ワリード1世
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ワリード1世 الوليد بن عبد الملك | |
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ウマイヤ朝カリフ | |
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在位 | 705年 - 715年 |
出生 |
674年 |
死去 |
715年2月23日 |
配偶者 | シャーファランド(ペーローズ3世の娘) |
子女 |
ヤズィード3世 イブラーヒーム |
家名 | ウマイヤ家 |
王朝 | ウマイヤ朝 |
父親 | アブドゥルマリク |
宗教 | イスラム教スンナ派 |

ワリード1世(アラビア語: الوليد بن عبد الملك、Al-Walid ibn Abd al-Malik、674年 - 715年2月23日)は、ウマイヤ朝の第6代カリフ(在位:705年 - 715年)。第5代カリフであったアブドゥルマリクの子。
生涯[編集]
674年、ダマスカスに生まれる(生年には668年、675年説もある)。705年、父の死により後を継いでカリフとなった。軍事面で優れた能力を持っていたため、中央アジアからインド北部、イベリア半島、東ローマ帝国などに積極的に進出して王朝最大の版図を形成し、王朝の全盛期を築き上げた。内政面においても学校や病院を多数建設し、聖ヨハネ聖堂をモスク(イスラムの礼拝所)に改造してウマイヤ・モスクと命名する。さらにマディーナやメッカなどにもモスクを建設し、文化面でも大きな発展を遂げた。 715年、42歳で死去した。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- アミール・アリ『回教史 A Short History of the Saracens』(1942年、善隣社)