大陸のマラソンを完走した。

得意技[編集]

獲得タイトル等[編集]

  • 地下日本阿吽選手権(第2代。パートナーは日龍)
  • 第1回天国地獄トーナメント準優勝

テレビ・ラジオ等の出演[編集]

  • 「朝ツバッ!」「RUNツバッ!」(2012年4月-12月、WALLOP)パーソナリティ

その他[編集]

以下、本人のブログ記事等により分かる事項。

  • 覆面仮装の姿で世界3大砂漠(サハラ、ゴビ、アタカマ)及び世界7大陸のマラソンに出場しをすべて完走している唯一の男である。
  • ほぼ毎日のように、首都圏のどこかのスポーツクラブや体育館で「ボクササイズ」などのレッスンを担当している。
  • 体型からは想像できないほどの大食漢。本人のブログで暴飲暴食とも思える様子を掲載している。
  • 東京マラソンなど様々なマラソン大会に参加、フルマラソンでは30回以上完走している。
  • 2010年にはニューヨークシティマラソンを、2011年には万里の長城マラソンを、それぞれスパイダーマンの仮装で完走。
  • 2012年には富士五湖112キロウルトラマラソンや平塚24時間マラソンなどの長距離・長時間マラソンで完走。
  • 富士山には40回登頂(2014年12月現在)。23回目の登頂では、地下プロレス「EXIT-48 FUJIYAMA」に参戦、地下日本阿吽王者選手権を防衛。
  • 藤原喜明主催の「藤原組関節技セミナー」では助手を務めている。
  • 両親は、大衆割烹の「三州屋銀座店」(1号店、2号店の2店舗あり)を営んでいる。本人も不定期だが店に顔を出している。
  • 元極真会館所属の選手との交流は続いており、小笠原和彦堀池典久松浦次郎とは定期的に酒を酌み交わしている。
  • ヤクルトスワローズのファンである。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]