ヴィットリオ・ヴェネト (戦艦)

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艦歴
発注: CRDA社トリエステ造船所
起工: 1934年10月28日
進水: 1937年7月25日
就役: 1940年4月28日
退役:
その後: スクラップとして廃棄
除籍: 1948年2月1日
性能諸元
排水量: 公称:35,000 トン
基準:43,624 トン
満載:45,752 トン
全長: 224.5m
237.8m(水線長)
全幅: 32.9 m
吃水: 10.5 m
機関: ヤーロー重油専焼水管缶8基+ブルッゾー式ギヤード・タービン4基4軸推進
最大
出力:
140,000hp
最大
速力:
31.45ノット (56 km/h)
航続
距離:
16ノット/4,580海里
燃料: 重油:4,000トン(満載)
乗員: 1,830名(旗艦時:1,910名)
兵装: 38.1cm(50口径)3連装砲3基
15.2cm(55口径)3連装速射砲4基
9cm(50口径)単装高角砲12基
37mm(54口径)連装機関砲10基
2cm(65口径)単装機銃20基(機関砲・機銃は時期により増加)
航空兵装: 水上機3機
カタパルト1基

ヴィットリオ・ヴェネト (Vittorio Veneto) は、イタリア海軍超弩級戦艦ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦 (classe Vittorio Veneto) の1番艦である[1][2]。 ただし姉妹艦リットリオ (Littorio) をネームシップとして扱い[3][4]リットリオ級戦艦 (Classe Littorio) と表記する資料もある[5][6][注釈 1][注釈 2]。 艦名は第一次世界大戦ヴィットリオ・ヴェネトの戦いに因む。

建造経緯[編集]

本級は、イタリア王立海軍英語版 (Regia Marina) が第二次世界大戦中に竣工させた最初で最後の超弩級戦艦である[9]。基本的な船体設計は第一次大戦時に計画された「フランチェスコ・カラッチョロ級」を踏襲している。だが海軍休日 (Naval Holiday) が終わりを告げる中で、イタリアの仮想敵国であるフランス海軍は新世代の主力艦としてダンケルク級戦艦 (Classe Dunkerque) を建造する[10]。続いて拡大発展型のリシュリュー級戦艦 (Classe Richelieu) を建造した[11][注釈 3]仮想敵国の新型艦に対抗すべく[6]、イタリア側もプリエーゼ式水中防御方式など数々の新機軸を投入して新世代戦艦たる本級を建造した[13][14][注釈 4]

艦歴[編集]

イタリア参戦まで[編集]

ヴィットリオ・ヴェネトはトリエステカンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコで1934年(昭和9年)10月28日に起工、1937年(昭和12年)7月25日に進水し、1940年(昭和15年)4月28日に竣工した。6月10日イタリア第二次世界大戦に枢軸側として参戦し、イギリスフランス宣戦布告した[16]イタリアの参戦[17]。この時点では本級2隻(ヴェネト、リットリオ)とも出撃できる状態ではなかった[18]

1940年[編集]

1940年(昭和15年)8月、ヴィットリオ・ヴェネトと姉妹艦リットリオ (Littorio) を含むイタリア艦隊は、イギリス海軍のハッツ作戦に呼応して出撃した。9月下旬にも、イギリス輸送船団を攻撃するために出撃した。

10月下旬よりイタリア軍はギリシャ侵攻を開始[19]バルカン戦線が形成された[20]。イギリス軍とイタリア軍の双方がギリシャに輸送船団を送り込み、この過程で幾つかの海戦が起きる[21]11月11日イギリス地中海艦隊(司令長官アンドルー・ブラウン・カンニガム中将)はタラント空襲を敢行する[22][23]。 英空母イラストリアス (HMS Illustrious, R87) を発進したソードフィッシュFairey Swordfish)の夜間雷撃により[24][25]、姉妹艦リットリオを含むイタリア海軍の主力艦3隻が大破着底した[26][27]。ヴィットリオ・ヴェネトなど健在艦はナポリに移動した。

優位にたったイギリス海軍は、ジブラルタルを拠点とするH部隊(司令官ジェームズ・サマヴィル中将)によってホワイト作戦MB9作戦を実施した。地中海艦隊もイラストリアスを主軸に据えて積極的な行動に出た[28]。イタリア海軍はタラント奇襲を生き延びたヴィットリオ・ヴェネトを中核に艦隊を再編し、イギリス艦隊を邀撃した[29]。特に後者のMB9作戦をめぐって11月27日スパルティヴェント岬沖海戦が生起した。ヴィットリオ・ヴェネトは遠距離からの7度の主砲斉射によりH部隊(Force H)の巡洋艦隊を後退させる。だがH部隊に英空母アーク・ロイヤル (HMS Ark Royal, 91) がいたので、イタリア艦隊は空母の脅威を前に撤退を余儀なくされた[30]。アーク・ロイヤルを発進した11機のソードフィッシュがイタリア戦艦2隻(ヴィットリオ・ヴェネト、ジュリオ・チェザーレ)を雷撃したが、イタリア側は回避に成功した[31]

1941年[編集]

1941年(昭和16年)1月[32]シチリア島に展開したドイツ空軍が活動を開始して[33]、地中海のパワーバランスが変化する[34][35]。地中海艦隊の英空母イラストリアスも、MC4作戦に従事中の1月10日Ju-87スツーカ急降下爆撃で撃破され[36]、戦線から離脱した[37][38]。 英海軍は空母フォーミダブル (HMS Formidable, R67) を地中海艦隊に派遣した[39][注釈 5]。このフォーミダブルが、ヴィットリオ・ヴェネトに痛打を浴びせることになる[41][42]

2月上旬、イギリスのH部隊グロッグ作戦を発動し、イタリア本土のジェノヴァ軍港砲撃を敢行した。イタリア艦隊はH部隊を捕捉するために出動し、ヴィットリオ・ヴェネトは戦艦ジュリオ・チェザーレ (Giulio Cesare) や巡洋艦戦隊と共に出撃した。だがH部隊と遭遇しなかった。

3月下旬、イギリス軍はラスター作戦を実施する[40]。イタリア海軍は新鋭戦艦ヴィットリオ・ヴェネト(海軍最高司令長官アンジェロ・イアキーノ中将旗艦)と、巡洋艦8隻および駆逐艦多数をイギリス輸送船団撃滅のために派遣し[43]、これを英戦艦ウォースパイト (HMS Warspite) を旗艦とする地中海艦隊が迎え撃った[44]ペロポネソス半島沖で繰り広げられたマタパン岬沖海戦は、巡洋艦部隊の前哨戦ではじまった[45]。 イタリア艦隊は英巡洋艦部隊に対して有利な戦闘を続けていたが、やがてフォーミダブルの航空攻撃で状況が一変する[46][47][注釈 6]。マルタから飛来したブレニム爆撃機の空襲と、フォーミダブル第二次攻撃隊の雷撃が重なり[49]、ヴィットリオ・ヴェネトの左舷艦尾に魚雷が命中する[50]。操舵装置を破壊されたヴェネトには約4,000トンの海水が浸水し、洋上に停止した[51]。イタリア艦隊は、旗艦ヴィットリオ・ヴェネトを援護するため5列の特異な陣形を取った。その掩護下でヴェネト乗組員は必死の応急修理をおこない、18ノット航行可能となる[51]。そこにフォーミダブル第三次攻撃隊(アルバコア6機、ソードフィッシュ2機)およびクレタ島から発進したソードフィッシュ2機が飛来してイタリア艦隊を攻撃した[51]。ソードフィッシュの雷撃で、被雷した重巡ポーラ (Pola) が航行不能になる[52]。ヴェネト以下の本隊は離脱に成功したが[53]ザラ級3隻と伊駆逐艦2隻はイギリス戦艦に捕まって撃沈された[54]。イギリス艦隊旗艦ウォースパイトでは、カニンガム提督達が航行不能となった伊重巡ポーラを「動けなくなったヴィットリオ・ヴェネトではないか」と推測し、救援に来た伊重巡ザラ (Zara) およびフィウメ (Fiume) もろとも海底に葬ったのである[55][注釈 7]

イタリア艦隊は重巡3隻と駆逐艦2隻の犠牲を出したが[57]、ヴィットリオ・ヴェネトはターラントに帰還できた[47]。しかしながら修理には5ヶ月を要した。建造中の姉妹艦ローマ (Roma) から部品を流用して修理を行ったという。

4月下旬、ギリシャの戦いに敗れたイギリス軍はギリシャから撤退し[58]、5月下旬にはクレタ島からも撤退した[59]。戦局の焦点は英領マルタに移った[60]。イギリス海軍は空母による航空機輸送作戦Club Run)を実施してマルタハリケーン (Hawker Hurricane)やスピットファイア (Supermarine Spitfire)を補給し[61]、海上からはマルタ輸送船団英語版を送り込んだ[62]。 修理後のヴィットリオ・ヴェネトとリットリオは、イギリス軍が実施したハルバード作戦などの邀撃に参加した。

北アフリカでは、イタリアのエジプト侵攻により北アフリカ戦線が形成されていた[63][64]。イタリア軍は北アフリカの枢軸国軍むけの補給作戦を開始、M41作戦を発動する。この輸送船団を護衛するため、またマルタ島にイギリス戦艦2隻在泊との情報もあり(誤報)、リットリオとヴィットリオ・ヴェネトを含むイタリア艦隊主力艦も出撃した[65]12月14日、新鋭戦艦(リットリオ、ヴィットリオ・ヴェネト)および護衛の駆逐艦と魚雷艇はメッシーナ海峡でイギリス潜水艦アージ英語版の魚雷攻撃を受ける[66]。魚雷1本が命中し、ヴィットリオ・ヴェネトは損傷した[67]。修理に数ヶ月を要した[66]。このため第1次シルテ湾海戦には参加していない。

1942年[編集]

1942年(昭和17年)には「Gufo」E.C.4 レーダーを装備する最初のイタリア戦艦となる。地中海戦線北アフリカ戦線の勝敗の行方は、イギリス軍がマルタ島の防衛に成功するか、枢軸国軍がヘラクレス作戦英語版ドイツ語版(イタリア側呼称C3作戦)を発動してマルタ島を占領できるかどうかにかかっていた(マルタ攻囲戦[68]。イギリス軍はマルタ死守の決意を固め、大規模輸送作戦を実施する[69][70]

6月中旬、ヴィガラス作戦の迎撃に参加。6月15日、戦艦リットリオとヴィットリオ・ヴェネトを含むイタリア艦隊は連合軍大型機と潜水艦の攻撃をうけ、リットリオが被雷して中破した[71][注釈 8]。 8月中旬、イギリス軍はペデスタル作戦を発動し、マルタ島へ大輸送船団を派遣する[73]。枢軸軍は潜水艦、航空機、魚雷艇、水上艦隊で迎撃したが、イタリア新鋭戦艦は出撃しなかった。このペデスタル作戦の成功によりイギリス軍はマルタの制空権を盤石にし、地中海攻防戦英語版の分岐点となった[74]。ヘラクレス作戦は中止され、地中海の制海権はイギリスが握りつづけた[69]

1943年以後[編集]

1943年(昭和18年)9月上旬、イタリアは降伏した[75][76]。イタリア本国艦隊司令長官のカルロ・ベルガミーニ英語版イタリア語版大将は新鋭戦艦3隻(ローマ、ヴィットリオ・ヴェネト、イタリア)[注釈 9]を率いて出撃する準備をしていたが、祖国の降伏によりラ・スペツィアから移動することになった[78][79]。これはドイツ軍による接収を避けるという側面もあり、実際にラ・スペツィアで修理中の重巡2隻(ゴリツィアボルツァーノ)は進駐してきたドイツ軍に鹵獲されている[80]。このイタリア艦隊をドイツ空軍のDo217第100爆撃航空団)がフリッツXで攻撃し、旗艦ローマ (Roma) は爆沈してベルガミーニ提督も戦死した[81]。姉妹艦イタリアは被弾したが、生還できた[82]、 フリッツXの攻撃から生き延びたヴィットリオ・ヴェネトとリットリオはエジプトに派遣され、スエズ運河グレートビター湖で抑留された。ヴィットリオ・ヴェネトが連合国軍と共にフランス南部および太平洋で戦闘に参加するという提案は、政治的・運用上の配慮により実現しなかった。

ヴィットリオ・ヴェネトは地中海で56回の作戦活動に参加し、その内の11回は索敵攻撃任務であった。 第二次世界大戦後、イタリアでは王政が廃止されて共和国が樹立した。パリ条約の締結にともない、イタリア海軍の艦艇のうち、一部は賠償艦として連合国陣営に引き渡される[83]。ヴィットリオ・ヴェネトは賠償艦としてイギリスに回航されたが、その後イタリアに返還された。1948年に除籍された後も長期間保管されていたが、1960年にスクラップとして廃棄された。

出典[編集]

注釈[編集]

  1. ^ イタリア戦艦ヴィットリオ・ヴェネト Vittorio Veneto (要目略)フランス戦艦ダンケルク級およびリシュリュー級に対抗して、軍縮条約下にイタリアが建造したリットリオ級3隻(1940~42年竣工)中の一艦(以下略)[7]
  2. ^ 伊太利[8] 一九三四-四〇年度海軍豫算中七億リラの其の後の増加があり、總計二十七億三百萬リラとなる。之はリットリオ級の新三五,〇〇〇噸級戰艦四隻を含み、一九四一年迄に伊太利艦隊をば言明したる通り總計七〇〇,〇〇〇噸の勢力に引上げんとする企圖に從ふものである。
     戰艦 三五,〇〇〇噸級のリットリオ及ヴィツトリオは完成し、前者の寫眞は爰に掲載(畧)せる通りである。兩艦の特性中主砲八糎砲九門、契約速力三〇節が含まれるが、一九三九年十月の公試に依れば此の速力を超過したと言はれ二る。兩艦は一九三四年十月起工以來、建造に要せし期間は五箇年少しく餘であつた。然し此の級の第三艦及び第四艦の行程は比較的急速なる進捗を示し、イムペロは去る十一月十五日ゼノアセストリ・ボネンテに於けるアンサルド造船所により造船臺にあること僅か十八箇月の後進水した。/ 本年は舊型戰艦アンドレア・ドリアカイオ・デ・デュイリオの改装が完了する筈であり、之はコンテ・デイ・カヴールギウリオ・セザールの改装と同様の方針で進捗しつゝあるものである。(以下略)
  3. ^ リシュリュー級戦艦は、1935年(昭和10年)6月に締結された英独海軍協定英語版ドイツ語版に対抗しつつ、本級やドイツ新型戦艦を視野に入れて開発された[12]
  4. ^ 戰艦 “チエーザレ Cesre[15] 全要目{排水量25,000噸 速力27節 備砲32糎砲10門、10糎砲24門(兩用砲ならん)建造1911年度目下改装中} 伊太利戰艦を論ずるにあたつては、まづこのところ四年越しで建造中の35,000噸戰艦“ヴイトリオ・ヴヱネト Vittorio Venedo” “リトリオ Littorio”の二艦を忘却してはなるまい。このやうな大艦の建造に伊國海軍がまだ慣れてゐないのも、建造が遅れてゐる一つの理由かも知れないが、佛國の同級の戰艦に對抗し、益々その愼重さを加へてゐると考へるのが至當ではなからうか。現在持つてゐる戰艦中には殆ど見るべきものがないが、その中にあつて獨りチヱーザレのみは大々的改装をほどこされ、寫眞に見るやうな姿となつてやがて再現せんとしてゐる。その艦型は“ネルソン”“ダンケルク”を聯想させるものがある。主砲は口徑を増して32糎砲となり、高角砲も10糎四聯装である。從つて排水量も増加し21,818噸から2,500噸増したが、舊に倍する機關によつて速力22節を出すともいはれてゐる。完成後の大體の要目は全長169.8米、幅28.04米、平均吃水8.54米。速力も恐らく27節位出る機關を据えるのではないかといふ噂である。伊國戰艦計6隻(内未成2隻)。
  5. ^ フォーミダブルは南アフリカを経由して紅海スエズ運河を通過し、3月10日アレクサンドリアに到着した[40]
  6. ^ フォーミダブルの第一波攻撃隊:艦上攻撃機アルバコア (Fairey Albacore)6機、艦上戦闘機フルマー(Fairey Fulmar)2機[48]。第二波攻撃隊:アルバコア3機、ソードフィッシュ2機、フルマー2機[49]
  7. ^ カッタネオ少将はザラに将旗を掲げていた[56]。ザラ沈没時に戦死した。
  8. ^ 英潜水艦アンブラ (HMS Umbra,P35) は、空襲で損傷した重巡トレント (Trento) を雷撃で葬った[72]
  9. ^ 戦艦リットリオは1943年7月にイタリア (Italia) と改名していた[77]

脚注[編集]

  1. ^ 三野、地中海の戦い 1993, p. 49aイタリア海軍の戦力と艦種の説明/●戦艦
  2. ^ 福井、世界戦艦物語 2009, p. 152(ロ)高速戦艦ヴィットリオ・ヴェネト(Vittorio Veneto)型(一九四〇~四二年完成)
  3. ^ 撃沈戦記 1988, pp. 399–401新鋭戦艦「リットリオ」型
  4. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, pp. 194a-198戦艦リットリオ級(イタリア)/イタリア期待の新鋭戦艦、まったく活躍できず
  5. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 86–89イタリア リットリオ級
  6. ^ a b 福井、世界戦艦物語 2009, pp. 101–104第二次大戦の列強戦艦の特長
  7. ^ 福井、世界戦艦物語 2009, p. 14(ヴィットリオ・ヴェネト写真解説)
  8. ^ ブラッセー海軍年鑑 1940, p. 27原本38頁
  9. ^ 三野、地中海の戦い 1993, p. 49b.
  10. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, pp. 178–181戦艦ダンケルク級(フランス)
  11. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, p. 151a■フランスの戦艦
  12. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, pp. 182–185戦艦リシュリュー級(フランス)/ビスマルクと互角に戦えたフランス最後の戦艦
  13. ^ ジョーダン、戦艦 1988, p. 86b.
  14. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, p. 151b■イタリアの戦艦
  15. ^ ポケット海軍年鑑 1937, p. 143(原本268-269頁)戰艦チヱーザレ
  16. ^ イギリス潜水艦隊(上) 2003, p. 37.
  17. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 60–61(1)フランスとの戦争
  18. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, p. 196.
  19. ^ 呪われた海 1973, p. 229.
  20. ^ ヨーロッパ列強戦史 2004, pp. 114–115.
  21. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 86–89イタリアのギリシャ侵攻
  22. ^ 三野、地中海の戦い 1993, p. 71aタラント港夜間空襲
  23. ^ イギリス潜水艦隊(上) 2003, p. 57.
  24. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 82–85タラント夜襲
  25. ^ マッキンタイヤー、空母 1985, pp. 72–74月明下の襲撃
  26. ^ ウォースパイト 1998, pp. 172–173カニンガムの池
  27. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 242–247(1)タラント港奇襲
  28. ^ 撃沈戦記(II) 1988, pp. 244–245「イラストリアス」地中海へ
  29. ^ 三野、地中海の戦い 1993, p. 95.
  30. ^ マッキンタイヤー、空母 1985, p. 76.
  31. ^ マッキンタイヤー、空母 1985, p. 77.
  32. ^ 呪われた海 1973, p. 231.
  33. ^ イギリス潜水艦隊(上) 2003, pp. 72–74.
  34. ^ ウォースパイト 1998, pp. 176–178ルフトバッファ(ドイツ空軍)の参戦
  35. ^ 撃沈戦記(II) 1988, pp. 245–246ドイツ空軍援助に登場
  36. ^ イギリス潜水艦隊(上) 2003, pp. 74–76.
  37. ^ 撃沈戦記(II) 1988, pp. 251–255不沈の「イラストリアス」
  38. ^ マッキンタイヤー、空母 1985, pp. 79–82ドイツ空軍の戦闘加入で苦戦
  39. ^ ウォースパイト 1998, pp. 179a-183マタパン岬沖海戦 ― 緒戦
  40. ^ a b イギリス潜水艦隊(上) 2003, pp. 119–120.
  41. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 98–103マタパン岬沖海戦
  42. ^ マッキンタイヤー、空母 1985, pp. 85–90マタパン岬沖海戦
  43. ^ 三野、地中海の戦い 1993, p. 99.
  44. ^ ヨーロッパ列強戦史 2004, p. 25.
  45. ^ ウォースパイト 1998, p. 182マタパン岬沖海戦(1941年3月28日~29日)
  46. ^ ヨーロッパ列強戦史 2004, p. 32.
  47. ^ a b 三野、地中海の戦い 1993, p. 313.
  48. ^ マッキンタイヤー、空母 1985, p. 87.
  49. ^ a b マッキンタイヤー、空母 1985, p. 88.
  50. ^ ウォースパイト 1998, p. 181.
  51. ^ a b c マッキンタイヤー、空母 1985, p. 89.
  52. ^ ジョーダン、戦艦 1988, p. 88.
  53. ^ ヨーロッパ列強戦史 2004, p. 34.
  54. ^ マッキンタイヤー、空母 1985, p. 90.
  55. ^ ウォースパイト 1998, pp. 183–190マタパン岬沖海戦 ― 夜戦
  56. ^ ヨーロッパ列強戦史 2004, p. 38.
  57. ^ 三野、地中海の戦い 1993, p. 102.
  58. ^ ウォースパイト 1998, p. 195.
  59. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 105–110ギリシャ情勢とクレタ島をめぐる戦い
  60. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 117–120北アフリカの戦いとマルタ島の重要性
  61. ^ マッキンタイヤー、空母 1985, p. 94.
  62. ^ 呪われた海 1973, p. 232.
  63. ^ 三野、地中海の戦い 1993, p. 132.
  64. ^ 撃沈戦記(II) 1988, pp. 278–279過熱する北アフリカ
  65. ^ 撃沈戦記(II) 1988, pp. 281a-283イタリア本国艦隊司令長官出撃
  66. ^ a b イギリス潜水艦隊(上) 2003, pp. 250–251.
  67. ^ 撃沈戦記(II) 1988, pp. 282–283.
  68. ^ 呪われた海 1973, pp. 236–238.
  69. ^ a b 呪われた海 1973, p. 241.
  70. ^ マッキンタイヤー、空母 1985, pp. 142–145マルタ島へ強行輸送
  71. ^ イギリス潜水艦隊(下) 2003, pp. 31–32.
  72. ^ イギリス潜水艦隊(下) 2003, pp. 32–33.
  73. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 161–167ペデスタル作戦
  74. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 167–169生き返ったマルタ、そしてトーチ作戦
  75. ^ 三野、地中海の戦い 1993, p. 183.
  76. ^ イギリス潜水艦隊(下) 2003, pp. 271–272.
  77. ^ 撃沈戦記 1988, p. 400.
  78. ^ 撃沈戦記 1988, pp. 401a-402全艦隊、英軍に降伏せよ
  79. ^ 撃沈戦記 1988, pp. 402–404イタリア艦隊、脱出
  80. ^ 撃沈戦記 1988, pp. 401b-402.
  81. ^ 撃沈戦記 1988, pp. 404–407誘導ミサイル「フリッツ」
  82. ^ ジョーダン、戦艦 1988, p. 89.
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参考文献[編集]

  • ジョン・ウィンゲート 著、秋山信雄 訳『イギリス潜水艦隊の死闘(上)』早川書房〈ハヤカワ文庫〉、2003年7月。ISBN 4-15-050278-1 
  • ジョン・ウィンゲート 著、秋山信雄 訳『イギリス潜水艦隊の死闘(下)』早川書房〈ハヤカワ文庫〉、2003年7月。ISBN 4-15-050279-X 
  • 木俣滋郎『大西洋・地中海の戦い ヨーロッパ列強戦史』光人社〈光人社NF文庫〉、2004年2月(原著1986年)。ISBN 978-4-7698-3017-7 
    • 2.マタパン岬の海戦/6.スパダ岬の海戦/8.タラント港空襲
  • ジョン・ジョーダン『戦艦 AN ILLUSTRATED GUIDE TO BATTLESHIPS AND BATTLECRUISERS』石橋孝夫(訳)、株式会社ホビージャパン〈イラストレイテッド・ガイド6〉、1988年11月。ISBN 4-938461-35-8 
  • 「世界の艦船増刊第41集 イタリア戦艦史」(海人社)
  • V.E.タラント、井原祐司 訳『戦艦ウォースパイト 第二次大戦で最も活躍した戦艦』光人社、1998年11月。ISBN 4-906631-38-X 
    • 第七章 ―「Mare Nostrm(我らの海)」/第八章 ― カニンガムの池
  • 永井喜之、木俣滋郎『撃沈戦記』朝日ソノラマ〈文庫版新戦史シリーズ〉、1988年10月。ISBN 4-257-17208-8 
    • 第3部 第二次大戦 ― 外国編/9.イタリア軽巡洋艦「バルビアーノ」「ギュッサーノ」/10.イギリス戦艦「バリアント」「クイーン・エリザベス」/13.イタリア戦艦「ローマ」
  • 永井喜之、木俣滋郎『新戦史シリーズ撃沈戦記・PARTII』朝日ソノラマ、1988年10月。ISBN 4-257-17223-1 
    • 第3部 第二次大戦 ― 外国編 20.イギリス空母「イラストリアス」/23.イギリス軽巡洋艦「ネプチューン」
  • 福井静夫 著、阿部安雄、戸高一成 編『新装版 福井静夫著作集 ― 軍艦七十五年回想第六巻 世界戦艦物語』光人社、2009年3月。ISBN 978-4-7698-1426-9 
  • カーユス・ベッカー、松谷健二 訳「第4部 地中海の戦い」『呪われた海 ドイツ海軍戦闘記録』フジ出版社、1973年7月。 
  • ドナルド・マッキンタイヤー、寺井義守 訳「6.独・伊海軍を制圧」『空母 日米機動部隊の激突』株式会社サンケイ出版〈第二次世界大戦文庫23〉、1985年10月。ISBN 4-383-02415-7 
  • 三野正洋『地中海の戦い』朝日ソノラマ〈文庫版新戦史シリーズ〉、1993年6月。ISBN 4-257-17254-1 
  • ミリタリー・クラシックス編集部、執筆(松代守弘、瀬戸利春、福田誠、伊藤龍太郎)、図面作成(田村紀雄、こがしゅうと、多田圭一)「第四章 ドイツ、フランス、イタリアの戦艦」『第二次大戦 世界の戦艦』イカロス出版〈ミリタリー選書6〉、2005年9月。ISBN 4-87149-719-4 


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