第二次内乱 (イスラーム史)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

イスラーム史において、第二次内乱(だいにじないらん)は、カルバラーの惨劇(680年)からイブン・ズバイルの乱の平定(692年)までのイスラーム教ウンマの分裂状態をいう[1][2]シリアを根拠地とするウマイヤ家と、マッカで蜂起したイブン・ズバイルと、クーファムフタール英語版を中心に蜂起した親アリー勢力の三つ巴の内乱であった[1][2]

カルバラーの惨劇[編集]

ウマイヤ家のムアーウィヤは、西暦680年4月に自身が亡くなる際、預言者ムハンマドの代理人(ハリーファ。以下、カリフと呼ぶ。)の地位を息子のヤズィードに継がせた。カリフ位の歴史上初めての世襲である。当時、この世襲を不快に感じたムスリムは多かった。

アリー・ブン・アビー・ターリブの息子フサインはこの世襲を否認することを公にして居所をマディーナからマッカに移した[3]。同年9月にアリーの党派が集まるクーファからの招きに応じて、マッカからクーファへ向かった[3]。クーファの不穏な動きに気づいたヤズィードは、ウバイドゥッラー・ブン・ズィヤード英語版を新たなクーファ総督に命じて締め付けを図った[3]。ウバイドゥッラーは、クーファの民の動きをけん制する一方、ユーフラテス川西岸のカルバラーでフサインを待ち受け、これを討った[3]

ムフタールの反乱[編集]

フサインは、預言者ムハンマドの娘、ファーティマ・ザフラーの息子であった。信徒の軍が、教祖の孫を一族郎党もろとも殺戮するという事態に、ウンマは動揺した。クーファでは「悔悟者たち」と呼ばれるセクトが、フサインの「殉教」を阻止することができなかったという悔悟を原動力に結集した。「悔悟者たち」の一部は、ウマイヤ朝に対する反乱を実行に移した。後述するイブン・ズバイルがマッカで挙兵すると、同じ頃にクーファでもムフタール・サカフィーが挙兵した(カイサーン派の反乱)[4]

ムフタールは、挙兵をマディーナにいたイブン・ハナフィーヤの名において実行した。イブン・ハナフィーヤはアリーの息子でありフサインの異母弟である[4]。イブン・ハナフィーヤには人徳があり、マフディー((神によって正しく)導かれた者)という異名があった。カイサーン派の反乱は軍事的に鎮圧されるが、ウマイヤ家支配への不満や、拡大する不公正への不満はくすぶり続けた。イブン・ハナフィーヤはウマイヤ家への恭順を誓った後、700年に死亡したが、まもなく生存説が噂されるようになった。「マフディー」ことイブン・ハナフィーヤはそう遠くない未来に再び姿を現し、正義と公正をもたらすという噂は、一人歩きし、固有名詞を失い、信者の指導者(イマーム)が「救世主」(マフディー)として現れ、地上に正義と公正を実現するはずだとするマフディー思想へと発展した[5]

思想史上、アリーの党派は、こうした終末論的マフディー像を得て、いわゆる「シーア派」へと発展する。政治的には、くすぶり続けた不満が750年のアッバース革命をもたらす原因になった。

イブン・ズバイルの反乱[編集]

第一次内乱後、ウマイヤ朝カリフ・ヤズィード1世の死後、その跡を継いで ムアーウィヤ2世が即位したのをきっかけに、アブドゥッラー・ブン・ズバイル(以下、イブン・ズバイル)はメッカでカリフに即位し、ウマイヤ朝から独立する。

イブン・ズバイルの父はラクダの戦いで戦死したズバイル・ブン・アウワームで、母は初代正統カリフアブー・バクルの長女アスマー・ビント・アビー・バクル英語版という、カリフを称するのには非常に有利な生まれだったが、彼のカリフ宣言後、ウマイヤ家に不満を抱く各地のムスリムヨルダン以外のシリアイラクエジプトなどの)が彼のもとに忠誠の誓い(バイア)をし、2人のカリフが存在するという状態が起こった。

そして、イブン・ズバイルはイラク、エジプトでカリフとなり、シリアの半分以上をその最大勢力範囲にするほど勢力が伸張したが、その後アブドゥルマリクのもとで攻勢に転じたウマイヤ朝によって、その領地は取り返されていき、最後にイブン・ズバイルの領地は聖地メッカ周辺だけになった。

ウマイヤ朝カリフ、アブドゥルマリクは、ハッジャージュ・ブン・ユースフ司令官の2千のウマイヤ朝軍をメッカのイブン・ズバイルのもとに差し向け、メッカを包囲、弩弓による投石でメッカの守備隊、カーバ神殿などを攻撃させた。そのため、メッカの守備隊は苦戦を強いられ、壊滅した。カーバ神殿も大きく被害を受けた。692年、こうした中で、イブン・ズバイルはハッジャージュ・ブン・ユースフによって、メッカを6ヶ月包囲されたのち、戦死を遂げた。

その後、ウマイヤ朝は統一と繁栄を手に入れ、アブドゥルマリクから第10代ヒシャームまでの黄金時代を現出する。

出典[編集]

  1. ^ a b 佐藤, 次高『イスラームの歴史〈1〉イスラームの創始と展開』山川出版社〈宗教の世界史〉、2010年6月1日。ISBN 978-4634431416 pp.125,132.
  2. ^ a b 菊地, 達也『イスラーム教「異端」と「正統」の思想史』講談社〈講談社メチエ〉、2009年8月10日。ISBN 978-4-06-258446-3 pp.69,77,78.
  3. ^ a b c d 佐藤 2010, pp. 138-139.
  4. ^ a b 佐藤 2010, p. 132.
  5. ^ 佐藤 2010, p. 125.