重松逸造

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重松 逸造(しげまつ いつぞう、1917年11月25日 - 2012年2月6日)は、日本医学者ラバウル海軍軍医として終戦を迎える。都築正男の後継としてABCCの日本側代表、国立公衆衛生院疫学部長、財団法人放射線影響研究所理事長、ICRP委員、厚生省研究班班長などを歴任したのをはじめ、疫学公衆衛生学放射線影響学において重要な役割を果たした。叙勲された。

経歴[編集]

  • イタイイタイ病スモンなどの疫学的研究、原爆被爆者追跡調査などを指導した[4]
  • 成人T細胞白血病(ATL)の原因ウイルス母子感染について、厚生省研究班の班長として1990年度に「全国一律の検査や対策は必要ない」との報告書をまとめた[5]
  • 1990年4月、IAEAが発足させたチェルノブイリ原発事故をめぐる国際諮問委員会(IAC)の委員長に就任。各国から集められた200人の専門家集団の責任者として、ソ連国内の汚染状況と住民の健康の調査、住民の防護対策の妥当性の検討を目的とする国際チェルノブイリプロジェクト実施にあたった。翌1991年5月、ウィーンのIAEA本部で開かれたプロジェクト報告会において、汚染地帯の住民には放射能による健康影響は認められない、むしろ、「ラジオフォビア(放射能恐怖症)」による精神的ストレスの方が問題である、1平方km当り40キュリーという移住基準はもっと上げてもよいが、社会的条件を考えると今のままでしかたないであろう、との報告をまとめ発表した。[6][7]

研究・著作[編集]

脚注[編集]