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リクビダートル

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チェルノブイリ原発事故から32年となる2018年にスラブチッチ博物館に集ったリクビダートルの人々
チェルノブイリ原発事故から32年となる2018年に スラブチッチ博物館ウクライナ語版に集ったリクビダートルの人々

リクビダートル: Ликвидатор ; Ликвидаторы Чернобыльской аварии)とは、1986年4月26日チェルノブイリ原子力発電所事故の処理作業に従事した人々[1]。原語は「清算人」の意味で後始末を行う人を指し、清掃人、事故処理班、解体作業者、決死隊等と翻訳・説明される。
特に高線量下での瓦礫除去作業に従事した兵士を指す言葉として知られているが、実際には原発職員、消防士、軍や警察、医療関係者、科学者、建設作業員など、事故の収束・除染・住民避難などに携わった幅広い職種を含む[2]

概要

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事故発生後、ソビエト連邦政府は放射能を帯びた瓦礫を撤去する必要に迫られた。

現場は放射線による健康被害を防ぐため、人間の労働者は労働シフトが90秒に制限するなどしており、効率的な撤去作業はできなかった[3]。そのため東ドイツがソビエトの民間防衛軍向けに製作した遠隔操作ブルドーザーの使用が検討されたが、これは爆発で破壊され部分的に残った原子炉建屋の屋上で運用するには重すぎた。このため強力な宇宙線に耐えたルノホートが注目された。既に引退していた設計者が呼び戻され、2週間で電子システムが放射線に対抗するために強化された車両(STR-1)が作られた[4]。同年7月15日には投入されたが、放射線により故障が相次いだため遠隔操作は断念された。

結局、ソ連政府はリクビダートルによる人力での撤去を開始した。この顛末はJean Afanassieffによるフランスのドキュメンタリー映像"タンク・オン・ムーン英語版"に記録されている。

リクビダートルの総数は60~80万人、そのうち1986年と1987年に作業にあたった約20万人が大きな被曝を受けたとされている。事故処理作業時の平均年齢は約35歳。ウクライナ、ベラルーシ、ロシアそれぞれでリクビダートルの国家登録が行われている[5]。ロシアに住むリクビダートルのうち65905人(平均被曝量120ミリシーベルト)を対象に1991年から1998年までを追跡した結果によると、その間の死亡は4995件(7.6%)であった[6]。ベラルーシでのある調査によると、地元一般住民に比べて結腸癌膀胱癌甲状腺癌がはっきりと過剰に発生している[7]

リクビダートルはソビエト連邦政府から表彰され、危険な労働の代償として、住居・高額の年金・無料の医療などが生涯保障された。ソビエト連邦崩壊の後、これらの特権は分離独立したウクライナロシアベラルーシの政府に引き継がれた。

ウクライナ放射線医科学研究所所長ブロディミール・ベベシコらは、ウクライナに住むリクビダートル20万人の健康状態を追跡調査。癌による死者の調査は、1992年から資金不足で打ち切られる2000年まで、9年間毎年行われ、リクビダートルの癌による死亡率は事故後年々上昇し、2000年には一般住民の3倍に達していたことがわかった。

国際原子力機関IAEAは世界各国から100人を超える科学者を招集し、チェルノブイリ原発事故の被害を客観的に評価する会議を開催、2005年9月、事故と健康被害との因果関係を限定的に見る報告書を発表した。「事故の死亡者が何万人、何十万人に上るという主張があるが、これは誇張である。多くは放射線の影響と言うより、貧困や医療の不備によるもので、酒の飲みすぎ、タバコの吸いすぎの方が問題である」、リクビダートルの死者について「被曝が原因で死亡した可能性があるのは50人」としている。この報告書に対して、各国の研究者から反論が相次いだ。[要出典]

旧ソビエト連邦政府によってリクビダートルとその家族4万人のための集合住宅キーウに設けられた。事故から十数年以上たって、この集合住宅では病気で死亡する人が急増。移住してきた4万人は、2万人にまで減っている[8]

役割

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チェルノブイリにおける災害対応には、多様な職種・地位・任務が含まれていた。

  • チェルノブイリ原子力発電所の運転要員
  • 事故発生直後に出動した消防士
  • 放射性物質の除去や原子炉および汚染地域の「非活性化(除染)」にあたったソ連軍民防部隊
  • 治安維持、出入り管理、住民避難を担った内務省部隊および警察(ミリシャ)
  • 軍と民間の医療・衛生要員。これには次のような活動も含まれる:
    • 避難住居に残された食料を片付け、感染症流行を防ぐために動員された女性清掃員グループ
    • 避難集落に取り残された家畜やペットを処分する特別狩猟隊
  • ソ連空軍および民間航空部隊。原子炉建屋での重要なヘリコプター作業、空輸、空中からの放射能汚染調査を実施した。例として、民間ヘリパイロットのミコラ・メルニク英語: Mykola Melnykは原子炉に放射線センサーを設置したことで知られる[9]
  • あらゆる段階の対応に従事した民間の科学者、技術者、労働者:
    • 輸送労働者
    • 原子炉下の帯水層汚染を防ぐため大規模な基盤を建設した炭鉱夫チーム
    • 建設作業者
  • 災害を地上から記録するため、危険を冒して現場撮影を行った報道関係者。写真家イゴール・コスチン英語: Igor Kostinやヴォロディミル・シェフチェンコは、破壊された炉心を最も早く生々しく撮影した人物として知られ、また危険な手作業に従事したリクビダートル自身の姿も残している[10]

さらに、ごく少数ではあるが、西側諸国を中心とする外国人が、国際的な医療・科学プロジェクトに参加した事例もあり、従事した場所や任務によっては彼らも「リクビダートル」とみなされ得る。

ウクライナの英雄たち

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約40人の消防士が消火活動に参加した[11]。爆発後、大量のセシウム137同位体が煙とともに空中に上がったため参加したすべての消防士は大量の放射線を浴び、多くが急性放射線症候群放射線熱傷で短期間のうちに死亡したが、生存者もいた。彼らの英雄的な行動と勇気はソ連国家によって表彰され、一部は最高位の称号「ソ連邦英雄(Heros of the Soviet Union)」を授与された。その中には、ヴィクトル・キベノク英語: Viktor Kibenok(死後授与)、ヴォロディミル・プラヴィク英語: Volodymyr Pravyk(死後授与)、そして生還し治療後もソ連、さらに後にはウクライナの消防隊で勤務を続けたレオニード・テリャトニコフ英語: Leonid Telyatnikovが含まれる。彼は1995年に少将の階級で退役し、2004年にキーウ市でがんにより死去した。消防士に加え、発電所職員も消火に参加し、設備の停止、がれきの撤去、機器の火災の消火などを行った。また警察官も初期およびその後の収束作業の組織に協力し、医師は爆発や放射線で負傷した人々を最初に治療した[12]

リクビダートルたちの行動はウクライナにおいて国家レベルで称えられ、多くが死後に国家栄誉を与えられた。特に最高位の「ウクライナ英雄」称号(「金星」勲章付き)が授与された。2006年には、ミコラ・ヴァシュチュク、ヴァシーリ・イグナテンコ英語: Vasily Ignatenko、ミコラ・ティテノク、ヴォロディミル・ティシュラ、ヴォロディミル・プラヴィク、そして発電所職員のオレクサンドル・レレチェンコが死後この称号を受けた。2019年6月24日には、オレクシー・アナネンコ、ヴァレリー・ベスパロフ、ボリス・バラノフ(死後授与)の3人が「ウクライナ英雄」として「金星」勲章を授与された。3人の技師は爆発から数日後、自ら志願してバブルプールに潜り込み、そこから水を抜き取った。これにより、破壊された炉心から噴出した核物質は水に到達せず、蒸気爆発によるさらに破局的な災害から世界を救ったのである[13]

ウクライナの多くの都市で記念碑が建てられ、慰霊碑や記念プレートが設置され、さまざまな施設に英雄たちの名前が冠された。キーウのチェルノブイリ災害犠牲者記念複合施設には、「ウクライナ英雄」として表彰されたチェルノブイリの消防士たちの胸像が設置されている。オレクサンドル・レレチェンコの名前は、キーウ市のヴェルホーヴナ・ラーダ大通りとミル大通りの交差点にある「チェルノブイリ英雄記念プレート」のひとつに刻まれている。

記念日

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ウクライナでは、1986年12月14日にチェルノブイリ原子力発電所4号機の「石棺(シェルター)」建設が完了したことを受け、この日を「リクビダートルの日」と定めている[14]。この日は、事故処理に従事したリクビダートルの勇気と犠牲を顕彰し、追悼行事や記念式典が毎年行われている。

脚注

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  1. 白石草『ルポチェルノブイリ28年目の子どもたち ウクライナの取り組みに学ぶ』岩波書店、2014年、43頁。ISBN 978-4-00-270917-8
  2. The 'liquidator': He cleaned up after Chernobyl — and is paying the price”. USAトゥデイ (2016年4月17日). 2025年9月8日閲覧。
  3. https://cabinet-of-wonders.blogspot.com/2009/02/lunokhod-and-art-of-space.html
  4. http://www.liquida.com/focus/2011/03/16/chernobyl-fukushima-russia-nuclear-energy/
  5. 1995年時点の登録者数は約37万人--今中哲二「チェルノブイリ原発事故によるその後の事故影響」『技術と人間』1997年5月号
  6. 今中哲二チェルノブイリ事故による死者の数」『原子力資料情報室通信』386号、2006年
  7. チェルノブイリ原発事故後の傾向を示している国家ガン登録」" A national cancer registry to assess trends after the Chernobyl accident " ; A. E. Okeanov, E. Y. Sosnovskaya, O. P. Priatkina Clinical Institute of Radiation Medicine and Endocrinology Research, Minsk, Belarus ; Swiss Medical Weekly 2004; 134:645-649
  8. 汚された大地で~チェルノブイリ 20年後の真実~NHKスペシャル、2006年4月16日放映
  9. “Former Chernobyl Pilot Soars Above His Obstacles”. The St. Petersburg Times. (2005年5月31日). オリジナルの2011年3月17日時点におけるアーカイブ。 2025年9月8日閲覧。
  10. バイオロボット、チェルノブイリ作業員”. ナショナルジオグラフィック (2011年4月27日). 2025年9月8日閲覧。
  11. Sequence of Events Chernobyl Accident Appendix 1 - World Nuclear Association”. world-nuclear.org. 2025年9月8日閲覧。
  12. Герої-ліквідатори”. チェルノブイリ原子力発電所. 2025年9月8日閲覧。
  13. Oleksiy Ananenko — the hero who saved Ukraine at the Chernobyl nuclear power plant|date=2024-09-21”. 2025年9月8日閲覧。
  14. December 14 – the day of honoring the participants in the liquidation of the consequences of the accident at the Chornobyl NPP”. ウクライナ国立科学アカデミー・原子力発電所安全問題研究所 (2024年12月14日). 2025年9月8日閲覧。

参考資料

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関連項目

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